3-12:傀儡じゃない
「忠義者の犬を持って幸せだな。エゼアルド殿」
ヴァーテを手中に収めながら黒ずくめは言った。口調に色濃い
無数の晶籍から生まれ出た光は黒ずくめを中心に渦巻き、ひとつの大きなうねりにまとまろうとしている。光が軌跡を描くたびに観客席が、壁が、白く染まった。
黒ずくめは自らの手に握った晶籍を誇らしげに掲げ、その隣でヴァーテは力なくうなだれている。
エゼルの頬を一筋の汗が流れた。
「ヴァーテを解放しろ。そしてその晶籍を渡せ。お前には過ぎた代物だ」
「ほざけ、憎っくき犬めが!」
突然、黒ずくめが態度を豹変させた。
「貴様のせいでリザ陛下は
唾を散らし、目を見開き、口蓋まではっきりと見えるほどの激しい口調で
晶籍の奔流は彼の激情を煽り立てるようにさらに大きくうねり、暴れた。
「あの御方が現れるまで、我々は屈辱に砂を噛む思いだった。晶籍で劣る者は決して光ある道を歩くことはできん。だがリザ様は我々に光を与えようとしてくださった。凝り固まったこの国の悪習を、根本から変えようとしてくださったのだ。それを、貴様は……! この恨み、無念! 今でも忘れぬぞ、エゼアルド!」
エゼルは唇を横に引き結んだ。
新しい秩序とは力なき者が力ある者を組み従え、すべての常識を反転させた世界。その世界を作ろうとした孤高の存在こそがリザ。黒ずくめの目にはそう映ったのだろう。
おそらくこの男は知らない。その『新しい秩序』とやらにリザがどれだけの想いを、
自らの思い描いた世界をどんな言葉で語ったのか。
晶籍を使ってことを為そうとしている姿それ自体が、すでに彼女の願望から外れてしまっているということに、おそらくこの男は気づいていない。
だが、それにしても。
持ち主が死に、あまつさえまったく赤の他人である黒ずくめの手の中にあってなお、その力を発揮しているリザの晶籍。本来起こりえないこの現実が示す真実は、何か。
槍を握る手に力を込めたエゼルに、黒ずくめが言い放つ。
「貴様は見なければならぬ。貴様が葬った陛下の意志が、再び世界を覆う瞬間を」
「……お前がリザを復活させるというのか」
「いかにも! いかにもだ! 見ろ! 崩御されてなお輝くこの晶籍を! これは証。死せば白化という流輪の定めに見事に打ち克ったこの美しき御姿こそ、陛下の魂がいまもこの世に存在しているという証だ!」
「その晶籍に眠るリザの魂を、再び人の形に成そうと言うつもりなのか、お前は。そのためにこの戦いを起こし、晶籍を集め、あまつさえヴァーテに苦痛を味わわせたと!」
黒ずくめは鼻で笑った。
「この娘には適性がある。オリズイートが効かぬこと、いや、むしろ毒そのものを受け入れること、それこそリザ様の器として相応しい証! よくぞここまで優秀な人材に育ってくれた。その一点において、私は貴様に感謝せねばならぬだろう、エゼアルド! 怨敵たる貴様がいたおかげで、我らの計画は揺るぎないものとなったのだからな!」
エゼルは静かに首を振った。
「私が彼女とともに歩んできたのも、彼女がここまで生きてきたのも、そんなくだらない理由のためじゃない。感謝するぐらいなら即刻、彼女から手を引け。そして
「娘の意志など知ったことか。この者は陛下復活のために必要な生贄。そしてすでに儀式は始まっている!」
黒ずくめは大きく手を振った。それに合わせて光の奔流は巨大な螺旋を描き、闘技場内をさらに白く染め上げる。
「この光が晶籍に眠る陛下の魂を呼び起こす。娘よ、今こそこの気高き魂を受け入れ、己が血肉を陛下に捧げるのだッ!」
「ヴァーテ!」
エゼルは叫んだ。黒髪の少女はゆっくりと顔を上げる。
「エゼ、ル。みんな。ごめん」
風に揺れる枯花のような声だった。それに対しエゼルは――笑った。
「何を言ってる、馬鹿者」
ヴァーテと目が合う。額の汗を拭うこともせず、エゼルは力強く応えた。
「普段さんざん人を
ヴァーテが
エゼルは堂に入った口調で、はっきりと告げる。
「私を舐めるな、ヴァーテ。どれほどお前たちに振り回されても付き合ってきた私だぞ。お前たちを真っ当な道へと歩かせるためなら、何だってやってやる。信じろ」
「……信じ、る?」
「道を見失うな。お前はもう、こんな愚かしい連中の
ヴァーテは俯いた。その肩が細かく震えている。
そして彼女はおもむろに黒ずくめの腕を掴んだ。震える手で押しのけようとする。無論、力の入らないその仕草だけでは黒ずくめの拘束からは逃れられない。
しかしエゼルはそこに確かな彼女の意志を感じ取った。
刃のような視線を黒ずくめに向ける。
「リザの復活。できるものならやってみるがいい。だがひとつ言っておくぞ。お前の勘違いした頭では一生無理だとな」
「勘違い……だと?」
「ヴァーテを傷つけたこと。私の仲間を苦しめたこと。後悔させてやる」
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