第302話 王子くんはどうしてるんだろうか


 俺はぼんやりと王子くんのことを思い出していた。王子くんと俺、最後に会った時、なんかちょっと不思議だったな。


 カラオケボックスみたいなネットカフェは完全個室みたいな空間で、狭い中で俺、書いたか忘れたけど、もしかして王子くんと抱き合ったかもしれない。覚えてない。


 書いたか忘れたが、王子くんの顔はあの子にそっくりすぎるんだ。全く同じだから、もうダメだ。


 王子くんは優しいから、何も言わない。



 それから、帰る時に言った。


「僕はね、別に岬となら良いけど」



 俺はなんだろうな、王子くんは俺と双子みたいだから、手を繋いだままで言った。


「でもさ、絶対何かが今までと変わってしまうよ。やっぱ、そういうのは、やめとこうや」



 俺はそう言ったが、人がたくさんいる地下鉄の出入り口の前で、いつまでも王子くんを抱きしめ続けた。


 もうめちゃくちゃに目立つのに、俺たち二人だと、映画の撮影か何かと思われるのか、全くむしろ違和感ない空間になる。



 王子くんは優しいから、そのまま30分も、40分も、俺たちは帰り難く、そうしていた。俺、馬鹿だね。



 前回帰った時、王子くんに連絡したが、返事はなかった。どうしているのか、海外進出を実力で果たしたことだけ、風の便りに聞いていたのに、そのお祝いのメールにも返事がないくらいだった。案外忙しいという簡単な理由なのか、それとも、俺にはわからなかったが、俺はまた無性に、同じように王子くんを抱きしめたくなった。



 不思議だろう?



 人に近づくのが嫌な俺が、王子くんのことは抱きしめたいんだ。



 B? Bがやってきたら、反射的に攻撃に転ずる俺が?


 それは不思議だったが、王子くんは「僕だってもう、大人なんだけど」とつぶやいた。俺は「そうだね」と言った。



 王子くんは自分のことをちゃんと「僕」と「俺」と使い分ける。年上の人の前や、しっかりしたオフィシャルな場所では「僕」と言う。


 まあ、俺はね、母さんがうるさいからずっと「僕」と言ってきたよ。海外に出るまではね。今はもうね、「セックス」とか平気で言っちゃう。


 俺は口にしてゾッとした。そういう言葉を使うなと言われて厳しく躾けられてきて、言葉にするだけで罪悪感ある。


 でもさ、だとしたら俺、どうやって生まれてきたの?って話になるだろ。ぶっちゃけて言うと、俺が平たく物言うと、中学生が話すことみたいに思われちゃうから、あまり口に出せないんだよね。良い大人が、何を中学生みたいなことを真面目に話すの?って感じで。


 「やる」とか、そう言う言葉も言ったことないな。「やりたい」とか。


 実際に言ったことないな。


 俺ってよく考えたら、全部禁忌なんだな。いや、今誰もいない中、例えば「レイプ」って口に出すとするだろう? 出せないんだな、そう言う言葉、口に出したことないから。わかんないけど、問題じゃない? いや、人に言わないよ、そういうことって。俺「レイプ」って単語、口に出したことなくて今、初めて口に出して誰か聞いたのって、お前だけなんだけど、これって普通のことかな?


 あまりに馬鹿げてない? 俺、馬鹿げたこと、喋ってるよね。


 弁護士や検事、警察官じゃなくてよかったな。犯罪用語、毎回使う人、大変だね。どうでもいいことだけど。いやはや、言葉というのは、なかなか、取り扱いが難しいね。俺、書いてて、この回は、やはり伏せ字にするとか、何か考慮がいる?と思っちゃう。そうなると、ストレートなセックスシーンなんか書くのは本当にまずいことになるんだろう?読む人の年齢に寄るよね。ネットはやはり低年齢化が進んでるから、まずいツールだと思うね。



 「僕はね、岬の前では、俺でもいいか、ま、岬のことはよくわかる。俺と似てるもん」


 王子くんは、そう言いそうな気がした。


 王子くんなら俺のこと、わかってくれる。



 でもさ、出会った時に、同じようにいつまでも、王子くんの顔見て、部屋で夜中じゅうそんなふうにしてたのにさ、なんで、いまさら「岬とならいいよ」って言うの?まあいわば、いつでもチャンスってあったわけじゃん。ずっといつでも二人きりで部屋にいたわけだし。




 俺がそう言うと王子くんは「いや、そうしていたら、もう会うこともなくなっていただろう?そんな気がしたから」そう言った。


それは正解だよ、と俺は言った。王子くんがいくら、あの子と同じ顔だからと言って、あの子じゃない。


 俺は、何時間もそうやって、王子くんのそっくりな顔を手のひらに取り、涙を流した。誰もいない王子くんの部屋で。


 王子くんは驚きもせず、微笑みながら、本当にあの子とそっくりに俺を見つめ続けた。本当に生き写しだ。こんなことがあるんだろうか。



 俺は車の窓から、王子くんのことを思い出していた。王子くんなら、俺が本当にどうすることもできないどうしようもないような状況にいても、受け入れてくれる気がした。


 王子くんは本当は厳しい侍のようなやつなのに、なぜ俺にだけ甘くしてくれるのか、分からなかった。


 明け方近く、兄貴が心配して迎えに来た。なんだよ兄貴、心配って、何の心配だよ。俺は苦笑した。何の心配? まあ、母さんが行ってこいって言ったんだろうが、俺、もう大人なんだけど。



 王子くんはとても礼儀正しいから「僕が岬くんを引き止めたせいで、遅くなってすいません」と兄貴に挨拶をした。



 王子くんの部屋は片付いてたな。俺、不思議なことに、今、あの時に戻ったら、もしかして王子くんにキスしてしまうかもしれない、とふと思った。


 俺、前より大人になったのか、それは疑問で全くわからないけど、いや、今くらいに破れかぶれの俺だったら、何するかわかんない気がした。


 でもそんなこと、もちろん王子くんにも、Bにも言わないし、誰にも言わない。


 俺もしかして、すごく今さみしいのかな、そうかもしれない。


 でもそれ、当たり前だから。今日から、やっとあの子の命日から、2日経った。なんて長いんだ。いや、ちがう。まだ1日半? 1日?俺は、ゾッとするくらいゆっくり流れる時間に苦しんでた。ここに向かって、ここから先、時間の流れがこの周りだけで全く違う。


 俺はぐるぐる回るような円環の中で、王子くんの部屋にいて、王子くんと一緒にいて、俺、おかしいよね、と言った。


 正直、今の俺、相手が誰でもいいと思ってる感じしない? 俺そういうの、絶対、嫌なんだけど。なのにおかしくない? 誰でもいいって思ってる。


 俺はそう言っても、涙で本当に前が見えない。王子くんは微笑むだけでやっぱり俺に何も言わないから、まるであの子といるような錯覚に陥る。


 俺は、王子くんの横顔を甘噛みするようにキスしようとして、それから泣きながらやめた。


 俺、本当にまずい、こんなことしたいんじゃない。止められないような気分になる。王子くん、きっと俺を止めないだろう。なぜ?


 王子くんは俺のこと好きとかじゃないよ。俺、王子くんと俺は双子だからよくわかる。双子みたいだから。


 俺がこれほど苦しいというのを、黙って、黙ってこんな風にしてくれているだけだ。


 俺の涙が伝って、王子くんの横顔や耳の側を濡らす。俺さえいなかったら。俺さえいなかったらこんなことになってない……



王子くんは「岬、そんなに辛いのを我慢することないよ」と言った。


 俺は王子くんをただ抱きしめて泣いた。王子くんと俺は、双子のようにぴったりするのが不思議だった。


 それでも俺は、ただ泣いて、王子くんを抱きしめただけだった。俺の周りの人は優しい。俺はこういう俺で、最期まで、最期まで何も変わらずに、ダメなまま終わるんだろうか。


 王子くんはびっくりするほど体温が高かった。俺は、服の上からでも暖かいことがはっきりわかるその体温が、結局のところ、俺に必要なものの気がした。だんだんに、俺が歩いて行くのは崖の先のような気がした。



 





 


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