下僕は世界を救わない
和成ソウイチ@書籍発売中
プロローグ:決着の始まり
それは、戦いが収束に向かおうとしていたときのことだ。
その上を一人の騎士が
着込んだ鎧の重さなどまるで感じさせず、呼吸は常と変わらない。
建物を襲った揺れで不意に倒れてきた彫像を避けたときも、彼が握る長剣の切っ先はほとんどぶれることがなかった。
轟音。騎士は走りながら目線だけをそちらに向ける。
回廊にいくつもくり抜かれた窓から巨大な炎の蛇が暴れる姿が見えた。
その
――今、城の外ではあのような戦略級の魔法が無数に飛び交っている。
どれほど力ある者でも、またその者たちが力を合わせても、この魔法の嵐をくぐり抜けて城内に潜入することは困難を極めるだろう。
しかし騎士は、たった一人で城内を駆けていた。
彼が持つあらゆる技量が
城の主が彼を、彼だけを招いているのだ。
漆黒の長髪をなびかせ、同じく漆黒の瞳で前を
――私が行かなければ、この国は救えない。もう後戻りはできないのだ。
彼は名をエゼアルドと言った。
やがて見えてくる重厚な扉。
謁見の間へと繋がるそれを、エゼアルドは
留め金が痛々しい音を上げて
そこは、周囲の
速度を落とし、研磨された
扉を背にして最も奥、数段高くなった場所に宝石で彩られた玉座が据えられ、そこに一人の女が座っていた。
彼女は、傍らに設えた丸卓の上に視線を落としている。
「リザ!」
エゼアルドが叫ぶと、女はゆっくりと顔を向けた。一拍遅れて、彼女は
「よく来てくれた、エゼアルド」
溶けた鉄を流すような、ゆったりと熱を帯びた声音である。
リザ――かつてこの国の王であり、騎士として仕えていた主でもある女を前に、エゼアルドは長剣の柄を握り直した。
二人の距離は約五間(九メートル)。周囲は驚くほど静かである。
「そんなところに立っていては疲れるだろう。エゼアルド、この卓にでも座ったらどうだ」
「近づけばお前を斬るぞ」
「それでも構わん。戯言すら聞く価値がない女に成り下がったと思ったのなら、遠慮なく斬れ。ま、ただで殺されるつもりはないが」
他人が聞けば
エゼアルドは抜き身の剣を持ったままリザの数歩前まで進み出た。
彼女はその豊満な肢体を椅子に投げ出し、遠い目でエゼアルドを見ている。
エゼアルドは言った。
「やつれたな」
「いろいろ思い出していたのだ。ここはひどく静かだから」
口元を緩めながら彼女は指先を自らの右耳に当てる。
そこには小さな結晶がひとつ、吊り下がっている。
あたかも
その色が失われぬ限り決して外すことのできない晶籍を、何度も、何度も引き剥がそうともがいてきた傷が、今も彼女の
「例えば、そう。私の両親のこととか。話したかな、お前には」
問われ、エゼアルドは頷いた。
「聞いた。晶籍の定めに苦しんでいたと」
「そうだ。その挙句、殺された。この国と、運命にな」
口元の笑みを消し、リザは卓の上に置かれていたものを手に取った。
表面がくすんだ羊皮紙。そこには無機質な文面が並んでいた。
「父と母が死んだときの記録だ。私の原点でもある」
羊皮紙をエゼアルドに差し出す。
何の変哲もないこの紙をリザが
眉間に谷を作り、文面に目を通す。
晶籍喪失者でありながら社会秩序を乱した罪で投獄、処刑――そのような内容が書かれていた。
「常に膝が土で汚れていた人だった。私という
かつての王は、エゼアルドの瞳を見据えて告げる。
「この世に晶籍などいらぬ。運命に依存した社会も不要。私はこの力で破壊し、抗う。だからお前も来い、エゼアルド」
「それが私をここに呼んだ理由か」
「お前ならば、その紙に染みこんだ
彫像のように
彼女の右耳に刻みつけられたいくつもの古傷だけが、彼女の想いを
しかしエゼアルドは
「もうやめろ、リザ。お前は間違っている」
リザの指先がわずかに
エゼアルドは小さく口を動かし、魔法を発動させる。
羊皮紙は炎に包まれ、術者の手を焼くことなく、瞬く間に
それはエゼアルドの最後通告。
途端、彼の背中を悪寒が
リザがくつくつと笑い始めた。同時に周囲の光景が揺らめく。
爆発的な勢いで増していく力で、空間が悲鳴を上げているのだ。
碧と金の髪を逆立て、口蓋が見えるほど大きく口を開き、リザは叫んだ。
「――汝の
禁断の詠唱が途切れる。
椅子に
詠唱の代わりに
だが彼女の力は衰えない。リザの呼吸が落ち着きを取り戻していく。
エゼアルドは悟った。リザは今、己の力のすべてを自らの延命に使っている。
「ふふ。残念。いっそお前を支配してやろうと思ったが、少し遅かったか」
常の口調で彼女は言った。
それから左手を上げ、エゼアルドの耳へ伸ばしてきた。彼の、静かに輝く晶籍に触れる。リザのそれと形がよく似ていた。
エゼアルドとリザ、互いの視線が交錯する。
先に目を閉じたのはエゼアルドだった。
「お前は、最期まで私を困らせる」
「大事な記録を燃やしてくれたのだ。当然だろう」
何故か、挑戦的な笑みを浮かべるリザ。
「なあエゼアルド。今は私を理解しなかったお前だが、これから先はどうなると思う?」
初めてエゼアルドの顔が
それは王国の首脳たちには決して見せたことのない、エゼアルドに対してだけの笑み。
彼女の口から
光の爆発が謁見の間を包んだのは、その直後のことだった。
そして、戦いは収束した。
だがエゼアルドはことあるごとに思い出す。
この日から自分の新たな戦いが始まったのだと。
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