第368話 良い知らせ


 ドアを開けた俺は、何と言うべきかわからず、その内容を今すぐは公開しないことにした。


 一番最初に見たパラレルよりは、マシかもしれなかったが、それでも俺は、一応結界を張った。


 話を書いて、結界を張らないとダメだと思ったことは初めてだから、珍しいことだと言えるだろう。


 ものすごく気分が悪い。大した内容ではなくとも、全身がひどい筋肉痛になって、とりあえずの公開を見合わせることにした。


 他の人が少しでも影響されると良くないと考えた。そして、俺と湊くんのケースは全く違うのだと思わざるを得なかった。俺は相手の女をひどく憎んだままだった。俺は寛容な人間なのに、ものすごく珍しいことだ。


 俺が、すっかり記憶を封印し、忘れ去ることでこの女に復讐を果たしていたということがお話からわかった。俺は、まだ、パラレルワールドの世界では、血の涙を流しながら、慟哭して、憎い、憎いと女に迫っていた。なぜだ、と。


 今でも何故か、わからない。相手の女が俺よりも弱かったんだろうが、平然とした顔をしていたから、俺は気づくことができなかった。平然とした顔で俺を裏切り、俺は最後までその本心がわからなかった。そして、そのままになった。


 俺は、憎い憎いと言う俺が、全く泣かないことに驚いていた。あの子と話す時は、必ず泣いてしまう俺が、この女に対峙すると、心で血の涙を流し、慟哭し、怒り狂っていても、涙は一筋も流れなかった。それは不思議だった。


 45分の間、俺は、縛った女に向かい、カッターまで使って、何故なのか問い続けた。答えは得られなかった。


 帰ってきた俺は、ただただ、セックスが気持ちよかったから、俺といただけだ、と結論づけた。だから俺は、絶対に女に心を開かなくなっていた。


 俺が感じて、好きになれば、俺は弱くなる。俺は誰も愛さないし、すれ違うだけの女でいい。誰とも深い関係は築くつもりはない。相手を感じさせても、自分は何も感じなくていい。


 その理由がはっきりした。この女のせいだ。


 俺は、忘れていたことが、はっきりしただけだと思った。よく似た人とすれ違って、思い出しただけだ。


 俺は愛してなどいなかった。愛してると錯覚していただけだ。好きだ、愛してると思い込んでいただけだ。


 しばらく苦しく辛かったのが、45分、女に対峙したら、勝手にしたらいいという気持ちになり、俺はまた、歩き始めることにした。


それとほぼ前後して、俺は良い知らせを受け取っていた。


 ものすごく面白いから、それで行きましょう、調整したい、その調整がうまくいくかわからないが、期待している、という返事だった。


 俺は最期に、俺がやっていることを誰かに託してから死ぬ必要があった。だから、俺のやっていることを、こうやって知りたいと言ってくれる人はものすごく貴重な人だ。そしてこれは最期のチャンスになるかもしれない。


 俺がそう思うのは、やはり、俺は破れかぶれに、正直なせいだ。

ここまで正直だといろいろと、不都合なことが出てくるだろう。


 そうなった時、「全てなかったことにされてしまう」可能性は十分にあった。


 もちろん、今のまま死ねばそうなのだから、それは変わらない。


 世の中に都合の悪いことというのは、「なかったことにされる」運命にあるのだから、ほぼ、だからどうだという話じゃない。俺はそこまで世間に期待しないし、俺のすることに深い意味はない。


 ただ俺は、正直にいたかっただけだ。



 俺は本当は、もっと激しく怒っても良いのに、とても冷静だった。それは何故だろうな?


 死んでもいいというくらいの怒りは、どこに消えたのか、わからなかった。


 それはあの子を亡くしたからだ。


 その前では、他のことは、もうどうでもいいことになる。その他のことというのは、塵ほどの価値も持たないことだから。


 俺自身が死ぬことも、どうでも良いことだから、死にたいと思わなくなったんだろう。生きているのも死んでいるのも、同じことだから。



 俺はその45分の中で、誰かに愛されたい、必要とされたかった、と言っていたが、そんなの嘘だ。俺はそんなの、どうでもいいと思ってる。


 何もかもどうでもいい。今、俺はそんな気持ちで、タイピングを続けていた。


高校生の俺は、愛されたい、必要とされたいと思っている。


 今の俺はそんなことどうでもいいと思ってる。のだから。


 2、3日前に、ずっと泣いていた俺は、どこに行ったのかわからないみたいに、俺はすっかり乾ききっていた。


 Bがしつこく俺に「寝ろ、とにかく寝ろ」と言い、昨日は5時間寝た。


 だからスッキリしているのかもしれない。俺はいろんなものを落としまくって、ぶつけまくって、やはり3時間睡眠は短すぎて無理だと感じたが、全く眠くはなかった。


 この良い知らせのために本当は、また今から一週間は頑張らないとダメなのに、俺は今日はのんびりして、結局、45分も使って、自分のパラレルの別世界にいた。


 俺は初めて、どうやってパラレルの世界に介入するのか方法が、わかった。介入じゃない、ただ、見に行くだけだ。


 介入はできない。


 簡単だ。霊を降ろすのと同じ方法で、そこの行きたいパラレルの場所に行けばいいだけだった。


 あんな風にドアがあり、その先が別の現実だ。


 俺は、時々、邪悪なものを追い出しては、結界を張った。そうしないと危ないというのがよくわかった。これまでの人生の中で、危ない目に遭ったのは、そうしなかったからだ、とわかった。


 危ないと思ったら、邪悪な霊を追い出して自分の周りに結界を張ればいい。そのことをはっきり思い出した。


 多分、それらは収穫だったろう。新しく入ってきた話は、そういうことに関連した話で、俺は、多くの人を巻き込まないために、注意する必要がある、と考えた。


 俺自身の暗い部分が出た理由がはっきりわかった。


あの子が光だから、同時に陰が現れた。俺は理解に最初、苦しんだが、そういうことだと、すぐにわかった。


 光と闇はセットなのだから仕方がない。どこまで俺ができるのかわからないが、締め切りは、またもうすぐだ。あまり考えている時間もない。


 ここ数日、身体中のあちこちが痛かった。あまりに長い間、トランスで別世界を見ているから、こっちの体がついていかない。


 あまりに微動だに動かないから、喉が乾ききって、ひりついて、唾を飲み込めないで、気付くことが何度もあって、このままでは体が参ってしまう、と感じた。


 ちょっとヤメた方がいいと思ったのに、朝だったはずが夜になっていることを繰り返す。


 ただ、俺がなぜあの女を愛していたのか、ずっとわからないと思っていたが、一ミリくらい、何故だったのかが、わかった気がした。


 のだろう、ということがわかった。


愛というのは覚悟だから、そうしよう、と思っただけだ、ということ。


俺は子どもだったから、むしろで生きていた。




 空港の子の誕生日を忘れていて、二日遅れで誕生日おめでとう、とメールした。返事はなかったから、メアドを変えてしまっているのかもしれない。


 俺は結局、アクセサリーを作らなかった。きっと引かれてしまうし、ごく普通の、先生と生徒のままが良い、と感じていた。


 俺はいつでも先生が好きなのだな、と思うと、苦笑する。


 誰かのことを好きになりたい、愛したいと思う俺は、子どもの頃のあの頃の俺が、そう言わせている。今の俺は、そうじゃない。そんなこと、とっくに、期待していない。


 愛の移ろいを知っているから、移ろうものを追うことは不毛なことだと知っていて、求めていない。


 45分の間、俺は、16、7歳のあの頃の俺と一緒にいた。


 なんてナイーブで、ある意味、可愛らしいんだろう。


 俺は胸が痛んだが、大人になればそんなこと忘れてしまう。どうでもよくなる。俺もすっかり、乾いた大人になったんだな、と思わざるを得なかった。


 そして、こんな経験のせいで、俺は時空を超える感じや目に見えない世界を手触りとして感じるようになったのだ、とよく理解できた。


 もしも辛いことがなかったら、今のような俺ではなく、ごく普通に、パラレル・ワールドや目に見えない世界をSF《サイエンス・フィクション》だと思い込んでいただろう。



 どこまで俺ができるかわからない。どこまで出していいものか、わからない。


 タブーのある中で、俺はそのタブーについて、境界線をよく知らない。


 俺にとって、本当はもっともっと、残酷で痛かった現実。そんなものに比べたら、全てはどうでもいいことのように思われた。だから他の人と俺は、同じ現実を共有することができないでいる。


 世界の中に、どんな凄惨なことも、ゆっくり生まれて消えていくことをよく知っていたら、俺が観せることなんて、本当に大したことないと思うに違いなかった。





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