第321話 まやかし
俺は紅茶を飲み干した。これ、おかしくないか。俺、何回飲んでるんだ。
紅茶ばっかり飲んでるのがループしてる感じがある。
真昼。俺の真昼がこんなに長いのはおかしい。何かがおかしい。
「コンコン」
ガラスの戸を叩く音がした。彼女。
ほら、寝ちゃった丸顔の、髪の短い胸の丸い子。小ちゃい。太陽の方の惑星の子な。
「岬く〜ん」
俺はちょっとだけガラス戸を開け、「お前ダメ、帰れ」と言った。
「何で何で。冷たいよ〜」
「かわい子ぶってもダメ」
庭で話すと爺さんに聞こえるから、俺は彼女を家に入れた。爺さんうざい。俺が監視してるとか言うから、俺気を使ってカーテン引いたままにしてる。雨戸もできるだけ開けないとか、俺、すげー体に悪いんだけど。
「岬くん〜しゅき〜♡」
俺はため息をついた。
「お前、正体バレてるぞ」
「え?」
彼女は固まった。
「お前な、俺の目が節穴と思ってんのか。彼女はな、絶対に俺のことを『好き』だなんて言うもんか」
凍りついたみたいな顔で彼女は俺を見た。図星だ。
「帰った、帰った。俺は忙しい」
「だって……ほんとだよ」
ぺったり膝をついた。横座りに座った姿勢。
「お前、姿変えたって無理なの」
俺は冷たく言った。これが彼女、俺に仕事を回してくれた人。彼女が俺と寝たいわけないのに、俺バカだね。酔っ払ってて、気づかず。髪が長い。か弱い。繊細。綺麗なんだよな、可愛いというよりは。
セックスの「せ」って言っただけで怒るような人だよ。俺もどうかしてたね。
母さんと同じタイプで潔癖なのに、俺を誘惑するとか、おかしいと思った。
顔も形も体型も、何もかも違うのに、俺、なんで彼女と思い込んだのか。
「岬くん大好き!」という言葉が本当だったからだよ。
本当に……彼女は俺のこと好きだから。
俺はテーブルに戻って、「シッシ」と右手で女を追い払った。
「お前……大事な人が死んでもいいのか?」
ニヤニヤしながら悪魔が言った。
「ほらな、お前、正体出したな、俺に何の用?」
俺はPCを打ち込みながら言った。
「彼女、もう直ぐ死ぬけど?」
甲高いような、冷たい声はよく聞き覚えがあった。こいつが言う彼女、さっきの髪の長い彼女。今、生きてるけど、俺の前世の女神のようなパラレルの存在と同一。分かりにくいが、今、生きてる彼女、それから俺の前世の女神、繋がってる。俺が彼女とそっくりなのも、結局、同じ魂のグループにいるせいだ。わからなくていいよ。どっちにしてもややこしいから。
「それで?」
俺はタイプし続けた。
「人はいつか死ぬよ。みんなどうせ死ぬからな」
俺はそう言った。
悪魔は「何か欲しいものとかあるだろう」
性懲りも無く食い下がった。
「何か欲しい?俺が悪魔と取引なんてすると思ってんの? 何って、俺全部持ってるから、要らない」
悪魔は「お前が持ってるもの、全部奪ってやろうか」と言った。
俺は「勝手にすればいい」と答えた。
「どうせ暇つぶしだろう?勝手にすればいい。俺はその時々で、解決見つけるから」
俺は悪魔を睨んだ。
「俺も暇な方だが、そこまで悪趣味なお前と遊ぶ暇はないの。彼女のところに行って、相手にされなかったから、俺のところに来たんだろう。俺と彼女は一心同体だから、意味ないぞ」
悪魔はうろうろとあちこちを見上げて、何か俺に一矢報いたいようだった。
「お前、そろそろ学べよ」
俺がそう言うと、悪魔は「自由になったんだ」と言った。
「最初から自由だろ」
俺は、話にならない、と悪魔に冷たい視線を向けた。
「いや本当だ。テレビつけてみろよ、ははは、俺ラッキーだったんだ。早くテレビつけてみろよ、アハハハハ」
悪魔は俺の勘に触るような声で言った。うるせえよ。
俺はテレビをリモコンでつけた。燃え盛る……映像。つい昨日、一昨日か。えーと、俺、時間感覚おかしい。
テレビを見るのは久しぶりだった。俺は腑に落ちた。
「げえ……お前だけじゃないのか。自由になったのは?」
「俺だけじゃないんだ、やったね!やったね!」
俺はうんざりした。こんなところで俺にも影響出ちゃってる。封じ込められてた、あいつらか。いつも屋根にしがみついてた。雑魚のくせに。
……うーん。
俺はテレビを消した。めんどくせえ。
悪魔はすでにいなかったが、俺は台所から塩を持ってきて撒いた。
いや、ほんとにめんどくせえ。
俺だけじゃないのか。他にも影響出てるかな。
これは忙しくなるんじゃないのか。俺にも仕事来るかな。1150……何年だっけ。全部、放出されたのか。寒いな。
胸騒ぎがしたが、放っておくしかない。俺は、自分から行かない。来るものは拒まないが。
あの立派な男も、幻覚だったのかなあ。
俺は半信半疑で、うんざりしていた。前世などとるに足らないと言っても、正直ガッカリだな。俺、あいつが俺なら、本当になんというか、力が漲る感じがして、落ち着くというか……俺やっと、まともになったかと思ったのに。
あいつの声が聞こえた。
「くだらんことに囚われるなよ」
俺はため息をついた。ハイハイハイハイ。頑張ります。
俺は地道に、ごく普通の仕事をPC内でやって、さっさと終わらそうとしていた。何事も、真面目に地道に、普段の生活が重要。
「でも彼女、可愛かったな〜」
俺はほんと、馬鹿みたいだが、ちょっとデレっとした。好きとか嫌いとかあんまり関係ない。ああいうセフレに迫られたら、断るの難しいね。体がちっちゃくてくみしやすい。可愛らしい。セックスに罪悪感がないから、純粋に楽しい。反応がいい。
俺は「岬くん、好き好き!!」という言葉を思い出していた。
悪魔のやつめ、最悪だな。俺がどんな言葉に弱いのか、手に取るようにわかって、そういうパターンの幻覚を送ってきやがった。
俺は苦笑した。あの子はな、間違ってもそんな単純に俺のこと「好き」とか言わない子。もっと骨のあるタイプだよ。化けの皮、剥がれるとしたらそんな簡単なところから剥がれるんだよ。
俺は苦笑を噛み殺して、「ああ、誰か岬くん好き好き、とか、全然関係ない子から今すぐ言われたい」とPCをタイプし続けた。俺こんな、地下に潜ってるところ、誰か能力者なら、俺の姿見ないで、俺のことちゃんと見てくれるよね?
俺、真面目に疲れてた。誰にも会いたくないが、本当の俺だけ、見た目抜きで知ってくれる人とは一緒にいたい。実は体とか要らない。でもそれは無理な相談だった。誰にも会いたくないが、誰かと一緒にいたい。それね、ヒント。そんなこと思ったから、彼女を呼んじゃった。えと、ほら、丸い胸の子ね。俺さあ、固有名詞嫌いなの。名付けるのは危ないの知ってるの。
そういう理由がちゃんとわかってるのに、全部書けないのは残念だ。他の人もなるほど、ってきっと思うよ。
名付けるとはっきり来ちゃうから、皆さんも気をつけてください。
俺は考えてることとは全然関係ない真面目な文章をタイプしていた。こんなこと考えながら書く文章が仕事の文章だとは。不謹慎な空気が入ってないか、後でチェックだな。
あ〜、悪魔の言葉でなく、リアルな生身の女にそう言われたいね。好き、って。
かと言って、言われた途端に俺は引く。そんなこと言ってくる女は、またこれしつこく、俺を追い回す。
外出たくないけど、体が鈍りすぎる。
俺は、このままじゃ体に悪すぎる、とコーヒーを残して、明るいキツイ日差しの中を気分転換に散歩することにした。ずっと外に出てない。何倍も甘ったるい紅茶は飲み干して、コーヒーはまっさらだった。最近Bの入れるコーヒー濃くて、もう飲めない。
そうだ、そういや、悪魔が一つ言ってたな。
「お前、幸せになりたくないか?」
俺は答えた。「幸せになりたいとか、願うもんじゃないね」
「気づいたらそうなってる」というのでいいんだよ。願うものは絶対に手に入らない。願った時点で、いつか「失くす」んだ。
俺は、悪魔との屁理屈合戦に勝った、と思った。俺も伊達に泥を這ってねえ。
何でもかんでも斬り捨ててやる。俺は、雑魚みたいな悪魔、俺の敵じゃねえ、と思った。
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