下僕は世界を救わない

和成ソウイチ@書籍発売中

プロローグ:決着の始まり



 それは、戦いが収束に向かおうとしていたときのことだ。





 謁見えっけんの間へと続く回廊には、細かく砕けた壁石かべいしが埃のように積もっている。



 その上を一人の騎士が疾風しっぷうの勢いで駆けていた。



 着込んだ鎧の重さなどまるで感じさせず、呼吸は常と変わらない。



 建物を襲った揺れで不意に倒れてきた彫像を避けたときも、彼が握る長剣の切っ先はほとんどぶれることがなかった。



 轟音。騎士は走りながら目線だけをそちらに向ける。



 回廊にいくつもくり抜かれた窓から巨大な炎の蛇が暴れる姿が見えた。



 その口蓋こうがいがあわや騎士ごと回廊を飲み込もうかというところで、炎は軌道を変えて上昇していった。




 ――今、城の外ではあのような戦略級の魔法が無数に飛び交っている。




 どれほど力ある者でも、またその者たちが力を合わせても、この魔法の嵐をくぐり抜けて城内に潜入することは困難を極めるだろう。



 しかし騎士は、たった一人で城内を駆けていた。



 彼が持つあらゆる技量が卓越たくえつしていたというだけではない。




 城の主が彼を、彼だけを招いているのだ。




 漆黒の長髪をなびかせ、同じく漆黒の瞳で前を見据みすえ、騎士は魔法の猛威にも動揺することなく走り続ける。




 ――私が行かなければ、この国は救えない。もう後戻りはできないのだ。




 彼は名をエゼアルドと言った。




 やがて見えてくる重厚な扉。



 謁見の間へと繋がるそれを、エゼアルドは疾駆しっくの勢いのまま押し破った。



 留め金が痛々しい音を上げてゆがむ。




 そこは、周囲の喚声かんせい、怒号、戦いの脈動から完全に遮断しゃだんされた場所となっていた。



 速度を落とし、研磨された石敷いしじきの床を一歩、二歩と進むエゼアルドの足音が鮮明にこだまする。



 扉を背にして最も奥、数段高くなった場所に宝石で彩られた玉座が据えられ、そこに一人の女が座っていた。



 彼女は、傍らに設えた丸卓の上に視線を落としている。




「リザ!」




 エゼアルドが叫ぶと、女はゆっくりと顔を向けた。一拍遅れて、彼女は口角こうかくを上げた。



「よく来てくれた、エゼアルド」



 溶けた鉄を流すような、ゆったりと熱を帯びた声音である。



 リザ――かつてこの国の王であり、騎士として仕えていた主でもある女を前に、エゼアルドは長剣の柄を握り直した。



 二人の距離は約五間(九メートル)。周囲は驚くほど静かである。



 肘掛ひじかけに右肘を立て、リザは頭をもたせかけた。



 みどり色の中で一房ひとふさだけが金に輝く、彼女の特徴とも言える髪が、わずかに乱れてその腕にまとわりついた。



「そんなところに立っていては疲れるだろう。エゼアルド、この卓にでも座ったらどうだ」


「近づけばお前を斬るぞ」


「それでも構わん。戯言すら聞く価値がない女に成り下がったと思ったのなら、遠慮なく斬れ。ま、ただで殺されるつもりはないが」



 他人が聞けば唖然あぜんとするような会話である。



 エゼアルドは抜き身の剣を持ったままリザの数歩前まで進み出た。



 彼女はその豊満な肢体を椅子に投げ出し、遠い目でエゼアルドを見ている。



 茫洋ぼうようとしているようで、奥底に恐ろしいほど深い意志の光を宿した瞳だった。



 エゼアルドは言った。



「やつれたな」


「いろいろ思い出していたのだ。ここはひどく静かだから」



 口元を緩めながら彼女は指先を自らの右耳に当てる。



 そこには小さな結晶がひとつ、吊り下がっている。



 角錐かくすい型の美しい結晶――『しょうせき』。



 あたかも水面みなもに虹を映したような幻想的な光が表面をたゆたい、持ち主と魂で繋がっていることを示している。



 を、何度も、何度も引き剥がそうともがいてきた傷が、今も彼女の耳殻じかくにはっきりと残っている。



「例えば、そう。私の両親のこととか。話したかな、お前には」


 問われ、エゼアルドは頷いた。


「聞いた。晶籍の定めに苦しんでいたと」


「そうだ。その挙句、殺された。この国と、にな」



 口元の笑みを消し、リザは卓の上に置かれていたものを手に取った。



 表面がくすんだ羊皮紙。そこには無機質な文面が並んでいた。



「父と母が死んだときの記録だ。私の原点でもある」



 羊皮紙をエゼアルドに差し出す。



 何の変哲もないこの紙をリザが後生ごしょう大事に手元に置いていたことを知るエゼアルドは、しばらく躊躇ためらった後、剣を手にしたままリザに近づき、それを受け取った。



 眉間に谷を作り、文面に目を通す。



 晶籍喪失者でありながら社会秩序を乱した罪で投獄、処刑――そのような内容が書かれていた。



「常に膝が土で汚れていた人だった。私という天煌月てんこうげつ生まれの子を得ても、それは変わらなかった。両親が処刑され、その瞬間を見届けたときの感情を、この一枚は冷たく思い出させてくれる」



 かつての王は、エゼアルドの瞳を見据えて告げる。



「この世に晶籍などいらぬ。も不要。私はこの力で破壊し、抗う。だからお前も来い、エゼアルド」


「それが私をここに呼んだ理由か」


「お前ならば、その紙に染みこんだ怨嗟えんさ渇望かつぼうの声が聞き取れるはずだ」



 彫像のようにかたくなな表情を浮かべ、リザは口を閉ざした。



 彼女の右耳に刻みつけられたいくつもの古傷だけが、彼女の想いを声高こわだかに主張しているようだった。



 しかしエゼアルドはかぶりを振った。




「もうやめろ、リザ。お前は間違っている」




 リザの指先がわずかに痙攣けいれんする。



 エゼアルドは小さく口を動かし、魔法を発動させる。



 羊皮紙は炎に包まれ、術者の手を焼くことなく、瞬く間にちりと化した。




 それはエゼアルドの最後通告。




 途端、彼の背中を悪寒がでる。



 リザがくつくつと笑い始めた。同時に周囲の光景が揺らめく。



 爆発的な勢いで増していく力で、空間が悲鳴を上げているのだ。



 碧と金の髪を逆立て、口蓋が見えるほど大きく口を開き、リザは叫んだ。




「――汝のなみだを我に捧げ 我が心音に」




 禁断の詠唱が途切れる。



 椅子にい止めるようにエゼアルドの剣がリザの胸元に突き刺さっていた。



 詠唱の代わりに血飛沫ちしぶきがリザの口から飛ぶ。



 だが彼女の力は衰えない。リザの呼吸が落ち着きを取り戻していく。



 エゼアルドは悟った。リザは今、己の力のすべてを自らの延命に使っている。



「ふふ。残念。いっそお前を支配してやろうと思ったが、少し遅かったか」



 常の口調で彼女は言った。



 それから左手を上げ、エゼアルドの耳へ伸ばしてきた。彼の、静かに輝く晶籍に触れる。リザのそれと形がよく似ていた。



 エゼアルドとリザ、互いの視線が交錯する。



 先に目を閉じたのはエゼアルドだった。



「お前は、最期まで私を困らせる」


「大事な記録を燃やしてくれたのだ。当然だろう」


 何故か、挑戦的な笑みを浮かべるリザ。


「なあエゼアルド。私を理解しなかったお前だが、どうなると思う?」



 初めてエゼアルドの顔が怪訝けげんに歪んだ。してやったりとばかり、リザは喜色を浮かべる。



 それは王国の首脳たちには決して見せたことのない、エゼアルドに対してだけの笑み。



 彼女の口からつむがれた言葉によって、エゼアルドの瞳が驚愕きょうがくに染まる。



 光の爆発が謁見の間を包んだのは、その直後のことだった。





 そして、戦いは収束した。



 だがエゼアルドはことあるごとに思い出す。



 この日から自分の新たな戦いが始まったのだと。



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