気まぐれビーライフ

めこたま

第1話 始まりの日

 僕は少し緊張していた。

 本来ならば緊張するようなものではないのだろうが、そこは小心者を自負しているボクのこと、楽しい行楽の前日ともなれば、必ずといってよいほど眠れなくなる。ましてや憧れの職業への第一歩と決めて参加するセミナーともなると、緊張しないはずがない。


 某年某月、僕は憧れの古本屋になるべく、古本屋開業を支援しているという『○ー○ー源氏』のセミナーに参加することとなった。

 特に古本に詳しいわけでもなく、よく考えもせず勢いだけで参加を決めてしまったようなものだが、仕事がプツリと途絶え、何となく嫌気がさしていた時期ということもあって、不安と期待が綯い交ぜとなって一本の矢のごとし……。インターネットを検索していた時に「古本屋開業を支援」の文字が目にとまり、勢い参加を決めたのだった。


 セミナー開始の時間に遅れてはいけないと、僕は少し早く自宅を出発した。最寄りの小田急線●駅から横浜線に乗り継ぎ、会場となる横浜の○駅へと向かう途中、車窓から見える郊外の風景をぼんやりと眺めながら、これから参加するセミナーのことを考えていた。しばらく物思いい耽っていると、風景は一変していた。木深き頭を並べ競っていた里山は、ビルが立ち並ぶ都会の風貌にかわりつつあった。おもむろに胸から携帯電話を取り出し、時間を確認すると。出発してからすでに1時間ほど経過していた。


 「もうすぐだ」


 僕は緊張する自分を鼓舞するように、心の中でそう呟いた。


 セミナー会場の最寄りとなる○駅に着いて時刻を確認すると、開始時刻までしばらく時間が有った。さて、どうしたものか? と思案した結果、まず会場となるビルを確認することにした。

 その頃スマートフォンを持っていなかった僕は、事前にプリンターから出力しておいた地図を片手に目的の会場へと向かった。特に迷うということもなく、程なくそのビルを眼前に確認することができた。

 会場を確認できたことで、少し緊張が和らいだ僕は、いったん駅まで引き返し、食事を取ることにした。が、肝心の駅前は閑散としていて、これといった飲食店もなかったので、戻る途中で見かけたファストフード店に入ることにした。セミナーを前に緊張が続いていたことと、その日は気温が高かったこともあって、店に入るなり水を一気に飲み干し、甘めの味付けの牛丼を平らげた。空腹を満たした僕は、いざ外から見ると気後れしてしまいそうなセミナー会場となっているビルへと再度向かった。


 実際の会場となるフロアーは、よくあるSOHOオフィスのような間取りで、各所がパネルで区切られていた。セミナーに使用するスペースは恐らく共有スペースとなっているのだろう。10人程で満員になってしまいそうなスペースに、テーブルを囲むように参加者・スタッフが座りセミナーが始まった。

 さて、内容は? というと、古本屋を実際に経営されている方のお話。仕入れのイロハ。「○ー○ー源氏」が運営しているネットショップのサービスの説明などがあったと思う。

 その時の僕はというと、古本に詳しくない、それほど本を読まない自分に最初は負い目を感じ、「きっと本に詳しい人が参加しているんだろうな……」などと考えて、最初は気後れしていた。とはいえ、セミナーが進むにつれ次第に場の雰囲気も和やかなものとなり、僕の緊張もほぐれて楽しいひとときが過ごせたように記憶している。

 一番印象に残った出来事は、セミナーも終りが近づいていたころ、突然主催社代表の方が発した一言だった。


 「○フ○○○○のサービスを利用する際は気をつけるように」


 この一言に僕は共感し、このサービスは信用できると感じた。その時に名前の上がった会社は、普段からなにかとあまり良い噂は聞かなかったので、僕もあまり心証良くとは思っていなかった。

「○ー○ー源氏」はネットショップ開業の支援サービスを基本としていたので、当然僕もネットショップでの古本屋開業を目指していた。ネットショップはネット上で提供されているさまざまなサービスを利用することは避けて通れない。アクセス解析やら何やらと、自分のショップを有利に運営していくためにはそれらのサービスを利用していく。

 サービの中には有料のモノもあり、利用するときには安易な手続きで始められるが、いざサービスの利用を止めるときに手続きが煩雑で判りにくくなっているサービスも多い。そのことを注意してくれたのだ。

 そんな印象的な出来もあったが、その後セミナーは淡々と進み、最後に参加者同士の軽い雑談と質問の時間が設けられ、セミナーは締めくくられた。


                ◇◆◇


 会場を後にした僕は気分が高揚していた。早く家に帰りたかった。自然と駅までの歩みも早くなっていた。

 帰りの電車内で、僕はすでに古本屋になっていた。


 まさかその後、古本屋になれず、トホホな日々を迎えるとは、そのときは微塵も考えていなかった。

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