塚崎(仮)

イワトオ

第1話 キックボクシング

 ガラガラの客席、リングだけが明るい会場。

 会場にいる人間は大会関係者か選手関係者のいずれか。

 アマチュアの格闘イベントなんてそんなものだ。

 


 塚崎は二十六歳になるのけど、キックボクシングのキャリアは五年目だ。

 もともと、小学校からずっと剣道をやっていて、漠然と一生続けるつもりだったのだけど、就職と共に剣道はできなくなった。練習場が遠かったのだ。

 無理をすれば通えないことは無いのだけど、剣道の練習というものは全員が一堂に会して稽古をし、ある程度の時間が過ぎれば解散する。

 少し離れていると、仕事が押しただけで稽古開始に間に合わない。

 わざわざ車をとばして行って、三十分だけ練習に参加して解散、ではやる気が出ない。

 学生時代には毎日三時間以上竹刀を振っていた。

 

 それで塚崎は剣道をすっぱり諦めた。

 十年以上続けた剣道であるが、なんせ生涯スポーツである。

 いつか歳を重ねて、余裕ができてからでも再開できてしまうのだ。

 子供が出来てから、一緒にやるのもいいと思った。

 

 と、いうわけで剣道よりも目下の運動欲求を満たす為に塚崎が目を付けたのが格闘技だった。

 格闘技ジムなら時間に融通も利くというし、長時間練習をして怒られることもないだろう。幸い、恋人とも別れたばかり。社員寮で炊事をする必要がないこともあり、塚崎は新たに住むことになった街を練り歩き、見つけたのはキックボクシングジムだった。

 テレビを見て、総合格闘技をやりたいと思ったものの、総合格闘技の道場はやはり遠く、それに比べればキックボクシングジムは社員寮と会社のただ中に合った。

 ついでに言えば、近所にボクシングのジムもあったものの、練習場が薄暗く、また、塚崎の体格では試合を組めないと言われたため、やめにした。


 こうして一八五センチ、七五キロの塚崎は欲求と妥協と便利さからキックボクシングを始めた。



 アマチュア・マッチに出場するのも、十回を超えていた。

 塚崎は相手を値踏みする。

 広田リョート、二二歳。身長一七六センチとあったが、サバを読んでいるのかもう少し低く見える。

 体重は七〇キロ以下の検量を先ほど受けたので、まあそのあたりだろう。

 しかし、腕や胸に肉がついている感じもしない。ひょっとすると、余裕でリミットパスしたのだろうか。

 自分のやって来た二週間の苦しい減量を思い返して、初対面の広田が憎くなる。

 

 ていうか、俺の方が強えよ。


 マウスピースを噛みこんだ口で呟く。

 アマチュア・マッチとはいえ、大会の規定上ヘッドギアは着けない。

 どうも、大会主催者がヘッドギアの存在がボクサーの健康をむしろ阻害しているという論文を読んでそのような規定になったらしい。

 

 どうでもいい。


 塚崎のセルフマインドコントロールによって闘争意欲が盛り上がってくる。

 

 防具を着けてもいい。裸でもいい。俺が勝つ。


 この大会は、リミットが五キロごとに切られていた。

 塚崎は都合一階級分の体重を削ったことになる。減量による疲労も深刻だ。

 対する広田はもしかすると六五キロくらいではないのか。少し削って下の階級に落とすのが嫌だったのだろうか。しかし、体力の低下とは無縁のはずだ。

 

 ゴングが鳴り、二人はコーナーを離れた。

 塚崎は右拳のフェイントを入れてから左のローキックを放つ。

 手につられて固まった広田の足に鈍い音を立ててさく裂した。

 

 なんだこいつは。

 

 思いながらも距離を詰めて打ち合う。

 相手のパンチを急所以外で受け、かわし、打ち返す。

 何度目かに出した左フックが相手の脇腹に刺さる。

 広田はインローを蹴りながら距離をとった。その表情は平然としているのだけど、効いていることは分かった。

 

 塚崎は苛立っていた。広田の弱さにだ。

 こんな奴と戦うために苦しんで練習を重ねたのか。空腹で眠れない夜を過ごしたのか。


 遠間から出したミドルが広田の前蹴りとぶつかり弾く。同時に広田の体も流れて隙ができた。

 大ぶり右フックが広田の頭を叩き、反撃のパンチもしゃがんで避ける。

 牽制のパンチをやり過ごすと、間合いを詰める。

 広田が苦し紛れに出した膝蹴りを肘で受け、逃げようとする広田を追い詰める。

 コーナーに追い込んだ広田に右ストレートが刺さる。追撃で出した右ミドルは捌かれたものの、その流れで後頭部に手を回す。

 首相撲からの膝蹴り。

 胸板に突き刺さった膝が鈍い音を立てる。

 続いてもう一発。

 塚崎が蹴り上げた右ひざは、耐えかねて前傾姿勢になった広田の顔面を弾き上げた。

 広田の全身から力が抜けるのが分かる。広田はそのまま仰向けに倒れた。

 レフェリーが間に入ってカウントを数える。

 勝敗は誰の目にも明らかだった。


 立って来いよ!


 しかし、塚崎は願う。

 厳しい苦痛を乗り越えて、本番がこれだけなのか。

 そう思うと愕然とした。せめて、もう少しだけでも戦っていたかった。

 だが、広田は起き上がらず、レフェリーは塚崎の勝利を宣言した。


 よろつきながら立ち上がり、仲間に支えられて広田がリングを出る。

 次の試合もあるので、塚崎もリングを降りた。

 会場で最も明るいリング上からそれ以外の暗い空間に立ち入るとき、目が慣れずに何も見えなくなる。

 塚崎はこの瞬間がたまらなく嫌いだった。

 

 非日常から日常へ。

 今日、戦士として戦うために積み重ねてきた自分から、明日の朝仕事に向かうための自分へと切り替わる気がする。

 勝利の余韻など、味わうべくもない。

 

 ああ、キックボクシングだけをやって生きていきたい。


 そうぼやきながら、塚崎は応援してくれた仲間に手を振った。

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