禍津神の詛ふ影

ユキガミ シガ

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 校内放送が、何度も、何度も、何度も、繰り返し名を読んでいる。

 夢なのは判った。何度も見ている夢だったからだ。

 去年の十月まで通っていた中学の、校舎の廊下に一人立っている。前を見ても、後ろを見ても、誰もいない。廊下の外側についた窓の外は真っ暗だった。風景は見えず、タールのような闇が校舎全体を覆っている。

 明らかに現実とは違う。それでもこれは過去の夢と言えた。過去をベースに構築された夢だ。

言代煌ことしろきらくん、職員室まで――」

 抑揚のない、機械的な声で、繰り返し呼ばれる名前。嫌だ、と思った。どうにか目覚めたい。早く、ここから逃れたい。

 思いながら、どこまでも続く廊下を只管歩く。目覚めることが叶わないのならば、進むしかない。留まっていても何も変わりはしない。でも辿りつけない。職員室はおろか、今真横にある教室がどこなのかも判らない。それでも、延々と歩き続けている。

 埒が明かないと判っている。けれど、彼は進み続ける。廊下だけが永遠に続く夢の中で只管に。

 歩いて、歩いて、汗を拭って、走って、立ち止まって、結局、再び歩いて。

「言代煌くん、職員室まで――」

 放送はどこまでもついてくる。耳を塞ぐ。それでも歩く。

「言代煌くん、職員室まで――」

 放送は尚も名を呼ぶ。判っている。これは過去の夢だ。覆らない、消え去らない、純然たる事実だ。判っている。でも、耳を塞ぐ。

 耳を塞ぎながらも、歩き、歩き、歩きつづけ、立ち止まり、歩き、やがて、歩くのにも疲れ、最後には壁を背に蹲った。体をできるだけ小さくしてやり過ごそうとする。目を固く閉じる。

 突然、強い耳鳴りが始まった。頭痛の気配を感じさせる強烈な感覚。冷や汗が伝う。十秒か、二十秒か…それとも、もっと長くか。

 気付くと、違う音が聞こえていた。


 ざああ、ざああと―――。


 しなるモウソウ竹が音をなす。目を開くと、そこは竹林だった。

 神主の振る大幣おおぬさのように緩やかに、大きく、ゆらり、ゆらりと揺れる竹の下で、寒気を覚えながら立ち尽くしていた。全身が硬くこごったようになり、指先すら動かない。

 ああ、来る――。

 脳裏にひらめくのと、ひと際強く風が吹くのが、ほぼ同時だった。反射的に目を閉じてから、瞼は動くのだな、などと奇妙な感心を覚えながらも、再び目を開く。

 そして、視界にその姿を捉えた。

 女がいる。こちらを背を向けて立つ、女がいる。

 美しい、ぬばたまの黒髪をもものあたりまで伸ばし、それを風になぶられるがままにしている。ゾクリと肌が泡立つ。海老茶の着物をまとっていたが、よく見ると素足で、足袋たびすらつけていない。

 これは、とても恐ろしいものだ。

 判ってはいるが、すくんだ体は動かない。せめて目を閉じようかと思って止める。見えているのに見ないなど、恐ろしくてできそうにない。視線の先で、女はゆっくりとこちらに向き直ろうとしている。

 思った直後、目の前に立つ女を見た。

 驚きのあまり見開いた瞳が捉える視界の、殆どを塞ぐほど近くに、どのようにして瞬時に移動したというのか。凡そ三メートルあったはずの距離を、瞬く間に移動できる人間などいない。

 もっとも、この女が人ならば、だが。

 その毒々しい赤い唇が笑みの形でゆっくりと開く。真っ赤な舌が覗く。鉄漿おはぐろのようにどす黒い、生臭い液体が、その口の端を伝って落ちる。

 女が何か囁いている。

「――――、―――」

 ああ、このまま、自分は喰われるのか。恐ろしい。誰か…誰か……。






 誰か、助けて―――。

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