第326話 愛の歌
俺は締め切りを無視し、パン屋の子のペンダントトップばっかり作ってた。
こんな単純な形なのに、ダメなんだよな。
なにをどれだけ作っても、こんなに単純なのに、うーん、と俺は首をひねる。上手くならない。
珍しく俺は、すごく心を込めて作ってる。正直驚いた。自分で。ものすごく真面目で、しかも、結構、誠心誠意。
俺はこういう心の状態でいつも生きてたいんだよ。ものを作るときに必要なのは、こういう心の状態なんだよ。
俺は真面目に、本当に俺、堕落してたな、と反省していた。
もうこれからずっと、こんな風にまともに生きろ。
自分でそう思って、なのに俺は、何かが俺の精神を乱すことに気づいていた。
なんか知らないが、遠くから歌が聞こえる。
俺はイライラし始めた。
誰だよ、一体。
俺の裏で作業してるおばさんが、声にならない声でハミングしてる。鬱陶しい。
俺はやめろと言いそうになるのを我慢しながら作る。
おかしい、俺、この歌よく知ってるんだ。なんだ?
気が狂いそうになる。やめろ、やめてくれ、気分悪い。
ほのかに聞こえるか聞こえないかの、声。同じフレーズを延々と一時間も二時間も歌いやがって。
俺は突然、手を止めた。回転させ続けないと、ガラスが溶けて落ちるから、とりあえず作業を終えて。
……思い出した。
俺は気が狂いそうになった。人魚が男を誘う時に歌う歌だ。
やめろ、やめろ、やめろと思う俺は、人魚だった。
苦しい、やめて、愛してる。あなたのため……
俺は水の底に沈む自分を思い出す。
姉さん、姉さんたち、お願いやめてちょうだい……
俺は海の藻屑の泡になりながら、あの人のことを思う。
今の俺は耐えられない思いで、歌を歌う俺の裏で作業するおばさんの首を締めたいような殺意にかられていた。止めろ。
こんにちは〜
遅刻しちゃった、と挨拶するおばさんは、あれ?俺の裏で作業してたんじゃないの?
二人。同じ人が二人。
今来たの?と俺が聞く。俺の裏、俺の裏で作業してたんじゃないの?
「ううん、今来たんだけど」
俺は、だとしたら、歌を歌ってたのは誰?と思った。
昔の同僚がたくさんいるのか?
俺は立って、見に行った。全然知らない人だが、この人も俺の過去の同僚だ。人魚だった時の姉さんだ。
ここにいる人、全員そうだ。
俺は我に返って、気分が悪くなった。
俺は好きで好きで、好きな人間の男を、助けてあげた後、姉さん達に詰め寄られた過去を思い出す。
苦しい……
俺は胸を掻き毟られる思いだった。あんな歌をしつこく聞かされてさえなければ、俺は思い出しもしなかったはずなのに。
紛れもない。俺はセイレーンという単語を思い出していた。
人魚は海に出た男を惑わせる。
実は俺の曽祖父は海で働く男だった。
苦しい……俺は目の前が真っ暗になるみたいな感覚を思い出していた。俺がこの記憶を思い出したのは、実は小学生の頃だ。
人魚の童話を読んでいて、俺は、何故俺が、ここまでリアルに人魚のことをよく知っているのか、自分でとても、不思議で。
俺はポロポロと涙さえ流しそうだったが、もちろん泣かない。俺は男だから。
ただ、俺は、何故俺がこの人魚の気持ちをよく知っているのか、長く疑問だった。
もしも、演劇のステージに立たされたなら、俺は人魚に成りきることができた。
俺は幼稚園の時、女性に見えるということで、親指姫の候補に挙げられた。本当に親指姫を演じたのは、女の子だった。
でも、俺は、もしも人魚をやってみて、と言われたら、できる。自信があった。
俺の中にあの女の人、人魚がいる。嘆き悲しんで死んだ、そのことを俺は、伝えることができる。あの人が言えなかったこと。
俺は海の底に沈んで泡になっていく自分を本当にリアルに思い出すことができた。
こんな風に自分が犠牲になれば、あの人だけは見逃してもらえる。
姉さん達、私が死ぬことで、あの人、あの人だけは見逃して……
王子様は、別の女性、人間の女性と結婚した。
俺はなぜかわからないが、何かすごく苦い薬を飲んだことを覚えていた。
あの薬を飲んだら、脚が手に入る。
なんかそういう理由だった気がする。会いに行きたかった。
でも結局、俺は身投げして死ぬんだ。あのひとの幸せを願いながら。
俺は人魚の歌が引き出した俺の前世を憎んだ。前世を憎んだというよりも、わからない、何を憎んだんだろう?
今は男だから、メソメソ泣いたりできない。俺はその代わりに怒るしかない。
俺の周りにいる、人魚の姉さん達に向かう怒りなのか、それはわからなかった。男を誘って、海に呼び込むのは、人魚の仕事。
そして俺の曽祖父、それからBの祖先は漁師。
俺はこの繋がりがよくわからなかったが、屋敷には、魚を手にした女神がリビングに住んでいた。
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