第27話

 街を過ぎる。


 繁華街を過ぎる。


 駅前を過ぎる。


 まだ歩き続ける。


 ついでに夜もふけていく。


 あいつは現れない。


 だが俺には妙な確信があった。


 これから向かう先に必ずあいつは現れる。 


これだけ歩き回ったんだ。


 すでにあいつは俺達の存在に気づいている。


 もうしていることは捜索ではない。


 これから決着をつけるための場所へと向かうための道程の途中だ。


 天頂には四分の三程欠けた月が鎮座していた。 


 新月ではないのが残念だったが、なあにこれだけ殺気を放って歩き回っていたら十分に調子が良くなる。


 後はあそこに向かって、ここ数日間のストレスを糧にしてあいつの身体を分割するかしてやればいいのさ。


 目的の場所に近づくほどに俺は徐々に準備を整えていく。


 神経は研ぎ澄まされ、筋肉は十分にほぐれ、体内はまるでガソリンを燃やしたかのように熱くなっている。

 

 だがしかし十分な状態を整えている俺の後ろにいる駒墨の様子がおかしい。


 いつものような不敵さは無く、固い表情で口を結んで黙って俺の後を着いてくるだけだ。


「一体どうしたんだ?」


 戦いの前の熱望に水をさされるのを懸念して後ろを振向いて問いかける。


「ああ……なんでもない」


 なんでもないはずが無いだろうが……!


 そう叫びたかったが、命の取り合いの前に集中を乱したくなかったため、それをせずに俺は『……そうか』とだけ言ってまた前を向いた。 


 まあいいさ、戦うのは俺なのだから、俺さえしっかりと殺しあえれば問題はないんだからな。


 未だ背中に感じる沈黙をあえて無視してさらに歩み続ける。


 そしてやがて『目的地』に着いた。 

 いつもなら近くで飲んだ酔っ払いや愛を語り合うカップルで多少なりとも人がいるのだが、どうやら今日は誰も居ないようだ。


 周囲は静まり返っていて、虫の鳴き声も聞こえてきやしない。 


 俺達はさらに進んで広場へと辿り着き立ち止まった。


 ちょうどすぐ前にあるライトに照らされた時計の時刻は二時十分を指している。


 相変わらず周囲は沈黙が支配していて、この時期には小うるさく鳴いている鈴虫もまるで死滅したかのようにその羽音を鳴かせていない。


「何か……感じますか?」


 後ろに立っている駒墨に訪ねると、少しの沈黙の後に『……ああ』と答えた。 


 何かがいることはこの虫達の沈黙と様子を見ればわかる。


 つまりは俺たちの挑発は成功して、あいつはここに居るということだ。


 いや成功とは言えないか、あいつも俺たちが居たら安心して殺しをすることができない。


 もしかしたら成功したのは向こうの方かもしれない。


 ……まあそんなことはどうだっていいさ、俺はここしばらくのストレスと欲求不満をあいつにぶつけられればいいだけだ……そう、それ以外に生きることのできない奴はそうすることしかできないのだから。 


 右手を硬く、鋭く変えて臨戦態勢を整える。


 後ろにいる駒隅は相変わらず心ここにあらずという様子だが、事が始まれば自分で準備を整えるだろう。


 こと戦いに置いては駒墨の能力はかなり有能だからな……それにしても、


「いつまでそこに立っているつもりだ?話があるなら俺がぶっ殺す前にさっさとそこから出てこいよ!」


 俺が濃い闇に覆われた空間に声をかけると、ゆっくりとした足取りで例の赤髪の女が出てくる。


 前にこの公園で戦ったときとは違う何かをかもし出した赤髪は俺たちの数十メートル先までやってくると、そこで立ち止まり、厳かに口を開く。


「まず最初に言っておきます。このまま私の邪魔をせずに立ち去ってはくれませんか?」


 あまりの悪い冗談に失笑してしまう。


 邪魔をせずに立ち去ってくれだって? 


 人殺しの化け物が、適応異常の欠陥品が、駆逐されるだけの害獣が上品にも邪魔をしないでくれ、立ち去ってくれとはな……。


 その丁寧な言い方の裏に俺への見下しと自身の矜持を誇っているような不遜さを感じ取とって心が燃え上がる。


「……どうやら忠告は無意味だったようですね」


 悲しそうな瞳で奴なりの情けを蹴った俺を見つめる。


「何言ってやがる。相手を見下ろしての忠告なんざ挑発以外の何者でもねえよ、どうしてもしたかったらそうさせてみな。一応俺も忠告しておいてやるよ。このまま大人しく俺の言うことを聞いてくれませんでございませんかね?」


 嫌味を込めた俺の忠告は悲しいことに受け入れられなかったようだ。


むしろその場の緊張を緩和する冗談のようにとらえられたようで、赤髪の表情が緩んでいた。


「そうですね……あなたと私がそんな大人しい関係になるはずがないですものね……わかりました、無理やりにでもあなたには大人しくなってもらいましょう」


 その言葉を合図に赤髪が構える。


 前回も前々回も戦ったときは奇襲だったので、お互いに向かい合っての殺り合いは初めてだ。


奴の攻撃の正体はすでにわかっており、まだ能力に目覚めてばかりで戦術にもバリエーションが無いので大きな問題はないだろう。


 相手の挙動を確認しながらゆっくり後ずさり、後ろにいた駒隅の横に立つ。


 そしてまだ何か考え込んでいる様子の彼女に、

「相手とは俺が戦うんで手出しせずにいてください。自分の身を守ることだけを考えて」


 とだけ伝えると、こちらの方を向いてわずかに首を上下させて了解をした。


 それを確認した俺は目線を前に向きなおし、改めて『命の取り合い』を前提とした戦いへの覚悟をして一歩踏み出す。


 赤髪は厳しい顔で構えたままだ。


 この隙を狙って攻撃してくるかと思っていたんだが……。


「そんなことをしたら、あの女の能力で一気に勝負をつけるつもりだったんでしょ?」


 意外そうな声を上げている駒隅の前で俺はバレたかというような顔をしてそれが事実だということを証明する。


「まったく自分が戦うと言っておいて、他人の手を借りる……本当にろくでもない人ね」


 あきれたように炎髪に指をからめ、毛先をもてあそぶ。


 駒墨とはまた違う気品さをその姿に見て背中に妙な汗が伝った。


 鬼上の血の目覚めにより人を殺すことを覚えたばかりの化け物とは違う本能に訴えるような何かを感じる。 


「育ちの悪さとくぐった修羅場の数には自信があるんでな、変に誇りや美学を持ち出す奴はすぐに死んでいくんだ……よ!」


 休憩するように軽口を叩き、地面を蹴りぬいて全力で走り出す。


 直線的な毛針攻撃は避けることはそれほど難しくない。


 また実戦不足により予想外の攻撃に対しての対応がまだ甘い。


攻撃を完全によけることは難しいだろうが、多少の怪我と引き換えにこいつの命を奪える……はずだった。


「……!」


 ジグリと背中を這い回る何かを感じ、地面に腕を刺し、慣性を無理やり殺して強引に踏みとどまる。


 瞬間、目の前で無数の針が飛び上がるのを見た。


 燃えるように赤く飛び上がったそれらは直撃したなら地面に綺麗な赤雨を降らす合図になっただろう。


「おお、危ねえー」


 我ながら緊張感のかけらもない言葉で、夜空を染め上げるように空へ消えていった攻撃を見上げる。

 

「どういう神経をしているの……もしかしたら死んでいたかもしれないのに」


「まだ死んでねえだろうが……どうしても驚いてほしかったなら死んでから驚いてやるよ」


「死んだら驚けないでしょうが!」


 当たり前のツッコミを入れて直線上のすべてに穴を穿つような極細の弾丸が飛んでくる。


 横に飛んでそれを避ける。


すぐに地面を蹴り上げてまた近くの木を踏み台にして飛び上がろうとするが、


「おわっ!……何だこりゃ!」



 公園管理業者に丹精込めて育てられたであろう立派な幹を全身のばねを使って蹴りぬけようとしたら本当に蹴り抜いてしまい、俺は片足を刺したまま枝のようにぶらりと垂れ下がってしまった。 


 おかしい……公園の樹木なんてのは公共意識と私欲の強い政治家が枯れさせないように無駄に金をかけてまで大事に保護しているはずなのに……。


「ひっかかったわね!この間のことがあったから公園の木々の内部をえぐっておいたのよ」


「お前こそどんな神経してんだ!地球に優しくねえぞ!」


 罵倒と同時に入り込んだ足を抜いてすぐに飛び立つ。


俺がかつて枝の一部になっていた樹木は一瞬で何千もの木片と成り果てた。


「逃げるな!森林破壊になるでしょ!」


「だったらその攻撃をやめればすむことだろうが!」


 赤髪が撃ち続ける髪針を避けつつも徐々に距離をつめようとするが中々近づくことができない。


 さすがに近づかれてしまえば奴の能力が不利なことは理解しているようだ。


弾幕を維持しながら、ある一定までしか接近させてくれない。


「いい加減にあきらめて首を跳ねられちまえよ!」


「冗談言わないで!あなたこそ何故私の邪魔をするの!」


 空中で、地上で俺たちは互いに罵り合う。


 接近できなければ致命傷を与える事のできない俺と遠距離で攻撃するしかない赤髪の戦いは膠着していたずらに時間だけが消費される。


 合間を縫って攻撃してくれればいいのにと駒墨を見ても、部活の顧問のように神妙な顔で腕を組んで見ているだけだ。  


「本当に見てるだけかよ……」


 雨のようにバラバラと砕け散った木片を身体に受けながら高速で走り抜ける。


何とか赤髪との距離を詰めることに成功した。


 そのまま有無を言わさずに刃を横に一閃するが、身体と刃の間に入った髪が硬質化して盾のように止めてしまう。


 同時に捻られた毛先が細身の槍のように盾の間から突いてくる。


「チィッ!」


 避けようとするが、足に髪が絡みついて動くことができない!


 盾から髪槍がまっすぐ俺の身体を貫くが、直前で溶けるように消えた。


 足を抑えていた髪を切って一旦距離を開ける。 


 そして自身の身体を見ると、何か黒いタールのようなものがこびりついていた。


 これは……黒水鬼?


 駒墨を見ると無表情で人差し指と中指を広げてこちらを向けている。


「手伝ってくれるならあいつをどうにかしてくれませんかね」


「君が一人でやると言ったのだろう?さすがに死なれては困るから今は助けたがね……気をつけた方がいい、君につけたそれは一回きりだ。次は身体に大きな穴を開けてくれるだろうな」


 試すような口調に内心イラついたが、それどころじゃないので黙って背中を向ける。


「……お話はそれくらい?」


まるで幽霊のように佇む赤髪は髪の先端を鋭角化して俺達の会話が終わるのを待っていた。  


 ……気にいらねえ。 


最初の奇襲はともかく、前回にやりあったときは経験の差で俺が圧倒していた。


 それなのに今はほぼ互角……いや、さっきのアレがあるからわずかにあいつの方に軍配が上がるだろう。


 息を大きく吸って……吐く。


 深呼吸することによって高ぶった気持ちを抑え……られない! 


 ギリリと歯が削れる音が頭蓋に響く。


 それを合図にまた殺し合いをはじめる。


 赤く熱せられた刃のような赤髪。


硬く作り上げた刃を練成するように打ち込まれていく。


 一度……二度……三度……、何かに急かされているかのように打ち込まれるそれはある速度まで達したところで、今度は逆にゆっくりとしたペースに下がっていった。


 その代わり、何かを突き刺すような音が入り始め、それに荒く吐く息の音が混じるようになった。


「まだ闘うのつもりですか?」


 対峙する敵が冷たく言い放つ。 

 

「………………」


 目の前が暗い……。


頭がふらつく。


身体が動かない。 


 前回の戦いが嘘のように血だるまになりながら俺は立っていた。


 悔しいが認めるしかない、こいつは成長している……それも常識外な程に。 


 ああそうだ……この余裕も、あの武器の使い方も、その身のこなし、それら戦闘にかかわる全てにおいてこの女はそれこそ秒単位で成長している。


 全身を駆け巡っていたアドレナリンが消費されつくされる。


そしてそれらが留めていた疲労が身体にのしかかってきたところでそれを理解した。


 現状は文句なしに俺の劣勢……敗北寸前のレベルで。 


 まるで逃げ出すように噴き出ている血液を全身で感じ、暗くなる視界の中ではすでにあいつの顔すらも見えない。


ただ相手の鮮やかに朱色の武器を頼りにただ立っているだけ。 


 ここまで絶対絶命まで追い込められたのは初めてだった。 


「クックック……ヒャハハッ、ハハハハハ!」


 それでも頬の緩みが止まらない。


 楽しい……楽しくてたまらない!


 額から流れる血が顔を伝って口の中に入りこむのも構わず俺は狂ったように笑っていた。


 筋肉は酷使の連続ですでに動かなくなりはじめている。


 血液はもうどれくらい無くなっただろうか?


 視界は暗くなるどころかもうあいつの赤い髪しか見えない。 


実力差は離れる一方……こちらは満身創痍でろくに動くことすらできない。     

 それなのに楽しかった。 楽しくて死んでしまうんじゃないかと思うほどに俺は歓喜していた。


 そうだ……思い出した。


俺は殺人鬼になりたかったんじゃない!


せっかく持ってしまったこの能力でギリギリの戦いをしたかったんだ。


 自分の限界の先を見たかったんだ。


 望むと望まぬにかかわらず鬼の血に目覚めてしまった者を同類の俺が殺し、屈服させていく。


その果てに俺自身も血に目覚めた者に殺されるのを待っていたんだ。


 殺すと殺される者の差はものすごく近いところにある。 


それこそ寄り添っているものだろう。


 俺はどちらに転んだってどうでも良かったんだ。


 だってこの俺が生きられるはずが無い。


 母さんを殺した時にそう気づいたじゃないか。


 だから俺は限界を超えて闘って、闘って……死ぬ。


 そう思ったら身体が勝手に動いた。


全ての音が感覚がどこか遠くに行って俺は見ているだけの存在になる。 


 迫ってきた俺にあいつが髪先を突きたててくる。


そのことごとくを先端数センチのところで切り落とし、その断面に片足を乗せてそのまま飛び上がり一気に距離を詰める。


 とっさに自身の髪で盾を作ろうとしたようだが、完全に硬質化する前に刃が腹に突き刺さった。 


「キャアアアアッ!」


 悲鳴を遠くに聞きながら、そのまま一気に刃を横に払おうとするが、何かが俺の身体にまとわり着いて動くことができない。 


 ああわかったこれはこいつの髪だ。


いやもう髪という言葉は正確ではない、こいつの武器であり身体の一部だ。

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