習作 短編集
結城慎二
破壊衝動
空港を降りたときには「こんなものか」そう思った。
高校を卒業して、初めて訪れたために気持ちがたかぶっていたせいだろうか。故郷を飛び立って以来、ずっと空の上で想い描いていた東京という街は、偏見と言われればそれまでなのだか何と言おうか、どこか暗くて生臭い場所という感じだったのに。そのとき、この二つの眼に映った街はひどく着飾り、首都らしい輝きを一様に持った極めて平凡な街だった。
ところが今はどうだろう。
この街へ来る以前、雲を見ながら想像していた以上に、醜悪で澱んだ世界が眼前に広がっている。日に日に醜く見えてくるそんな無気質な景色が嫌で、次第に外に出なくなっていた。
それが今日はどうしたのか。
自分でも知らないうちに外に出ていた。
「今日は少しおかしいな」
駅までの、ほんの数分間に幾度となく同じ言葉を繰り返していた自分に気づいて、また同じ言葉を付け足した。そうしたら、なぜだか急におかしくなった。おかしくなったら今度は、東京の街が初めて見たときのように、首都らしく見えるのではないか。そう思い立って、私は都心へ行くための切符を買うと、自動改札を通り抜ける。
雨上がりの街は少し澄んでいて、遠くまでよく見えるような気がする。
「それなのに」
と、私は高い建物の並ぶ下を歩いている。
近代的と言おうか、奇怪とも思える建築物をただ幾分も見つめてみる。しかし、何も感じない。正確には、ある一つの感情が沸々と沸いてくるのだが…。
私は、幾つもの建物を見て回った。が、どれを見ても結果は同じだった。「都会的な無感動」なのだろうか。いや、違う。何か違う。きっとこの街に絶望している。これが事実なのだ。意味もなく、ただ歩いていたら、なんとなく昔故郷の友人が言っていた言葉を思い出す。
「東京という街は、人々から生気を吸って繁栄している」
なるほど彼の言う通りかもしれない。今になってつくづくそう思う。そいつは普段から変わったところがあったので、当時は「また無茶苦茶言ってやがる」などと思いつつも「へえ、そんなものかね」などという具合に流してきたのだが、いま実際にこの東京の中心に立つと、不意にこう思う。
「この街は日本で、いやひょっとすると世界で一番腐敗した街ではないだろうか」
人の起こす事件からくる人心の荒廃とはまた少し違う。何と言えばよいのだろうか。こう、街自体がその根底から腐り始めているような。今はまだ、辛うじて表面的に華やかな首都たる風貌を見せているだけの、そんな疲れ切った街に見える。
そんなふうだから人々は、その表面的な華やかさにある種の夢を抱いてやってくる。私もその中の一人だったはずだ。しかし、この街は冷たく、スラムのように夢や希望、生きる気力などを搾り取り、不気味に腐った地盤の上に栄え続けている。
我が友人は、その遠い我が故郷で、既に気づいていたのだ。
おなかがすいたので、何か食べようとあちらこちらの店を見て回ったが、貧乏学生の財布の中身では、予算に見合った適当な料理が見当たらない。「月末に外出したのが間違いだったのだろうか」そう思ったりもする。「しかし、三年前もこんなだったかな」そうも考えてみた。
どちらもそれきりにすると、私は再び歩きだした。歩き出すと今度は、裏通りなどを歩いてみる。だが、やはり何も感じない。昔風の家並みも、狭い路地も、何も語ってはくれなかった。「この街は、人を受け入れるふうでその実、人を拒むらしい」そういう結論が出た。
何げなく入った古本屋で小一時聞過ごし、再び強くて弱い太陽光の下に出てきた。するとまた、例の感情が沸き起こり、妙に不快な気分になった。
瞳に映る建物に限らず、草木といい道に転がっている石といい、この東京の街すべてがなんとも言い難い、一種の破壊衝動を誘うのだ。『これ』といった確固たる理由はない。ただなんとなくそんな気になるのだ。
表情の全く変わらない、何とも味気無く聳え立つ高層建築物。それを一層冷たく見せる無気質な高架道路。狭い道を大きな顔で、先を争って走る自動車。空々しい笑顛で異性を誘う若者達。
どうしてだろう。
私は、理由が欲しかった。「なるほどそうか」と納得出来たなら、どれはどすっきりするだろう。しかし、理由を考えれば考えるはど判らなくなり、前にも増して衝動が強くなる。
「別の解決法を探そう」
『丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けて来た奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの丸善が美術棚を中心として大爆発…』
誰の文章だったろう。一瞬考えはしたのだが、そんなことはもうどうでもよかった。私はすぐにこの楽しそうな想像に取り掛かった。
「まず、どこから壊そうか」
さっき古本屋で何げなく買った東京都の観光地図を開く。こうしてみると、残したいと思うものはまったくといっていいほどない代わりに、あれもこれもと壊したいものはページをめくるたびに増えて行く。「よし」と私は池袋へと足を運んだ。『サンシャインビル』これを第一の目標にしよう。天まで伸びた屋上を見上げてみる。この建物が足元から崩れたら、きっとみんな驚くだろう。それを思い描いてみた。テレビで見たビルの解体映像。それが何の前触れもなく、突然起こるのだ。人々はどんな顔で見るのだろうか。含み笑いをして、今度は東京タワーに上ってみた。サンシャインビルは、これから始まる『ショー』の前座に過ぎないのだ。次にこの東京タワーが倒れる。三本の脚がこれも突然折れてゆっくりと倒れるのだ。遠くで見ると、さぞ酔狂な光景になるだろうな。人々は逃げ惑うかもしれない。しかし、この街は無情にも渋滞という混乱で、人々を道連れにするだろう。そうなると、東京は自然崩壊を始めるに違いない。「でも」きっとそれでは満足しないだろう。
山の手線を新宿で降り、誇らしげに聾え立っている都庁を見たとき、私は思わず微笑んでしまった。「これを爆発させよう」それも木っ端微塵に吹き飛ばせば、心が晴れるかもしれない。そして、それを合図に次々とビルが爆発するのだ。霞ヶ関ビル、赤坂プリンスホテル、新宿住友ビル、渋谷109エトセトラエトセトラ。この街は廃墟になるのだ。
そうなったなら日本はどうするだろう。そのまま首都として復旧させるのだろうか。それとも諦めて遷都してしまうのか。もしかしたら、そのまま日本は没落してしまうかもしれない。
街は休日のせいか妙にゴミゴミしている。ただでさえ狭い道に多くの人が歩いている。それが嫌で百貨店に入ってみた。店内はこれでもかと趣向を凝らして飾り立てられている。
「そうだ」
今度はその荒れ野になった東京を造りなおすことにしよう。道は大きく広く、碁盤の目のように作り、街の中央に住宅を建てるのだ。会社はその周りに構えさせ、さらにそれを住宅地で囲む。などと理想の東京を思い描いてゆくと、またあそこに行き着いてしまった。
「結局、第二の東京になるのだ。また腐敗した街になるのだ」と。ここはそんな場所なのだろうと思ったとき、急に元の世界に戻ってきた。
周りを見回すと、どうやら電化製品の売り場らしいことが判る。人のざわめきと、あちらこちらで流されているテレビ放送、音楽などが幾重にも重なり合って不快感を起こす。
「なぜこんな所に来たのだろう」
私は帰りの電車に乗り込むと、逃げるように自分のカビ臭い部屋に舞い戻った。
敷き放しの布団に寝転がると、なんだか妙にむなしい気になってムクリと起き上がり、飲めもしないのに食器棚から酒を取り出してグラスに注いだ。班拍色の酒のうえに氷を二個三個と浮かべると、古いアメリカ映画の主人公にでもなったような気になる。どこか醒めていて、人も街も好きになれないくせに心の中では暖かい街を、優しい人を求めている。
「なんだ、そうか」
言って笑って、グラスの酒をグイと一口また笑う。私は何かに憑かれたように二度三度と同じことを繰り返し、いいかげん酔ってきたところで常に敷かれている布団に体を任せた。
なぜ今まで気づかなかったのだろうか。
いつからだったのだろうか。
「なんだそうか」と再び言って、布団を被った。
簡単なことだったのだ。この街に疲れきった体を故郷に戻って休めよう。少し働けば旅費くらい出るだろう。今度の長期休暇を利用して、求めていた優しさ、温かさに触れて来よう。実家の近くにはまだ、自然がいっぱいあったはずだ。そんな楽しい想像をしながら、私は夢の世界へと旅立って行った。
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