忘却は許されない

篝遊離

忘却は許されない

「一緒に帰ろ、サラ」

「うん」

 教室の入口まで来ていたツバキに声を掛けられ、サラは応じる。廊下側、前から二番目の席。友達と帰ろうという時には便利な位置取り。

 教科書が詰まった重たい灰色のリュックを肩に背負い教室を出る。うすっぺらな黒いスクールバッグを持ったツバキの左側に並び歩きだす。二人が共に行動する機会はそう多くない。

 山本ツバキは生徒会の会長、テニス部の副部長、クラス長、放送委員長、などなどの役職を兼任するツバキは毎日忙しい。いったいいつ勉強してるのか、成績だって学年トップ10から落ちたことはない。

 図書委員会と文芸部に所属し、のんびり本に触れる日々をおくる牧野サラは、特に役職を持ってるわけでもなく基本的に暇人。勉強する時間はたっぷりあるので成績はだいたい学年30位以内。

 ひょろりと背の高いショートヘアのサラ。サラより背は低いけど健康的な肉付きでポニーテールのツバキ(胸も大きい)。人気者と大人しいの。派手なのと地味なの。いろいろ違う二人は小学校からの幼馴染だった。

 高校三年生は真面目に進路を考えないといけない。今週はそのために先生と真面目なお話をするための期間。新しいクラスに馴染んだようなそうでもないようなGW明け。忙しいツバキと暇なサラが一緒に帰ることができる貴重なタイミング。

「サラは進路どうすんの?」

「どっかテキトーに大学行くよ。ツバキは?」

「私も進学かな。××大学。親がそこ行けって」

「日本一のとこじゃん。さらっと言うなよ」

「普段は仕事で家を空けてばっかりなのにこういう時は保護者面してくるんだよねぇ、父さんも母さんも」

 ツバキの声がワントーン落ちる。彼女の両親は共働き。どちらも企業の重役、海外出張だのなんだので家にはトンボ帰りが多く、ツバキはいつも一人。そんな両親のことはあまり好きではないらしい。

しかし彼女は「サラがうちに入り浸れるんだからいいじゃん」とのたまっている。実際試験週間などには泊まりもよくするし、それ以外でもサラは頻繁に遊びに行くが。

 あんまり健全な状態ではない彼女の家庭が心配だ。だから幼馴染を見守ることも兼ねて、誘われたらなるべく家に向かうことにしている。テキトーなご飯ばかり食べてる彼女を時々サラの家へ晩ごはんに誘うが「ご両親に悪いから」といつも断られる。

「サラも私と同じとこ行こうよ」

「無茶言わないで。私頭悪いし生徒会長さまと同じ大学なんて無理」

「高校受験頑張れたんだからいいじゃんか」

「今だってけっこうひーひーしてんだからね」

「サラの成績ならどうにかなるよ」

「必死こいて勉強してもあんたに追いつけないのに、無理だっての」

 ツバキはそれ以上何も言わない。サラも特に何も言わない。サラが下駄箱から取り出したs黒のハイカットスニーカーを雑に放る。ツバキは茶色のローファーをとんとんとつま先を床に当てている。二人並んで校門を出る。

「サラと別の大学になっちゃうのやだなあ」

「頭のいいあんたと高校一緒なのがそもそも奇跡なんだって」

 小学校からの幼馴染。ツバキは昔からすごい奴。何をやらせてもだいたい一番。先生からもみんなからも褒められていた。地味で大人しい本の虫となんで仲良くしてくれるのか、正直サラにはよくわからない。

 釣り合わないのをわかってて友達をやるのは時々、少しだけ辛くなる。ずっと彼女と共に生きることを想像してみると、けっこう暗い気持ちになる。もちろんツバキには内緒。

「私らさ、いつまでも一緒ってわけにはいかないでしょ。ツバキはいつかすごい奴になるんだから」

「何すごい奴って」

「世界を導く政治家とか世界を変える研究者とか」

「うっわーサラ中二病」

「どこが。いいじゃんかっこよくて」

「私は、何にもなりたくないな」

 校門を出てしばらく歩いた先。横断歩道の前で二人は足を止める。ツバキの方を見る。表情がない。

「なんで」

「わかんない」

「ふーん。まぁ別にいいんじゃない」

 ツバキは自分と違って望めばなんにでもなれる。何にもなりたくないなんて、傍で聞いたら傲慢以外の何物でもないだろう。

 しかし、サラはツバキを肯定する。いい悪いは別として、サラの考えを受け止めてやる。

「私が路頭に迷ったら助けてね」

「家賃いれてくれたらね」

「厳しー。サラは何になりたいの?」

「さぁ。平穏に生きれればそれでいいよ」

「私の部下とか秘書になるのは?」

「私そんな有能じゃないから」

 ツバキが寂しそうな顔をした。申し訳ないけど事実だ。

 ツバキはもっと高い場所へ行く人。これ以上ついていくのはきっと無理。彼女の人生を邪魔したくない。

 ツバキの隣にずっといられるほど自分は優秀な人間ではない。どこまでも平凡な、今のところはただの受験生。ツバキは友達。すごい奴なのに凡人の私と仲良くしてくれる。そんな彼女が言うから、教師に無茶だと言われても無茶して今の高校に入った。

 さすがに大学までは無理だが、なるべくならツバキの助けになりたい。自分に出来る範囲でツバキを支えたい。ツバキの為すことを見届け、ツバキのことを全て肯定してあげたい。

「勉強頑張らなきゃなぁ」

「私がみてあげるよ」

「よゆーだねぇツバキは」

「サラも認めるすごい奴だからね、私」

 平凡な女子高校生牧野サラの願いを知ってか知らずか。ツバキは楽し気に微笑むのだった。






 夏は飽きもせずに毎年やってきて日本人を暑さと湿気で苦しめる。容赦のない太陽光で肌から気力まで焼き尽くされそうな気分。

「あー家最高! クーラークーラー、つけなきゃ」

「ツバキ。補習、でなくていいの」

「サラこそ」

「それは、ツバキが受けるなって言ったから」

 夏休みが始まり、同級生たちが夏休み期間の補習や塾の夏期講習で忙しくする中、サラは今日もツバキの家、彼女の部屋にいた。もちろん二人で勉強するためだ。

 サラは補習も何も受けないのは不安だったが、ツバキが「教えてあげるから補習行かないで家にいて」というからしょうがなくここにいる。塾も補習も行かず人に教える余裕すら見せる幼馴染、相変わらずすごい。

 ツバキの家は埃っぽい。ほとんど帰らない両親の代わりに一軒家を一人で綺麗に保つのは大変なのだから仕方ない。時々サラが掃除の手伝いをしたりするが。どこか淀んだ空気にももう慣れた。

「合格できるかなぁ」

「大丈夫だって。この私が××大学受かるくらい偏差値爆上げしてあげるよ」

「それはさすがに……なんでそこまで一緒のとこに拘るの」

 クーラーのリモコンをいじってたツバキは、もう勝手知ったる様子で冷えた麦茶を用意していたサラを見つめた。なんでもできる神に愛された天才は、しっかり美貌も備えている。直視がちょっと厳しい。

「サラと一緒じゃなきゃつまんないから」

「小学生か」

「サラと一緒にいれるなら小学生でいいもん」

 大真面目な顔でそんなことを言う。そこまで言われてしまうとどんな顔をしたらいいかわからなくなる。なんでこんなにも懐かれてるのか、ずっと一緒にいても未だによくわからない。

「まあいいや。勉強教えてよツバキせーんせ」

「よーしまずは、参考書のこの辺からどう?」

「それ理系数字の範囲だよね? 私文系なんだけど」

 ずっと一緒にいられたら、というのはサラだって思っている。でもそんなのはムリだ。

 ツバキは遠くへ行く人。輝かしい未来に進む人。サラはおそらく平凡な人生をおくる。普通に生きて普通に死ぬ。波乱もない代わりに、誰かに顧みられることもない。

 大好きな友達の邪魔をしてはいけない。だからサラは、少しずつツバキのもとを離れる準備をする。

「夏が終わんなきゃいいのにな」

「ずっと暑いまんまだよ」

「わかってるけど。いつまでもこの時間が続けばいいのに」

 ツバキの言葉が何故だか少しだけ耳に痛い。暑さやモヤモヤを全部麦茶で流し込んで参考書に向き合う。数字の羅列を見てると面倒なこと全部忘れられる気がした。






「先輩! こんにちは!」

「うん、こんにちは。部活頑張ってるみたいだね」

「はい!」

 夏が終わり、秋の足音が迫ってきている。

 生徒会も部活も引退したツバキは廊下を歩くたびラケットを肩から下げた後輩たちにみんなに愛想を振りまいている。

 不愛想で人付き合いがあまり得意でないサラは、とりあえず可愛らしい声をあげる知らない後輩たちから少し距離を取る。友達の友達とか、その類は苦手だ。どんな顔してたらいいのかわからない。

 憧れの先輩と話せて色めき立つ後輩たちと別れ、校門を出て家路につく。ごく自然にツバキの家の方に足が向いていることに二人とも何も疑問を感じない。

 ツバキの両親は相変わらず家に帰ってないらしい。サラも最後に彼女の親を見たのがいつだったか、毎日家に行ってるのにもう記憶にない。

 夏が過ぎればあとは勉強に専念するだけ。高校二年生まであまり一緒にいれなかった時間を取り戻すように、二人で一緒にいる時間がどんどん増えていく。

 登下校も、授業後も。学校が開いてくれてる補習の類はツバキが教えてくれるというから相変わらずとってない。

「相変わらず人気者だね、ツバキ」

「羨ましい?」

「いや別に」

「嫉妬した?」

 ツバキが立ち止まる。緩い上り坂で数歩先を歩いていた彼女にほんの少し見下ろされる。真っ赤な逆光。目を細めたのは西日のせい。

「何に」

「……なんでもない」

 ツバキがまた歩き出したからサラもついていく。ツバキは無表情だった。さっきまであんなに笑っていたのに。

「ツバキ、なんか怒ってる?」

「ううん」

「顔が怖い」

「ごめん」

 ツバキはサラの前ではあまり笑わない。理由を聞いたら「めんどくさいから」と言われた。正直わけがわからない。

 もう慣れたとはいえ、サラ以外に見せる顔とのギャップには今でも息が詰まる。

 サラだってあまりたくさん笑う方じゃない。でもツバキの前では普段より表情が緩い自信はある。一緒にいるのが楽しいからだ。

 みんなにするのと同じように笑ってくれたらいいのに。そういう意味では、確かにさっきの後輩たちに嫉妬しているのかもしれない。

「ツバキ、ちょっと笑ってみ?」

「え? こう?」

「あらかわいい」

「サラもほら」

「……」

 サラもやれよーと肩を揺さぶられる。こういうテキトーな話し方、子どもっぽいところを見せるのは多分サラの前だけだ。それは、とても嬉しい。

 見せてくれるものと見せてくれないもの。意味とかそういうのを、いつか彼女は教えてくれるのだろうか。自分はいつか聞き出せるのだろうか。

「早く帰って勉強しよう、ツバキ」

「あそこ私の家なんですけどー」

 自分の前で自由に振る舞うツバキが好きだ。ツバキはどうだろう。サラのことを、どんな風に好きなのだろうか。何故だか、怖くて聞けない。






「私ね、好きな人がいるの」

 暖房のよく効いた埃っぽいツバキの家、多少マシなツバキの部屋。急にそんな話をされサラは固まる。

「大丈夫?」

 ツバキに頬をつつかれ我に返る。ちょっぴり顔の赤い幼馴染につられてこちらの顔まで赤くなってる気がする。

「好きな人って。ついに? ついに彼氏ができるの?」

 ツバキはなんでもできる天才で、当然のように顔も可愛い。男子からの告白だってサラと出会う幼稚園の頃から数えきれないくらいされてるらしい。

 でも一度だって恋人がいた、できただなんて話は聞いたことがない。「彼氏なんか作ったらサラと遊べなくなるでしょ」と、ツバキはそんなようなことを以前言っていた。

「できないよ。だって告白しないもん」

「なんで」

「受験前だし」

「ツバキ、受験よゆーなんでしょ。なら」

「無理だよ」

 ツバキがカロリーメイトをかじりながら言う。どこからどう見ても不健康極まりない昼ごはん。親がほとんど帰ってこないことを考えても心配になってしまう。自分に料理の才能がないことが恨めしい。

「振られたら泣くし」

「ふーん……」

 神に愛された天才の怖いモノ。当たり前だけどツバキも人間だ。案外自分たちと変わらない。恋に悩むツバキ。何故だか少しだけ安心する。

 嫌な気分だ。どろどろしたものがお腹の奥で渦巻く感じ。少し吐きそうなのを我慢する。

「ツバキに告られて振る人なんかいないでしょ。大丈夫だって」

「わかんないじゃんそんなの」

「よゆーだって。なんなら股だって開いてくれるよ」

「えっ突然の下ネタ」

 ツバキが顔を覆うふりをした。二人でケラケラ笑う。お互い下ネタは平気な方だった。大人がいないツバキの家でインターネットなどを駆使して色々見たものだ。いらん知識も含め同級生たちの誰よりもそういうのに詳しいという無駄な自負がある。

「すごいねー、ツバキをビビらすほど素敵な男。誰なの。私の知ってる人?」

「内緒」

「いいじゃん教えてよ」

「やだ!」

 ツバキは頑なだった。サラにはだいたいなんでも話してくれる彼女が言いたがらないのだから、これ以上追求する理由はない。

 ツバキが見事意中の人を射止めることができたらお祝いしてあげよう。彼女と遊べる時間は減るのだろうが、それも仕方ない。彼女が幸せならそれでいい。

 しかしツバキはどうしてこのタイミングで、そんな話をしてきたのだろう。

「頑張ってね、ツバキ。きっと大丈夫だから」

「……うん。よーし、股開かせるぞー」

 想い人の正体もこの吐き気も。視線を外すツバキが可愛いから全部どうでもよくなった。






「留学しろってさ。海外のなんかすごい大学に」

 ツバキは興味なさげに、でもうんざりした顔で言った。朝降った雪がまだ残る坂道を今日も二人で歩いている。

「……このタイミングで? 一月だよ?」

「ずっと家を空けて未成年の娘をほったらかしにしたと思ったらこれだよ。父さんは華麗な学歴娘が欲しいだけなんだ。母さんもそう」

 親の話をするツバキの声は無味乾燥。乾いた砂が零れるみたいに、温度がない。自分含め多くの高校生が通る反抗期とは違う。多分、ツバキは何もかも諦めてる。

「……帰ってきた? ご両親」

「ううん」

「どれくらい」

「……」

 ツバキは家でいっつも一人。サラがいない時、どうやって過ごしてるのだろう。今度ばかりはさすがに、サラも拳を握りしめる。

「私さ。いつも仕事で家にいない父さんと母さんに褒めて欲しかったからいろんなこと頑張ってきた。別にやりたくもないのに、でもあの人たちは褒めてくれない。私に興味なんかないんだよ」

 白い息を吐くツバキ。赤信号で立ち止まる。

「もっと駄目な子ならよかったのかな? そうしたら構ってくれたかな?」

 いつになく弱気なツバキ。こんな彼女は久しぶりに見る。親を恋しがってよくサラに甘えていた彼女はいつの間にかいなくなり、残ったのはいつも笑顔の優等生の山本ツバキと無愛想でサラを構いたがる山本ツバキ。

「私じゃなくてもいいんだよ。私なんか」

「ツバキじゃなきゃ困るよ」

 サラはツバキの手を取った。とても冷たい手。前を向いたまま。信号はまだ赤。

「ツバキは私の友達だから。どんなツバキだって、私の友達だよ」

 なんでもできるツバキの、弱いところはサラが受け止める。いつからこんな風に思うようになったのだろう。でも間違いなくこれが、凡人である牧野サラの役目。

「やめたいなら、やめたらいいんじゃないかな」

「やめてどうするの。父さんと母さんが」

「ツバキを大切にしない人のことなんか考えたって仕方ないよ」

 言い切ってしまった。ツバキの人生になんら責任を持てないくせに。

「じゃあさ、サラ。私が全部投げ出しちゃっても怒らない?」

「それがツバキの決めたことなら」

 ツバキが望むなら、サラは肯定する。ツバキが幸せになるなら、なんだっていい。

「サラは私がどこに行ってもついてきてくれる?」

 ツバキの真っ直ぐな視線に固まる。

 なんだって肯定する。でも自分と共に在ろうとするツバキのことは認められない。

「……私じゃツバキの邪魔になる」

 信号が青になったから歩き出す。逃げ腰のエール。それでもツバキには届いたらしく、何かを決意するように彼女は笑った。

「私は遠くに行くことにした! もう疲れた。何もかも捨てる」

「遠くって?」

「さぁ……そうだな。好きな人に振り向いてもらえる私になれる場所、とか」

 ツバキは全て捨てるのだ。その才がもたらす輝かしい未来を。そして、好きな人を選ぶ。

 ツバキは才能よりも未来よりも家族よりも好きな人を選ぶ。それほどまでに愛される人。いったい何者なんだろう。

「ツバキがそうしたいんなら、いいと思う」

「ねえ、遠くに行ってもサラは私のこと、覚えておいてくれる?」

「もちろん」

「どれだけ遠くに行っても?」

「うん」

「約束して」

「約束する」

 ツバキを肯定するのがサラの役目。臆病な凡人の、唯一誇れる仕事。光に焼かれない距離で手をふる卑怯者。どうして友達でいてくれるのか。怖くて一度も聞けないまま。サラ以上に大切な好きな人が誰なのか聞く勇気もない。

 歩きながら指切りげんまんをする。ツバキが珍しくサラの前で笑っていたから、つられてサラも笑った。いつまでもこの時間が続けばいい。いつか誰かが言ったセリフが脳裏をかすめた。






 卒業式。元生徒会長として答辞を読むはずだったツバキは、その日の朝学校の屋上から飛び降りて死んだ。






 なんとか大学に合格したらしい。スマホで合格番号を確認してサラは一息ついた。

「合格したよ、ツバキ。祝ってくれる?」

 墓石が何か話すわけもない。その場にしゃがみ込む。亡き友を想う。

 数学の参考書にメモ書きが挟まっていた。何度やってもできなかった問題のページ。メモは毎日持ち歩いている。スマホケースのポケットから取り出して、読む。今まで怖くて開くことができなかったのをここで開く。

「牧野サラさん。あなたのことが好きでした。

 小一の時同じクラスになったの覚えてますか。その読んでる本何、って聞いたらいろいろ教えてくれて。その日家に遊びに誘ってくれましたね。それがすごく嬉しかった。そんなことでって思うよねきっと。でも真剣。

 サラは優しい。どれだけ甘えても怒らない。だからどんどん好きになりました。邪魔なわけない。いつまでだって一緒にいたかった。でもサラにはサラの幸せがあるもんね。気持ち悪いよね。

 今までいつも側にいてくれてありがとう。サラのおかげで今日まで生きられた。でも、もう嫌になった。

 忘れちゃダメだよ、約束。大好き。サラ」

 何度も読んだ。走り書きなのに綺麗な字だった。自殺について警察に聞かれた時もこのメモのことは黙っていた。葬儀で久しぶりに見かけた彼女の両親にも。誰にも見せないで隠した。今初めて読んで、膝から崩れ落ちた。






 何故、自分なんかを。そんな問いが頭から離れない。

 劣等感をずっと抱えていた。小学一年の時同じクラスになったツバキは、頭がよくて、運動もできるし、可愛いし。明るくて人気者。サラは勉強が苦手で、運動が苦手で、暗いし、可愛くない。

 自分と仲良くしてくれるツバキが嫌いだった。なんで仲良くしてくれるのかわからない。一緒にいると惨めで哀しくて、でもツバキが一緒にいてくれるのが嬉しかった。

 ツバキはどういうわけかサラのことが大好きらしくて、いつもいつでも側に寄ってくる。サラはツバキと一緒にいると辛い。少しでもその辛さから逃げたくて。ツバキの弱いところを利用した。

 ツバキは家族とあんまりうまくいってないみたいだった。家族に関する作文発表の前にサラの家で一緒に書いてた時そんなことを言っていた記憶がある。みんなの前では笑っているけどサラの前では笑わない。いつも寂しそうにしサラの隣にいる。

 だからサラはツバキを受け止めた。ツバキの全部を肯定した。そうしたらツバキが喜ぶから。そうしたら、なんだかツバキより上に立てたような気がして。

 そうすることで惨めな気持ちを忘れることができた。ツバキを憐れむことで自分を保っていられた。小学校も中学校も高校も、ずっとそうやってきた。

 ずっと彼女は近くにいて、ずっと自分はそうしていくのだろうと思っていた。

 下から見上げて、上から見下ろして。ツバキのことを一度だって真っ正面から見ていなかった。ツバキがどんなことを考えてるのか、今まで一度だって。

 こんなにもあっけなく彼女はいなくなった。あの時、ツバキが遠くに行くと言った時。一緒に行くと言っていたら、どうなっていたのだろう。嫉妬心と向き合ってちゃんとツバキのことを見ることができたら。

「私も、ツバキのことが好きだったんだよ。多分。憧れてたんだ。ずっと、ツバキみたいになりたかった」

 冬。墓石に向かって語りかける。大学三年生の冬。ツバキの三周忌。

「なんで私なの。なんで、ツバキ。わかんないよやっぱり」

 二度と答えの返らない問い。

「ごめんね。ツバキ。側に、もっとツバキの話……ごめん。ごめん」

 もう謝ることもできない。何も言えない。

 彼女を覚えておかなきゃいけない。だからツバキのことを追いかけるのは許されない。それは逃げだ。サラは生きなくちゃいけない。

 二人でいた時間は戻らない。続くこともなく終わることもなく、断絶した。あの埃っぽい家に魂を残したまま。

 人生という刑期が終わるのを、山本ツバキがいない世界で牧野サラは待っている。待ち続けている。





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忘却は許されない 篝遊離 @alekseevich

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