人形遣いは過去を弔う

西田井よしな

第1話 夕景

「ラララララ、ふふ、ラララララン」


 少女が躍っている。丁寧に結われた青髪と黒曜石のような瞳、華奢な身体がくるくると回るたびにスカートがふわりと花を咲かせる。


 けがれを知らない無垢な少女は楽しそうに、夕日差す丘の上の公園で舞っていた。

 敷き詰められた赤やベージュ色のレンガが幾重もの波紋を描いていて、そばの街灯には白い燐光が灯り、蝶のようにゆらゆらと揺れている。


 繊細な黒い鉄の手摺てすりの向こうは芝生が敷かれたなだらかな坂と、斜面に沿って左右へと折り返し延ばされた長い階段。その先の、丘のふもとには海に面した大きな港町が見える。

 建物は白壁と木組み、あるいはレンガで出来ていて、獣道のようにうねる街路に沿って同じ格好の三角屋根が所狭しと立ち並んでいる。


 空は黄昏たそがれ、水平線に沈みゆく太陽を中心に金色、次第に橙、赤、そして天蓋のほうは既に深い夜の青へと移ろいつつある。空に浮かぶ細長い雲は天を支えるあばら骨のよう。昼と夜のあわいで紫紺に染まっている。

 少女はそんな一枚の絵画のような景色の中、自分こそが主役たど言わんばかりに踊る。


 ここは精霊信仰の街。世界のあらゆるものに精霊が宿っていると信じ、また実際に精霊の力を借りることで呪術を行使し、その恩恵によって発展した街。

 一言でいえば剣と魔法の世界。呪術とは魔法ほど便利な代物ではないが、イメージとしては近い。公園にもある白い燐光灯、病気やけがを治す薬草、八割の確率で的中するような精度の高い占術。そうしたものが全て呪術の恩恵の一つである。


 そして少女もまた、呪術の賜物なのだ。


「よし、いい感じ。……ラスト、燐花りんかの舞」


 少女のそばに立つ「私」――丈の長い藍色のチュニックの上から真っ黒いポンチョを羽織っている妙齢の女性――は手に持った指揮棒タクトを大きく振りかぶる。すると私の指揮に応じるように少女は踊りの種類を変え、手の平から花びらに見立てた青い火の粉を振りまきながら優雅に舞った。


 少女は人形のように小綺麗な顔にどこか妖艶な微笑をたたえていた。


 いや、一つ訂正しよう。


 可憐で端正なこの少女は、人形のように小綺麗、ではないのだ。


 彼女は紛れもなく一体の人形なのである。


 精霊人形。これもまた呪術の一つで、精巧に作られた人型の義体に言霊プログラムを組み込み、人口精霊(この場合は霊魂や生命の類ではなく、純粋な生命活動エネルギーを指す)の核を埋め込んだ動く人形。限られた簡単な動作を行うものならば全自動のタイプも生産されているが、彼女は精霊人形操作呪術師(通称 人形遣にんぎょうつかい)の私が所有する傀儡かいらい式の精霊人形だ。


 この人形の「少女」には決して魂や心があるわけではない――この手の精霊人形に心が宿ってうんぬんという題材はフィクションの題材としてこの街の人間にも非常に人気があるが、それについて語ると非常に長くなるので割愛させてもらう――が、私はこの少女にとても深い愛着を持っている。


 舞い踊る少女の姿を眺め、私はうっとりとしため息を一つ吐いた。

 ああ、なんて美しいんだろう。

 この目に映る景色を額縁に入れて飾りたくなる。同時に私の心の穴に、温めたハチミツを流し込んだような甘く満たされた心地が広がった。


 そうそう、これだ。この瞬間のために私は今日ここに来たのだ。

 それはキャンバスとイーゼルをわきに抱えた絵描きの心理であり、琴線に触れる詩の一編を書き残すために苦心した詩人の心理であった。


 詰まる所、普段人形遣いとして劇場や各地の営業を飛び回っている私が休日の趣味にしているのは、精霊人形の「少女」を操って色んな景色を見せてあげ、色んな楽しい経験をさせてあげること。そしてその様子を自身の目に焼き付けることなのだ。


 この精霊人形に名前はないのかと聞かれると少々返答に困る。


 なぜなら彼女の名前は「少女」なのであり、そう名付けた理由はその姿と特徴が少女と形容するにふさわしいからだった。だから、それはもはや名前を与えたことになっていないと言われれば反論のしようがない。

 結局私は少女にちゃんとした名前を付けられていないし、あえてそうしないことを選んだのだ。


 やがて少女は全ての踊りを終え、滑らかな動作で立ち止まる。周囲に舞い散った燐光の花弁がその余韻を残していた。


「綺麗な人形さんだね」


 突然背後から、まだ変声期を迎えていない男の子の声がした。振り向いてみると、果たしてまだ十歳あまりと思しき少年が立っていた。男性用の丈の短いチュニックにチェック柄の半ズボンをはいている。至って健康的で清潔で、平凡だった。

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