それは誰かのための哀花

鮎川 拓馬

それは誰かのための哀花

それは誰かのための哀花あいか



 9月。まだ蒸し暑い空間。開いた窓からは、絶えずツクツクボウシの声がする。その空間の中で、ことりと瓶が置かれた。


 それは真新しいガラスの一輪挿し。そこには一輪のコスモスがいけられている。

 それを私は黙って見ながら、思う。ピンクのコスモスの花言葉は乙女の純潔。恋すらしたことの無い私には、純潔も糞もないのだと思う。だが、言葉の響きだけは、素直にいいなと思った。


 次には、しおれたコスモスに代わり、黄色のコスモスの花がいけられた。

 黄色いコスモスの花は、どこかの大学が苦労に苦労を重ねてつくったものだと聞いている。だから、野生には存在しない色だ。人工的な、誰かが作ったもの。まるで、逃げ場のないこの場所―コンクリートの箱の部屋のような。気持ち悪さを感じながら、私はその場を後にする。


 その1週間後、今度はオレンジ色のコスモスがいけられた。キバナコスモスだ。完璧な黄色じゃないのに「キバナ」をつけられたのは、相当なプレッシャーだっただろう。それなのに前にいけられていた黄色のコスモスに、あっさりとその座を取って代わられてしまったのだから。その時は、どれだけ悔しかったろうか。私は労わりたくなる気持ちになる。

 キバナコスモスはコスモスの仲間だけど、別物だったはず。彼らと似て非なる存在。まるで私のようだと、花弁を撫でながら私は自嘲気味に笑う。


 次には、フジバカマの花がいけられた。秋の七草のひとつである。その花にはアサギマダラと言う綺麗な蝶々が寄ってくることを、私は知っている。その蝶々はその花の蜜が好きで吸いに来るわけではない。その蜜に含まれる成分を雌への求愛のため―自身の魅力を上げるために―利用しにくるのだ。自身の人気取りのために利用される運命のその花に、自分と似たものを感じる。


 その次には、彼岸花の花がいけられた。桃色の彼岸花の花。本当は嫌がらせをしたいのだけれど、みんなの手前だからできないのだろう。だから白と赤の間の色なのだ。

―何を今更。

 私は憂いを帯びた吐息をつきながら、堂々と赤色の彼岸花をいけてくれればいいのに、と思う。だけど、大人の目があるから、やるわけもないかと思い直す。

 そして、私はまあいいと思い直す。彼岸花には種ができない。よくは知らないが、種なしすいかと同じだからだと図鑑で読んだことがある。種ができないなんて、自分と同じ運命の花を、私は変な親近感を持ちながら眺めていた。



 10月に入ると、菊がいけられるようになった。菊の花はお葬式の花。嫌がらせと言うよりは、花を選ぶのがついに面倒くさくなったのだろう。しかし、自分から始めたことを途中で投げ出すわけにはいかないから、定番で無難な花をいけ続けているのだろう。

 菊の花はよく日持ちする。だから、毎日水を変えなくなった。そのうち、花を代えなくなってしまった。それでも、菊は生き続け、しまいにはにごった水の中に根っこが生えてきた。その強さを私はうらやましく思う。私は日々伸びていく根っこを、何だか面白くて毎日見ていた。



 12月の始め。同じ花ばかりいけていることを、『ちょっとさすがに』と思うようになったのか、今度は赤い偽物の実をつけた、柊がいけられた。柊の花言葉には「保護」というものがあったと思う。きっとそのとげだらけの葉が、自らを保護しているように見えたのが由来だろう。私には自らを保護する棘もなかったし、保護してくれる人もいなかったから、この木をとてもうらやましく思った。


 次の週、ポインセチアがいけられた。ポインセチアの花は冬に出回るから、寒さに強そうなものだが、実際は熱帯の植物だ。だから、寒さにとても弱く外に出すと一発で枯れる。そんな脆弱な花なのに、何故クリスマスに引っ張り出されるのかと言うと、世の中の人々がそれを求めているからだ。

 自分が死ぬとわかりつつも、義務的に外に出なければならないその花。その境遇を自分と重ねあわせつつ、私は窓から雪のちらつく空を見上げた。


 そして、クリスマスがある週、ゴールドクレストの一枝がいけられた。その枝には何のつもりか、ビーズやスパンコールで小さな飾りがつけられていた。それを見て、女子は皆きゃあきゃあとはしゃいでいた。今まで全く花瓶に寄りつかなかった彼らが、だ。

 それを見ながらお祭り気分とは恐ろしいものだ、と私は思う。非日常とは、日常の罪をすっかり忘れさせてしまうのだから。



 そして、その後数週間、その小さなツリーは誰にも水を変えられず、茶色く干からびてしまった。やがて、そのツリーが取り除かれていけられたのは、お正月のハボタンだった。ハボタンはキャベツそっくりだが、苦くて食べられない。そして、きれいなのは冬の間だけで、春になると茎が伸びて形が崩れ汚くなる。そして、花が咲くと枯れてしまうのだが、花をちょん切って咲かせなければ、踊りハボタンとして数年は生き続けると聞いている。

 だが、そこまでして生きさせるのも酷だろう、と私は思う。花の咲けない人生なんて嫌だ。だから、もし私がハボタンを育てることがあれば、花を咲かせて枯れさせてあげようと思う。まあ、もう無理なことだが。


 次の週、オレンジ色の金盞花がいけられた。金盞花の花言葉は、「悲嘆」「寂しさ」「失望」だったと思う。すべて、自分に当てはまる言葉だ。今までいけられた花の中で一番自分に似合う花だと、私は頬杖をつきながら、満足げにその花を眺める。


 次の週も金盞花がいけられた。今度は黄色の金盞花。きっと今の季節はあまり綺麗な花がないから、こればかりいけているのだろう。私も今の季節は毎年、ビオラやパンジー以外にほとんど植える花がなくて、そればかりの庭に終いには飽きていた。


 その次の週、梅の花がいけられた。ふんわりといい香りが辺りに漂う。桜と同じバラの仲間の植物だが、どうして春の桜の方はほとんど匂わないのだろう。あの見た目で香りまで良いとなれば、完璧な植物になれると思うのに。

 しかし、私は完璧なものなど、きっとこの世のどこにもないのだろうと思いなおす。だからこそ、人は皆完璧に憧れ、それを目指して苦しみ生きるのだ。他人を自身の踏み台にしてまで。



 2月に入った。椿の花がいけられる。しかしそれは三日ほどたったある日、花が首から落ち、机にぶつかりことんと音をたてた。隣の席の男子はそれを見て、授業中にもかかわらず「ひい」と椅子から転げた。私はそれを見ながらやれやれと思う。椿の花が首から落ちるのは当たり前のことだろう。


 次の週、早咲きの桜がいけられた。早咲きの桜は温室で無理やりに咲かせた花であるためか、花びらが開き切らないうちに枯れて落ちてしまう。だから、私は昔から早咲きの桜が嫌いだった。人間の、自身たちの欲のためだけに花を咲かせようという、卑しい根性が見えるからだ。本来の美しい花を咲かせないのは、植物からそんな人間たちへのせめてもの復讐なのかもしれない。はかなげに見えてちゃんとするべき復讐をしている彼らを、私は尊敬すると共にうらやましく思う。


 その次の週、菜の花がいけられる。菜の花を見ると、もう春だなと思う。だけど、その花をいけるのは私は嫌いだ。いけて数日経つ頃には、花瓶の周辺に花びらや蕊がバラバラと落ちて汚くなるからだ。思ったとおり、いけて3日もすると、机の上は枯れた花びらや蕊で汚くなる。彼女はしかたなく雑巾で私の机を掃除する。真新しいままの机はすぐに綺麗になる。私はこの机を一度も使ったことがない。彫刻刀で「死ね」等の文字がほられた机は、去年の8月の終わりごろ、担任が処分していたからだ。


 2月の最後の週、沈丁花がいけられた。深く、ともすれば酔いそうな香りがあたりに漂う。私はこの香りが好きだった。だけど、今は嫌いだ。

 この花の花言葉は、「不滅」「永遠」。この世に不滅で永遠のもの等ない。そう、私がかつて信じた親友の心のように。



 3月。再び早咲きの桜がいけられた。私は、この花がいけられる最後の花になるだろうと思った。

 そして、その花が散る頃、誰もいなくなった教室から、私はゆっくり体育館へと移動する。

 そこでは卒業式が行われていた。私の席には、笑顔の私の写真が入った額縁が置かれていた。そして、その隣の席には、私のかつての親友だった女がいる。

 私はそこに座りたくもなかったので、体育館の入り口に立ち、じっとその様子を見ていた。



 式は厳かに進む。その途中、私の話になった。そして、校長は目頭をハンカチで抑えつつ私の事を話した後、全校生徒の前である者を賞賛し始めた。それは私の元親友のことだった。の死を遂げた親友を悼み、ずっと親友―私の机に花をいけつづけた彼女のことを。


 人々は皆、その話に涙した。そして、人々は口々に彼女を励ます叫びをあげ、たたえる声をあげ、盛大な拍手をした。私の担任だった男と、クラスメイトたちも、各々目をどこかへそらしながら周りに合わせて拍手をする。

 元親友はそれに、涙でくしゃくしゃにした笑顔で手を振り応じた。私の遺影を片腕に抱きしめながら。


「……」

 私はそれを黙って見ていた。

 私は知っている。私のお葬式の時、彼女は顔を両手で覆い泣き崩れていた。担任やクラスメイト達が、彼女のその行為にある者は引きつつ、ある者は微妙な顔をして黙り込む中で、何も知らない私の父親と母親は彼女を必死に慰めていた。その他の先生方や保護者達も、皆必死になって彼女を元気づけていた。しかし、彼女が顔に当てたその手の下で、にやりと唇をゆがめていたのを私だけは知っている。



 彼女は最初から、私の事を利用するために私と友達になっただけだった。

 そうとも知らず、私は彼女を信じた。クラスで人気者の彼女に声を掛けられたことで、舞い上がってもいたのだろう。日々浮かれて過ごし、やがて彼女に実にあっさりと裏切られ、私は絶望に突き落とされた。

 クラスの皆は人気者の彼女の味方をした。そして、彼らは私をいじめることを、日頃の塾通いや部活で溜まる鬱憤のはけ口にして楽しんだ。担任はそんな私を見ても、目をそらして授業開始の号令をかけるだけであった。


 毎日が辛かったが、それでも学校へ行かなければならなかった。なぜなら、学校は毎日通うものだという縛りがこの国にはある。学校に毎日通うことが当然。それができない者は、出来損ないと見なされる。もしも、他の人が当たり前にしていることをしないと、親たちは最初は心配してくれるだろうが、しまいにはあきれて怒ってくるだろうからだ。彼女にいじめられていることを言っても、きっと両親は冗談だと真に受けなかっただろう。だって、親友だった彼女はとても人当たりが良く親たちの間でも評判で、私の親たちは「娘をよろしく頼む」と彼女に言っているぐらいだったから。



 そんな私にとって、夏休みは救世主のようなものだった。ずっと学校に行かなくても誰も責めない時だからだ。行かないのが当たり前の時だからだ。


 だけど、それも後2週間で終わる。そう考えるだけで暗い気持ちが私を襲うが、私は首をふって忘れようとした。何といったって今日はお祭りの日。私は花火が始まるまでの間、古い橋の欄干に座って足をぶらぶらとさせていた。そこは、毎年花火を見るときの、私のお気に入りの場所だった。新しい大きな橋は会場のすぐ近くにあるのだが、それは毎年花火の見物客でものすごい人ごみになる。多少手入れされていなくとも、多少蚊が多くとも、この何年も前から使われていなさそうな小さな橋の方が落ち着いていて良かった。


―昨日は雨だったから、水かさが増えているな。

 いつもなら川底の砂利が見えているはずなのだが、今年の川はなみなみとした水に満ちていた。天気予報に寄れば、本来今日も雨のはずだった。しかし、幸い、曇りがちなものの晴れた。きっと今日のお祭りの神様がこれぐらいしか楽しみのない私のために、お天気の神様を説得してくれたに違いない、なんて私は思った。その時、


―どん

 衝撃が体を走った。花火の開始かと思ったが、花火の音ではない。重力に従って落ちていく体。さっきまで私がいたはずの欄干には、彼女がいた。


―邪魔だからどいてくれない?ここ私の場所だから。

 彼女の声は、はっきりとは聞こえなかったが、口を見ればそう言ったのがわかった。そして、ふと思い出す。今年の春、彼女が親友だと信じていた頃の私が、彼女にこの場所を教えたことを―


 そして、私は水中にどぼんと沈んだ。必死にもがく。しかし、私は泳げなかった。その事も彼女は知っていたはず。何とか水面に顔を出せば、彼女は可笑しそうにけたけたと笑っていた。


―誰か!

 私は必死に叫んだ。しかし、ここが私以外、誰も知らない場所だったことが災いした。きっと、彼女はその事を狙ってここに来たのだろう。彼女は私の意識がなくなる最後まで、嗤って私を見ていた。そして、私は溺れて死んだ。



 私は次の日、水死体となってそこから数百メートル離れた川岸で見つかった。私を捜索する警察に彼女は泣きながら、「前にあそこが花火の絶景スポットって言っていたの。きっとお祭りの日にそこに行ったのよ」と情報を提供したからだ。

 そして、現場と私の死体に不審な点は見当たらず、誤まって橋から落ちたのだろうと事故死として処理された。




 卒業式が終わった。校門の前は花束を持つ卒業生たちでにぎわっている。

 その中で私の遺影を持つ両親は、彼女に涙を流しながら深々とお辞儀をしていた。

 そして、これからの彼女の活躍を祈っていた。娘のことなど忘れて、前を向いて生きてくれと。

 しかし、彼女はそんな両親ににっこりとほほ笑みかけると、首をふる。


―いいえ、お母様。私は永遠に親友だった娘さんのことを忘れません。いいえ、忘れられる訳がありません。これからも娘さんは、私の生涯で一番の友達です。娘さんをこの世に産んでくださってありがとうございます。私は娘さんと出会えて幸せでした。


 母は声をあげて泣いた。そんな母を彼女は抱きしめて、なだめるようにその背を撫でた。その横で父も声を押し殺して、泣いていた。


「……」

 それを私は冷めた心地で黙って見ていた。



 なぜ私を殺した彼女は、毎日私に花を贈ったのか。

 それは私への良心の呵責でもなんでもない。

 そして、それは自己の保身のためでもない。

 自分の評価をさらに上げるためだ。


 そこまでして、何故自身の評価にこだわるのか。その理由は未だに分からない。別に家族からそうであることを求められている訳でもなさそうだった。彼女本人に、人から評価されることへの執念に近い欲望があるとしか思えない。


 そして、何故彼女は私をいじめたのか。その理由も未だにわからない。誰の目を気にすることもなく、自由に動ける今でもわからない。


 しかし、彼女について、この地上で私だけが知っている事実がある。

―お前は、クラスから私の居場所を奪うだけではなく、

―お前は、この世から私の居場所を奪うだけではなく、

―お前は、家族の心の中の、私の居場所まで奪おうとしていることを。

 家族も学業も交友関係も何もかも完璧と恵まれている彼女が、なぜそんなことをするのかわからない。おそらく、この地上でそれを知っているのは彼女本人だけだろう。それならば、私は彼女じゃないのだから、わかるわけもない。幽霊になったからといって、万能になる訳ではないらしい。



 私の両親からの評価を跳ね上げた彼女は、それからしばしば私の家に来た。

 そして、私の仏壇の前で手を合わせ、にんまりと笑うのだ。

 そして、私のものだった部屋で、私のものだったベッドに寝そべり、私のものだった本を満足げに読むのだ。


 彼女が何を考えているのかなど分からない。私は心など読めないのだから。


 お母さんは、家の中で自由気ままに動く彼女を気味悪く思うどころか、愛おしそうな目を向ける。そう、まるで彼女が自分の本当の娘だとでもいうように。



「……」

 そこにいるべきなのはお前じゃない。

 そこにいるべきなのは私だ。

 なのに、私はそれを取り返せない。


「……」

 私は泣きそうな目で、彼女を睨む。

 私はいったい何のために産まれてきたのだろう。

 この女に私の居場所を与えるため?

 私は彼女のために産まれてきたの?

 今となっては、そうとしか思えない。



―あなたの名前は愛華あいか。誰もから愛される花になりなさい。

 この世に産まれてきたとき、そう言われはずなのに。


―お母さん、その花は咲く前に踏まれて枯れてしまったよ。

 お母さんの目の前にいるその女のせいで。

―なのに何故その女に、そんな目を向けて微笑むの?

 私は、愛華はここにいるのに。



 私はいたたまれなくなって、家を出た。行くあてもなくふらついていると、私が死んだ川に面する道路に出た。そのまま進み、河川敷で力なくしゃがむ。芝生の河川敷には、白詰草がちらちらと咲き始めていた。


―白詰草の花言葉は『復讐』…。

 もしも、この場に悪魔が出てきて「彼女に復讐したいか」と問われれば、この魂を売ってでもしただろう。しかし、そんな架空の生物がいるわけもない。

 だから、もう何もできない。この花すら自身の手で摘むことができない。せめて生きている間に、なけなしの勇気を振り絞って、彼女の頬を一度ぐらい叩いておけばよかった。





―それは彼女のための愛華

 おしまい

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それは誰かのための哀花 鮎川 拓馬 @sieboldii

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