僕は何度も生まれ変わる
十文字青/角川スニーカー文庫
巡りゆく序章
生まれ変わりを信じるか?
くだらない。死んだら生まれ変わるなんて迷信だ。ありえない。
そう思うか?
もしきみに前世の記憶があったとしたら、どうだろう。
たとえば、こんな具合に。
電車が揺れた。とっさに手をのばして吊革につかまろうとしたら、右隣の乗客に腕がぶつかった。
「あ、ごめんなさい」
慌てて謝ると、隣の乗客は無言で軽くうなずいた。薄着の若い女性だ。さわんなよキモオタ、とでも思っているのか。舌打ちをする寸前のような表情で、女性は手に持ったスマホの画面を見ている。いたたまれない。かといって、移動するのも変だ。
「……すみません」
もう一度小声で謝って読みかけの文庫本に目を落としたら、すぐ後ろで「おっ」と声があがった。
振り返ると、短い髪を逆立てた男が軽く目を瞠っていた。横縞のポロシャツを着て、デニムの半ズボンを穿いている。日焼けした馬面に見覚えがあった。
「もしかして」
たしか高校が同じだった。でも、名前が出てこない。
男が焼けすぎて黒ずんでいる顔を笑わせた。
「久しぶりだな、おい! おまえもこっちにいたんだ、高校卒業して以来か? 元気にしてんのかよ?」
やたらと声が大きい。隣の女性が迷惑そうに眉をひそめている。やっぱり高校の同級生か。名前は思いだせない。だいたい、仲よかったっけ。たぶん口をきいたことはある。その程度の浅い関係だったような。
「ああ、うん、それなりに……」
曖昧に答えながら、なにげなく同級生の手許を見ると、スマホが目に入った。最新型のアイフォンか。しかも、たぶん一番高い機種だ。画面に何か表示されている。
「……ゲーム?」
「これな。最近ハマってんだよね。そういえばおまえ、ゲーム詳しくなかった?」
「いや、そんなでもないけど……」
うやむやな返事をして、文庫本をバッグにしまってから後悔した。これだとまるで会話を続けたがっているみたいだ。むしろ、本の続きを読みたいのに。
同級生はスマホを尻ポケットに突っこんで、斜め上のほうに目をやった。あてどなく話題を探している。そんな顔つきだ。
「まだ暑いよなぁ」
「ほんと」
「何、どっか遊びに行くの?」
「まあ、そんな感じ」
なぜか嘘をついてしまった。本当はふつうに仕事なんだけど。
土曜の昼前なので、車内はさして混んでいない。優先席はぽつぽつ空いている。
「えっと、……そっちは?」
「俺はこないだ合コンで知り合った女と、飯食って、水族館でも行って、みたいな? たいしたことない女なんだけどさ」
「ふうん……」
見れば、同級生が肩に掛けているボディバッグはルイヴィトンだし、服もなんとなく高そうだ。合コンで女と知り合う。休日にその女とデートする。何もかも非現実的な話にしか聞こえないが、この男にとってはよくあることで、今日の相手はたまたま「たいしたことない女」なのだろう。
来年にはいよいよ三十路に足を踏み入れようという大の男が、出会いを求めて合コン三昧ですか。ところで合コンってどうなの? それ、おいしいの? デート。デートねえ。学生気分かよ。あれ? デートって社会人もするものだったりする? ちょっとよくわからない。何しろ、経験がないもので。
できることなら、そのデート相手に告げ口したい。これからデートする男が、あなたのことをたいしたことない女とか言ってましたよ。
心を無に近づけながら、クソ野郎の話に相槌を打ちつづける。ちょっとした苦行だった。電車が停まって、ようやく素直に笑えた。
「じゃ、ここだから」
「そうなんだ。今度連絡するからさ、飲もうぜ。またな」
「うん。また」
連絡? 電話番号もLINEも知らないのに? どうやって? どうだっていいか。
電車を降りて、ふだんより急ぎ足で階段に向かう。階段を下りて改札を通り抜けるころには、びっしょりと汗をかいていた。駅を出ると、凶暴な陽射しが突き刺すように襲いかかってきて、熱気で噎せそうになった。
「殺す気かな……?」
日陰に駆けこんだら、ため息がこぼれて足が止まった。
「昨日はぎりぎり終電で帰れたけど。今日中には終わらないだろうし。明日もか……」
通りすがりの女子大生風の女性が一瞬、侮蔑的な視線を投げてよこした。はいはい、独り言、独り言。キモくてごめんなさい。わかってます。自覚はあるんだけど。キモがられるのは慣れているが、つらい。
傷心を抱えてバッグからスマホを出した。ホーム画面に各種アイコンが並んでいる。ゲームアプリのアイコンが目にとまった。タップするな。するな。するなよ。もう何日も起動していない。基本無料の課金地獄からは足を洗うつもりだ。いっそアンインストールしてしまえばいいのに、そこまでは思いきれない。
弱い自分を慰めようと、〈写真〉のアイコンを押す。ただちに保存済みの画像が一覧表示された。
ラグドール、マンチカン、ソマリ、スコティッシュフォールド、ロシアンブルー、三毛猫、色とりどりの雑種たち。どれもSNSやウェブサイトで拾った猫の画像だ。
いい。
猫はいい。
自然と顔がゆるむ。自分は今、最高にキモいだろう。最高じゃなくて最低か。どっちでもいい。それがどうした。猫はいい。
「よし」
元気になった。スマホをしまう。日陰から出た途端、またくじけそうになった。
何、この暑さ。
暑い。暑い。暑いったら暑い。暑すぎて、もはや熱い。熱い。熱いよう。亜熱帯とは思えない。完全に熱帯だよ。控えめに言っても、生きているのが億劫になるほど暑い。陽射しが痛すぎて、目を細めた。
正面の歩行者信号が点滅している。間もなく赤に変わるだろう。渡りきれそうにないので、立ち止まった。そのときだった。
すぐ横を小学校一、二年生の男の子が駆けてゆく。危ないな、と思って車道を見た。
ものすごい勢いで、ごつい白のSUVが近づいてくる。
女性が叫んだ。待ちなさい、とか何とか。きっとあの男の子の母親だ。
うっかり飛びだしてしまった。クラクションが鳴り響く。引き裂くようなブレーキ音。正直、焦った。そりゃ焦るわ。この状況で焦らないほうがおかしい。男の子が振り向こうとしている。だめだ。だめだって。間に合わない。今さら引き返しても手遅れだ。しょうがない。男の子の背中を押した。思いきり突き飛ばしてやった。
気がつくと、仰向けになっていた。
……あれ?
どうなったんだろ。
体が動かない。目もちゃんと開かないし。よく見えない。これ、やばいかも。
あの子、大丈夫だったかな。
ひとの心配してる場合じゃないか。
何やってんだ。
泣きたくなった。泣けないまま、暗闇が落ちてくる――。
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