200本目はコレ!

『ジョーカー』 逆タクシー・ドライバー

 精神を病んだ冴えないピエロが、悪のインフルエンサーになるまで。


 見た人のほとんどが、本作のジョーカーは悪のカリスマとしては描かれていないと評価している。

 あれは「悪のインフルエンサー」なのだと。

 

 よって、ヒース・レジャーの演じたジョーカーのようなものを期待した人は、すごくガッカリしたという。


 だが、本作において需要なのは、「ただの人がまき散らす悪意の恐ろしさ」である。

 そこが分かった途端、この作品の怖さが牙を剥く。


 銃を握らされたのも、ヒーローモノによくある悪のカリスマから誘惑を受けて手に入れたワケではない。単に同僚のイタズラ心からだ。

 しかし、その銃が人を殺め、ジョーカーとして生きざるを得ないきっかけになった。



 そういった数奇な巡り合わせも、もの悲しく、いつどこで道を踏み外すか分からないというのをプロットで現している。


 ネタがウケず、社会からつまはじきにされ、蔑まれる場面は重苦しい。



 それだけ後半の暴動が正当性をおびてくる。

 この心理操作が実に怖い作品だ。


 故リバー・フェニックスの弟、ホアキン・フェニックスの演技も素晴らしい。


 冒頭のバスで、ホアキンは俯いている。

 子どもをあやしても、母親から避けられてしまう。

 下を向きながら窓の外を見つめるホアキンの目からは、将来の不安しか映らない。


 しかし、パトカーに乗っているホアキンの清々しい目の輝きときたら!

 街は暴動に包まれ、燃えさかっている。

 その地獄を見つめながら、まるでようやく自分の居場所を見つけたように外を見上げる。


 とても、二時間前まで同じ人間だったとは思えない。


 本作の一番恐ろしいポイントは、

「誰でもジョーカーになり得る」

 という点にある。


 彼は自分を暴行した証券マン三人を殺す。


 終盤で彼はTVショーに呼ばれ、罪を自白する。


「周りはボクを踏みつけても誰も気にも留めやしない」


「なのに、『ウェインが悲しんだ』って理由だけで、証券マン三人が死んだら悲しむのかよ!」


 このように、善悪、面白さの基準は決められていると彼は主張する。


 社会不適合者の意見は通らないという不満が爆発した姿が、ジョーカーだと。


 そんな不満は、現在誰でも持っている。

 社会不安や不満は、どの社会でもありふれている。


 決して、特殊環境にいるから、特殊な訓練を受けているから悪に染まったわけじゃない。


 ジョーカーは火を付けただけにすぎない。

 

 誰よりも人の弱さが分かるだけに、誰よりも悪のカリスマとして開花したのだろう。


 彼が最終的に殺したのって、ロバート・デニーロなんよね。

『タクシー・ドライバー』の。



「ああ、今って逆なんだ」と思った。



 見知らぬ誰かを助けてちょっとした英雄になるだけじゃ、見ている人には刺さらないんだ、と。


 悪徳政治家を本気でやっちまう方が、刺さるのか。



 トラヴィスは何も変わらず、何も変えられなかった。


 しかし、ジョーカーは見る人の正義感すら変えてしまった。




 一部の視聴者の価値観をまるっと変えてしまったこの映画、7月にNetflixで見られるらしいぞ!

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