第8話 わからなくていいよ

私らしくあるために

私は私を演じ続ける。

私―霞美―は、こうあるべきなんだと。



演じる、ってどんな気分なんだろうか。

テレビによく出てくる俳優、はたまた通っている高校の演劇部の部員だったり。

自分以外の誰かの真似をする。表現する。自分を抑えて。

自分を抑えられるほど、誰かになりきれる。表現できる。

実際、そこまで難しく考えるものではないのかもしれないけれど。

そんなとりとめのない事を、いつもより頼りない文字が埋めている黒板を見ながら考えていた。

今は文化祭の出し物を決めるHRの真っ最中。

教室の窓際の列、真ん中より少し後ろに座る私は、いつもより騒がしい教室で、影を薄くするように何もしないでいた。

要するにイベントが面倒なのだ。

黒板には、実行委員が書き連ねた様々な案が並んでいる。

メイド喫茶、お化け屋敷、劇。

テンプレのような案がいくつも並ぶ。

正直なところ、どれに決まっても面倒そうなので、せめて役職が当たらない様に存在を消してやり過ごすしかなかった。

「……これはどれも面倒くさそう」

一瞬、心の声が口に出たかと思ったが、すぐに違うと気付く。

その声の主は、中学からの友人である澄香だった。

「なんかやるのは全力で回避したい所だね」

「だね」

「アタシは化学部の出し物もあるしなぁ……」

澄香は明るい性格で、一見運動部のエリートっぽく見えるけれど、本人曰く運動は疲れるから嫌らしく、化学部で実験をしている方が面白いと言う。

私は、自分で言うのもなんだが、若干根暗な方だと思う。

澄香のような人と気が合うのが、なんとも不思議だ。

「メイド喫茶とかにしたところで、誰がメイド服着るんだろうね」

「責任とって委員のアイツとか」

その後も目立たない様にひそひそ話をしている間にHRは終わり、今年の文化祭での自由が保証された。

「いっしょに帰ろう、霞美」

「うん」



胸焼けするようなオレンジの夕焼けを見ると、ふと思い出す過去がある。

あの日も、ちょうどこんな夕焼けが見えたっけ。


同じクラスの男子に、告白された日。


嫌な気は、しなかった。だからOK、と返事をしたのだ。

でも私は、付き合う事が、「好き」が、よくわかっていなかったのだ。

私は、どんどん迷子になっていった。

彼の前で、どんな自分でいれば彼は喜んでくれるの?

そんなことを考える様になっていた。

相手が好きだから、じゃない。相手に否定されない様に。

否定されるのは誰だって怖い。

私は、どう彼と接すればいい?

彼にも話せずに、私はどうするべきなのか、そんな底なし沼にはまっていった。


その後、何もわからなくなって、私の方から別れを切り出した。


未だに、私は底なし沼に溺れたままだ。



帰り道、沈みそうな夕焼けに照らされる彼女の顔

いつもは無表情で、それでいても微かに変化する表情。

いつの頃からかはわからない。

そんな彼女の横顔を見るのが好きだった。

なんで好きなのかもわからない。

化学式みたいに、はっきりわかるものがあればいいのだけれど。

でも、はっきりわかってしまうのも、なんだかなぁ、とも思ったりする。

彼女が、ちょっとだけ笑うと、胸の底が熱くなる。


その笑顔を独り占めしたい、とも思う。


「どうしたの?」

「あっ、いや、ううん。何でもない」

彼女と目が合うたび、赤く染まる自分の頬を、沈みかけている夕焼けのオレンジのせいにした。



「霞美」

ベッドに横たわった彼女は目を閉じたままだ。

「霞美」

目を覚ます気配は一向に無い。

身体が熱っぽい。視界も心なしか霞んで見える。

私の身体が熱っぽいのは、風邪をひいているからではない事は容易に分かった。

「霞美」

いつもの無表情がちょっとだけ緩んで、微かに唇が開いている。

色っぽく見えてしまうのは、脳内補正がかかりすぎているのかもしれない。


ここなら、誰にも見られない。


そもそもここは何処なんだろうか、誰にも見られないなら、してもいいことなのだろうか。

でも、そんな事はどうでもいい。


「霞美」


何かに吸い込まれるように、顔を近づける。

残るキョリは、あと何センチ?


「……澄香」


暖かくて柔らかい引力を感じた後、視界が闇に落ちた。



はっ、と目が覚めた。

まだ部屋の中は暗い。

枕元の時計は午前4時を示していた。

体内時計の狂いにしては随分と早い時間だなぁと、心の中で冗談めかしてみる。

さっきまでの浮かされたような熱さが、身体に残っている。

「夢……、だよねぇ」

見知らぬ部屋は、自分の部屋に変わっていた。

もちろん霞美はいない。


「これじゃ完全に本気じゃん私……」


何がどうこじれて、今の気持ちになったのかはわからない。わからないことだらけだ。

独り言は、夜明けの空気に吸い込まれていった。



後夜祭にキャンプファイヤーなんて、誰が始めたのだろうか。

しかも全校生徒強制参加である。人数が少ないからこそできるのだろう。

私は澄香と、キャンプファイヤーから少し離れた所にあるベンチに座っていた。

祭りの後の浮かれた雰囲気は、ここまでは届いていない。


「終わったね」

「何もしてないけどね」

文化祭の間はいろんなブースをふらふらと見ていただけではあるが、イベントの終わりの時は、少しだけ気分が高揚する。

「あ、あそこで誰か告ってる」

霞美の視線の先、人の輪の中心を見ると、男女二人が向かい合っていた。

野次馬の雰囲気を見るに、成功したのだろう。

「こういう時に告白するのって、なんかすごいね」



そうか

今なら

雰囲気に当てられたことにすれば


「―ねぇ、霞美」


「何?」


「私、霞美の事が好き」



好き


いつかの日に、言われた言葉。

私を底なし沼に突き落とした、魔法の言葉。

でも、今はあの時とは、何かが違う。

何かが、熱を持った何かがこみ上げてくる。

頬を、一筋の雫が伝った。


「ご、ごめん……、嫌だった?」

澄香が困惑している。

こみ上げてくるものは止まらなくて、わけも分からず、涙が溢れ出てくる。


「わからない、わからないよっ…。でもなんで、なんでこんなに苦しいの…?」


もう頭の中はぐちゃぐちゃだ。

昔の事も、今の事も、あの男子との事も、澄香の事も。

女同士だからということも。


「ごめん…、わたし…、わからない。何もわからないよっ……」


次の瞬間、柔らかな衝撃とともに暖かいものに包まれた。

澄香に抱き寄せられたと気づくのに、少し時間が掛かった。

頭の中も顔もぐちゃぐちゃな私を、ぎゅっと抱きしめてくれている。


そして、澄香は耳元で囁いた

「わからないままでいいよ」

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