3-10:本当の獅子は『絶対』


 獅子奮迅――その言葉の意味を自分は誤解していたようだと、レアッサは思った。



 勇敢、猛勢、不屈。違う、本当の獅子は『絶対』なのだ。



 腕が飛ぶ。



 脚が飛ぶ。



 胴が飛ぶ。



 濁った体液が舞い散る。さらに。



 エゼルの槍は魔法の力で赤熱し、一閃、二閃と振るわれる度に炎が逆巻き、不死の敵を焼き尽くす。



 猛り狂って暴れ回るエゼルを前に、全身が泡立ち熱を持っていく様をレアッサは感じた。



 敵は百人? 二百人? いやもっと。



 その程度の人数が何だというのだろう。一千人いたって足りるものか。たとえ相手が『人ならぬ身』であろうとも。



 あの方はもう、止まらない――!



「ならば、私は私にできることを」



 我知らずつぶやく。剣の切っ先を迫り来る敵に向け、レアッサはマクリエたちに叫んだ。



「貴様ら、命が惜しければ私の指示に従え! 退却だ!」



 エゼルの猛攻に心を奪われていたマクリエたちは、呆けたようにこちらを見る。レアッサはさらに怒鳴った。



「相手は四肢が砕けようが戦う亡者! エゼル様は貴様らの命を守るために戦ってくださっているのだ。一刻も早くここから逃げる、それが我らにできるあの方への――」


「奴らを逃がすな! 出口を固めろ!」



 ――響いた声は明確な『指示』。レアッサは素早く戦場を見回した。だが指示を飛ばした人間は見つからない。



 不死の化物と化した騎士たちはもうすぐそこまで迫っていた。



 舌打ちしたレアッサは、眼前に立ち塞がったひとりを斬り伏せる。すかさず火属性の魔法を発動させ、うごめく敵を炎で包むが、ひとりをほふってもすぐに次の敵が押し寄せてくる。



 レアッサは出入り口を見た。



 姿の見えぬ指揮官の声を受け、群衆たちの一部が出入り口に群がり始めていた。相変わらず鈍重だが、整然とした動きをしている。



 敵の動きに気づいたエゼルが、槍の矛先を出入り口に群がる騎士たちに向ける。



 ――エゼル様はきっと隙を作って下さる。何とか、そこを突かなければ。



「レアッサさん!」



 思案に沈みかけていたレアッサの意識を、イシアの声が引き戻す。見ると、同胞の屍を越えて迫ってきた騎士が、手斧を大きく振りかぶっていた。



 レアッサの鍛えられた体がほぼ反射的に迎撃の姿勢を取ったとき、突然彼女の前に躍り出たマクリエが、気合の声とともに騎士を蹴り飛ばした。



「今だ、ヴァーテ! 焼いちゃえ!」


「……ん!」



 マクリエの声を受けた小柄な少女は眦を決し、定型句を口にする。掌から放たれた火球は正確に敵を撃ち抜いていく。



 すでに葬られた騎士が持っていた剣をイシアが拾い上げ、それをマクリエに託す。一、二度剣を振って感触を確かめたマクリエは、額に大粒の汗を浮かべながらも口角を上げた。



「で!? どうやって逃げるつもり、レアッサ。やっぱ正面突破?」


「お前……」


「アンタのおかげで、ちっとはれるようになったんだから。それにエゼルがマクたちのために戦ってるんでしょ。だったら、マクたちがいつまでも呆けてるワケにはいかないってね!」



 感謝してるんだよ、これでも――とマクリエは言った。その言葉にイシアは微笑みながら、ヴァーテは視線を外しながら、頷く。



『レアッサ』



 脳裏に届いた思念魔法イシャデにレアッサは目を見開く。



『出入り口を塞ぐ奴らをこれから一掃する。その隙にお前はマクリエたちを連れ脱出するんだ』



 顔を上げる。エゼルが炎の槍を振りかざしながらこちらを見ていた。



 目が、合う。



『戦場を駆けろ、レアッサ。お前の、お前たちの力を見せてやれ!』



 背筋が震える。鼓動が高鳴り、無意識のうちに「御意」と応えていた。己が剣を強く握りしめる。そして三乙女に静かに告げる。



「マクリエ、イシア、ヴァーテ。行くぞ。お前たちの大好きな中央突破だ」


「いいね。サイコーじゃん」



 マクリエが応える。イシアは額の汗を拭って大きく息をつき、ヴァーテは両拳を握りしめる。



 一瞬動きを止めた彼女らに騎士たちが襲いかかるが、即座にレアッサが定型句を唱え、燃えさかる火炎でまとめてなぎ払う。火の粉、人体の欠片、それらが黄金色の毛先をかすめても一切動じることなく、レアッサは突撃の合図に剣を振り上げ――



 直後、ヴァーテが上げた悲鳴に全身を硬直させた。



「イシア、危ない!」



 オリズイートの後遺症か、一度ふらりとよろけたイシアに一人の男が迫っていた。速い。鈍重な群衆たちと異なり、動きに練達れんたつさがにじみ出ている。



 群衆の間を縫って疾駆しっくしてきたその男に、レアッサの対応は一瞬遅れた。



「このっ!」



 マクリエが無理な体勢から剣を振り下ろすが、当たらない。男の手がイシアに伸びる。



 間一髪、ヴァーテがイシアを突き飛ばして男の手から救った。しかし今度はヴァーテが捕まり、さらに体格差を利用されてそのまま押し倒されてしまう。



 組み敷かれまいとヴァーテは抵抗するが、その表情にはと恐怖がはっきりと浮かんでいた。



 黒ずくめはさらに身を乗り出し、ヴァーテの耳元で何事かを囁く。



 その瞬間、彼女の抵抗の一切が止まった。痛々しいほど限界まで目を見開いている。



「お前ぇっ、ヴァーテから離れろ!」



 マクリエが怒声を上げる。



 次の瞬間、黒ずくめの男に対して一抱えほどの火球が襲いかかる。一瞬で展開した防御魔法で防がれるが、まるで飢えた獣のように火球は防御膜を削る。黒ずくめが初めて呻き声を上げた。



 そこへ、ヴァーテの悲鳴を聞いて駆けつけたエゼルが神速の突きを放つ。完全な死角からの攻撃。



 だが黒ずくめは飛び上がってそれを避けた。同時に火球も弾き飛ばす。



かわした!? エゼル様の一撃を!?」


「ヴァーテ、平気……ごほっ、ごほっ!?」



 超至近距離から強力な魔法を放ったイシアはうずくまって咳き込む。



 苦しみ方がこれまでと違った。声も出せず、涙を流しながら空咳を繰り返した。すぐにエゼルが抱きかかえ、容態を見る。



「無理に魔法を発動させたせいで全身に負荷がかかっている。いったん下がれ、皆」


「ですがエゼル様、奴は」



 構えを維持しながらレアッサは食い下がった。視線の先にはあの黒ずくめの男がいる。



 彼は観客席の中段に降り立ち、こちらの様子をうかがっていた。エゼルはレアッサにイシアを預けた。



「奴は私がる」


 静かな怒りをたたえ、エゼルは数歩前に進み出た。イシアはレアッサの腕の中で咳き込み続けている。


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