第5話 苦い記憶と江戸川乱歩
週刊誌上で大森望のコラムを読んだ。
江戸川乱歩没後50年を迎えて、ぞくぞくと作品が刊行されているという。意外に若い読者の評判も良く、いささか古い作品ゆえの、今日ではあまり使われなくなった言葉にやや苦労しながらも、楽しんで読んでいる様子などが紹介されていた。
大森望といえば、著書『21世紀SF1000』(ハヤカワ文庫JA)を思い出す。2001年から2010年までの国内・海外作品を余すことなく紹介している、恐ろしいほどのSF愛が感じられる一冊だ。恐ろしいほどとは、いささか不穏当かもしれないけれど、紹介している作品量が度外れていて、 畏敬の念を抱かずにはいられないほど。
古本屋(今は古本屋ではないですが)としては、手元に置いておきたい一冊だ。古本屋でなくても、どんな作品を読んだらよいか迷ったときには、参考になる一冊だと思う。
さて、江戸川乱歩といえば、いまさら僕が紹介する必要もなく、誰もが一度は作品を読んだことがあるのではないだろうか。読んだことはなくても、作品を原作とした映画やドラマを観たことがあるとうい人は多いだろう。
僕が江戸川乱歩を知ったのは、おそらくテレビのドラマだったように思う。
少年探偵団だったかな?
そんな僕が始めて読んだ作品は、おそらくドラマと同じく『少年探偵団』だったと思う。( 怪人二十面相だったかもしれない)
出版社もよく覚えていないが、幼少の折、よく祖父に連れられて行った温泉街の小さな書店で買ってもらった記憶が
子ども向けの装幀が楽しめた、ハードカバーの本だったと思う。
二度目の出会いは数年後、町に一件しかない本屋で中学生の頃に購入した『江戸川乱歩傑作選』(新潮社文庫)だった。
実はこの二冊、どちらも苦い思い出となってしまった。
作品全体から感じられる、明確には説明のできない「ナニカ」としか表現できない雰囲気……敢えて現在の自分の言葉で当時を表現すれば、どことなくアブノーマルを臭わせる雰囲気といったものが、幼・少年期の自分には正直合わなかったのだと思う。
その後、江戸川乱歩の作品を読むことはなく、その頃テレビで放送されていた、乱歩小説を原作としたドラマは楽しんで観ていたものの、書店へ出かけても、江戸川乱歩の作品を意識することはなかった。
そんな僕に三度目の出会いが待っていた。テレビドラマの影響もあったのか、理由はハッキリと覚えていないが、僕は江戸川乱歩の作品としては三冊目となる『孤島の鬼』(創元推理文庫)を手にした。
結論から言うと、これまでのことが嘘のように、『孤島の鬼』は楽しく読み進むことができた。これまでとは違って、作品から感じられる得体に知れない「ナニカ」が『孤島の鬼』に限っては妙に心地よく感じられた。
気を良くした僕はその後、江戸川乱歩の作品を数冊読むこととなるが、『孤島の鬼』のように刺激を受ける作品に出会うことはなかった。
江戸川乱歩という作家は、また僕の中で、意識する作家では無くなっていった。
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