第一章

1-1:三乙女は危機を演出する


 抜けるような晴天だった。



 北の空には白金はっきん光輪こうりんが浮かび、その輪の中で六つの光玉こうぎょくが光り輝いている。



流輪りゅうりん』だ。



 その美しくも神秘的な天体の下で、何とも奇妙な戦いが繰り広げられていた。




「うごおぉっ」


「けけけっ! ほらほらどうした、もう終わり!?」



 青空の下で響く男の悲鳴と女の奇声。



 そこは戦い、いや乱闘の場となっていた。



 断崖絶壁の突端とったん。身を隠す場はなく、風が強い。街道は元より、地元民が通る山道からも外れている。



 助けなど望めないようなこの場所で、うら若い三人の女たちが断崖絶壁を背に十人の男たちと対峙たいじしているのだ。



 世間一般に言えば、彼女らは危機的状況にある。



 だが苦渋に満ちた呻き声を上げているのは男たちの方だった。当初は二十対三という圧倒的優位に立っていたにもかかわらず、である。



「く……調子に乗りやがって」



 先頭に立つ男がつぶやく。彼らはいかにも盗賊らしい風貌ふうぼうをしていた。



 染みだらけ、しわだらけ、日焼けだらけにひげだらけの顔に苦悶の表情を浮かべている。退路をふさぐ他の男たちも、皆似たり寄ったりだった。



 この辺りでよくれるのだろう、中型熊ドゥロウの皮で作った硬い上衣じょういが、風を受けてか細く鳴っていた。



 手には例外なく、長剣。しかし武器の手入れを怠っているのか、陽光を受けた刀身の輝きは揃って鈍い。なりと同様、腕の方もみすぼらしい連中だった。



 その証拠に、雑草一本生えていない不毛の大地には彼らの仲間が十人、大の字になっている。皆、したたかに殴打されて昏倒こんとうしていた。



 中には火傷を負っている者もいるが、とりあえず死んではいない。



 蛮声ばんせいを上げながら性懲しょうこりもなく突撃を試みる男。



 それを見た女のひとりが嬉しそうに言う。



「そうこなくっちゃね」



 奇声を上げた、あの女である。名をマクリエと言った。



 よわいは十六、七に見えるか。


 腰まで伸びた見事な碧髪へきはつの中に、蛇のようにうねる金色の筋がある。一見すると奇妙な髪色だが、不思議と彼女には違和感がなかった。


 長身で抜群の形を成した肢体に切れ長の目が合わさり、匂い立つ色気をかもし出している。



 ただし。



 好物を前に意地汚く舌なめずりをする悪餓鬼わるがきのような品のない笑みが、彼女の魅力を台無しにしていた。


 これだけの美女を前にして男たちが狼狽うろたえないのは、彼女のこの態度によるところが大きい。



 隙だらけの大振りを難なくかわし、そのまま膝の一撃を男の腹に叩き込む。その場に崩れ落ちた男を、マクリエはごみをどけるように蹴り上げた。



「けけけ。もうちょっと気張りなよ! あんたらが本気出せるように、わざと逃げてやったんだからさ。わかる? わ・ざ・と!」


「マクリエ、ちょっと控えた方がいいわよ」



 そう言ったのは後ろに立つもう一人の女、イシアである。



 同じく十六、七に見えるが、こちらは比較的落ち着いていた。


 マクリエと比べ身長こそ負けていないものの、ずいぶんと特徴に欠けた容姿である。


 胸や足腰の膨らみは彼女が女だとわかる程度だし、そばかすが浮いて丸みを帯びた顔付きは可愛いというより、ただただ朴訥ぼくとつであった。


 枯葉かれは色の髪は後ろでひとつにまとめられ、洒落しゃれっ気のある草染めの帯で留められている。



 そして残った三人目の女は、少女と言った方がしっくりくる、十二か十三にしか見えない小柄な子だった。


 だが目付きがやたらと鋭い。


 身に纏う空気が同世代の少女と比べて明らかに異質だった。まるで暗い洞窟の奥からじっと獲物を見据える猛獣のように、静かな威圧感と拒絶の感情を小さな体からにじませている。


 艶やかな黒髪は、それ自体が漆黒の闇のようだ。


 名はヴァーテ。


 彼女の戦い方は、マクリエと違って腕力に頼らない。冷めた目のまま男たちを見つめ、その小さな唇を動かす。



「――我が敵を焼き撃て――」



 言葉をつむいだ直後、ヴァーテのてのひらから拳大ほどの火球が高速で撃ち出される。



 空間を焼く独特の音が尾を引き、男の顔のすぐ横を通過した。



 男は情けなくその場に尻餅を突いて、焦げた自らの髪先を怖々と見た。



「こ、このガキ。また魔法を。ひ、卑怯じゃねえか!」


 わずかに震えながら怒声を発した男の台詞に、マクリエが吹き出す。一方のヴァーテはさらに冷徹な視線で男を見下ろした。


使に言われたくない。その黒いしょうせき、文字通りお飾りになったのね」


 言われ、男は自らの耳を触った。



 そこには不気味に黒く染まった結晶――しょうせきが吊り下がっている。


 ヴァーテは言った。



「私、晶籍が嫌い。けどあなたたちみたいにした晶籍を後生大事にしてる屑はもっと嫌い。それ、いっそなくしてしまえばいい。私たちみたいに」


 小柄な少女は自らの艶やかな髪をき上げる。あらわになった耳に晶籍はない。



 ヴァーテの仕草に呼応するように、マクリエとイシアもそれぞれ耳元を露わにし、そこに晶籍がないことを見せつけた。



 呆然とする盗賊たちの中で、ひとりが引きつった笑みを浮かべながら叫んだ。



「はっ! え、偉そうなことを言いやがって。結局てめえらはただのじゃねえか。てめえらに比べたらな、俺たちの方がまだマシってことになるんだよ! な、なあ!?」



 男が仲間たちに同意を求める。だが誰も頷きを返す者はいなかった。




 ――明らかに雰囲気が変わった少女たちに、完全に呑まれたからである。




「どうやら、勘違いをされているようですね。貴方たち」


 底冷えのする笑みを浮かべ、イシアが言った。


「たとえこの国が晶籍持ちを優遇しようと、そんな戯言ざれごと知った事じゃないと、そう言っているのですよ? 私たちは」


「能なしでクズで頭悪い。息するのも無駄」


「もうコイツら全殺ぜんごろしでいいんじゃない? まだ暴れ足りないし」


 指の関節を鳴らし、意地汚く舌なめずりをしながらマクリエがにじり寄る。



「ひっ」と盗賊たちが小さな悲鳴を漏らす。逃げ出すこともできたはずだが、今や少女たちの凄みに気圧され、その機会を完全に逸してしまっていた。



 そんな彼らの反応を心底愉しそうに見つめ、マクリエは奇声を上げた。



「けけけっ! さあ、誰からやってやろうか!?」




「いい加減にしろ、お前たち!」




 その一言で、場の空気が変わった。



 乱闘の場に駆けつけたのは、巨大な荷物を背負った一人の男だった。



 男の表情はひたすら暗く重く、そのため彼の見事なや深い色をたたえるまでも力なく翳って見える。



 四人目の連れ、それが彼――エゼルだった。勝手に暴走したマクリエたちを探して、ここまで走ってきたのだ。



 悪戯いたずらが見つかった子どものように顔をしかめるマクリエ。



 彼女らの気がれた隙を逃さず、これぞ天恵とばかりに盗賊たちは一目散に逃げ出した。



「あ! ちょっ、待てコラ!」


 マクリエの声を無視し、盗賊たちは地面に横たわった仲間を見捨てて全力で走り去っていく。



 あっという間に距離が広がってしまい、マクリエは苛々しながら頭を掻いた。



「あーもう、これからだったのに! せっかくのお楽しみが逃げたじゃないの!」


「馬鹿、いくら何でもやりすぎだ! あのまま続けていれば、死人が出てもおかしくなかったぞ!?」



 いつの間にか息ひとつ切らさず隣まで来ていたエゼルが説教を始める。



 彼は細身の優男やさおとこながらマクリエよりも背が高い。



 エゼルを下からめ上げ、マクリエは頬を膨らませた。



「何であんたはいっつも良いところで邪魔すんのよ。まったく」


「そう思うなら少しは怒られない努力をしろ」


「や・だ。エゼルが真面目すぎるのがいけないんだもんね」



 踵を返す。イシアとヴァーテもそれに続き、エゼルは慌てた。地面に倒れ伏す盗賊たちを指差す。



「ちょっと待て。こいつらはどうするんだ。死人が出ると後が面倒なんだぞ。最低限の応急処置くらいは」


「そういう後片付けはぜーんぶゼルさんのお仕事です」



 イシアが事も無げに言い放つ。



 盗賊を無視して本当にその場を立ち去ろうとする三人に向かって「おい、待てって!」とエゼルが呼びかける。マクリエが振り返った。



「そうそう。ここに来るまでにコイツらからった麻袋が何個か落ちちゃったみたいだから、野営に戻るまでに拾っといて。全部」


 すでに限界まで荷を背負っているエゼルにとって無理な注文をさらりと言ってのける。エゼルはこめかみをひくつかせた。



「お前、この荷物の山を見ればわかるだろ。どうやって二十人分の袋を持てと――」


「つべこべ言わない。遅れたら蹴倒して毒飲ませて黒焦げにしてやるから。ねぇ、みんな」


 エゼルの不満を切り捨て、女仲間とうなずき合うマクリエ。



 盗賊どころかエゼルを気遣う様子すらまったく感じさせない物言いに、彼はうなった。



「……お前ら。僕を何だと思っている」



 恨めしげな声に、マクリエは「何をいまさら」という表情を浮かべた。



 指を突きつけ、彼女は言った。




「決まってんじゃない。下僕よ、ゲボク」




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