第10話

「くどい!」


「はい……どうも失礼をいたしました。せめてものお詫びにお家までお送りさせてください……陸、送ってやれ!」


「何で俺がそんなことを……」


 恭介がアセロラドリンクを掴み、俺の鳩尾にドスリと刺して耳元でささやく。


「いいから行け……後でまた連絡する」


 それだけ言い残して俺を強引に、駒墨を礼儀正しく車から降ろすと、すぐに車を急発進させて走り去っていってしまった。 


 一体何なんだよ……あいつはよ。


「……忙しい男だな」


 ポツリと呟く。 


「ああ見えて警察のお偉いさんだからな、それなりに忙しいんだろ。それじゃ俺はこれで、また明日な……っと、何だよ?」


 帰ろうとする俺の襟首を掴んで駒墨が強引に止める。


「送ってやれといわれたろ?命令を違える気か?」


 悪戯っぽいニヤニヤ笑いをする。


 正直面倒くさいし、この女の妙な雰囲気は苦手なんだが……、


「わかりました。送っていきましょう」


「驚いたな、意外に素直な反応だ」


 とても驚いているようには見えないニヤニヤ笑いをしている駒墨。


なんてわざとらしいこと言ってやがると心の中で毒づく。


「一応あのクソ警察官に衣食住見てもらってるんでね、スポンサーには勝てませんわ」


 わざとらしく両手を広げて肩をすくめる。 


「なるほど……それは嘘だな」


 あっさりと嘘を見破られてしまった。


 その通りだよ。


 誰が衣食住くらいであいつに恩義なんか感じるもんか……第一、俺は仕事をしてその対価としてあいつから金を貰ってるんだ……つまりはビジネス。


 対等な関係だね。


 ただ俺があいつからの仕事を断ったら殺せる自由が向こうにはあって、俺には生きる権利が失われるだけだけど……。 


 ただそこまで説明する気は無いし、この女に弱点を知られるのはマイナスになりそうなので黙っておくけどな。


 さて俺の本当の目的は、


「別に帰る道すがら暇だろうからね、貴方様のあの黒い物のことを話したいだけですよ」


「そうだろうな……それが一番聞きたいんだろうな」


 気のせいか駒墨の顔が暗くなったような気がする。 


やはり宗家一族の能力のことを聞くのは無謀だったか?


 俺の頭の中でかつて恭介から聞かされた鬼上のことを調べていた者の最後の話がリプレイされた。


「……まあいいだろう。男女で盛り上がれるような話など私には出来ないし、お前が話しても私も理解できないだろうしな……それならお前が興味を持ってることを話したほうが少しは楽しいだろう」


 言った後で失言だったかも知れないと思った為、意外な了解に逆にこちらが困ってしまった。


 まさか話した後で殺すとかじゃないだろうな……。


「どうした?私のあの『黒水鬼』のことを聞きたいのだろう?」


「黒水鬼?なんですそれは?」


「私の先祖にはそういう超常の者を研究していたものが居てな……その研究で得た力で財産から権力まで手に入れたそうだ」


 宗家のその辺りの話は俺も聞いていたが、あえて黙っておいた。


 下手に俺や恭介が宗家のことを調べていたことがわかれば、何らかの罰、もしくは処刑命令が出る可能性があるからだ。 


「黒水鬼もその中の産物の一つだ。西洋で言うところのピクシーとか妖精だな。一つ一つはわずか0.1ミリ以下の極小の群体だが、飲み込んだ相手の身体の中に入って内臓を内側から食い尽くすこともある。私の一族は代々その黒水鬼をとりつかせてきた」


 そこで一旦言葉を切って駒墨が空を見上げる。


 何か泣くのを耐えているようにも見えて俺は黙ってその姿を見ていた。


 やがて視線を正面に戻してまた話の続きを始める……。


「黒水鬼を宿した者は自在に操ることが出来る。ただし身体は侵食されてやがて黒水鬼そのものとなる。そしたら次の宿主に寄生させる……私の一族はそうやって代々黒水鬼を成長させて利用してきた」


「それじゃ黒水鬼を宿した者は長生きできないのですか?」


「そうだな……私が父様に聞いた話では普通ならせいぜい二十年くらいだそうだ」


「ということは……」


「ああ……普通なら私の寿命は後数年で終わるということだな、その後は一族の誰かが私の代わりの宿主になるのだろう……」


 宗家の能力の秘密である黒水鬼を宿したものは二十年以内に死ぬ……。


 その過酷さと儚さには言葉を失ってしまう。


 そこでふっと疑問に思った。


 一族の能力の秘密は黒水鬼だということはわかった。 


それなら何故俺達に多種多様な能力が生まれるのだろう?


 駒墨の話が本当ならば、黒水鬼の能力を使えるのは一人だけということになるし、生まれつき備わっているというわけではない。 


  それなら何故鬼上一族の上から末端までが突然変異的に能力に目覚めるというのは矛盾しているように思える。 


 一口に能力とは言っても身体の一部が変化して身体能力が上がるだけの者から姿形全てが人間とは全く違う存在になる者もいるが、駒墨のような能力を持っている奴らには一度も出会ったことが無い。 


 どうもこの女は何か大事なことをまだ隠しているようだ。 


「ところでお前こそ何者だ?朝の時の動きは常人とはとても思えなかったが?」


「……俺も貴方様と一緒ですよ。ただ俺の能力はただ身体の一部が変化して少しばかし身体能力が上がるくらいなもんですがね」


 話し終えたところで駒墨が呆けたように口をあけてこちらを見ている。


「どうかしましたか?」


「いや……私以外に能力を持っている者に初めて出会ったのでな……正直驚いている」


 驚く? 宗家にだって俺とは比べものにならない能力者がいるだろうに……。


 何がそんなに珍しいのだろうか?


「別に自慢出来るほど大したもんじゃないですよ。大体……」


 言葉が途切れる。


 空間が硬直し、全てが別世界に切り替わる。


 横を見ると駒隅も何かに反応したようで足元から黒い染みがじわりと広がっている。


「……気づきました?」


「……黒水達が騒ぎ始めた。何かが居ることは間違いないな」


「そしてそいつが敵意があることも?」


「敵意がなかったならここまで黒水達が騒ぐことは無い」


 つまりは敵か……しかもこの感じから言って例の公園で出会った奴だと思われる。


 駒墨の前に立って構える。 


一応宗家の人間である以上、怪我をさせたら俺やどうでもいいが恭介にまで咎がやってくるからだ。


「さがって……」


 言い終わる前にシュッと何かが飛んでくる。


 とりあえず俺は右手を動かして飛んでくるそれを弾き落とすと、カチンという金属音を出して地面に転がった。


 やはりそれは針だった……。


 黒く細いまるで髪の毛のような細さの針だ。


「それがお前の能力か……」


 駒墨が俺の右手を指差す。


 俺の右手は形質が変化してまるでナイフのようになっている。


 これが俺の唯一の能力だ。


 つまり両腕を硬質化させブレード化させることができる。


 ただそれだけの能力……。 


「攻撃が来ます。どこかに隠れて……っておい!」


 こちらの気遣いなど無視して駒隅は俺の横を通ってスタスタと歩いていってしまう。


 狙い済ましたように攻撃が駒墨に集中して飛んでくる。


「あ、危ないだろ……でしょうが!」


 飛んでくる針を片っ端から落として前を向いたまま文句を言うと、なんでもないことのように、


「ああ……すまないな」 


 と一言で済ませやがった。


 しかも一応謝っているくせにそれでもまだ無造作に前進し続ける。


「だから人の話を……」


 今度は広い範囲から針が飛んでくる。


 駄目だ……捌ききれない……当たる……せめて


 俺は裁くのを諦めて駒墨に覆いかぶさる。 


この女に傷一つついただけでとんでもないことになることを考えるとこうするのが一番だと思ったからだ。


 後は上手く逃げ出せれば……。


 針が空気を切り裂いて飛んでくるのが感覚でわかる。


 しかしある一定の距離まで近づいたところでその音が止み、代わりに水が動くようなバシャリという音が聞こえた。


 振り返ると目の前が暗い。


 まるで闇夜のように……いやこんな闇は見たことない、光どころか音、空気、生物すら存在できないとすら思える。


 新月の暗闇の中で安堵を覚える俺ですら拒絶する完全な闇がそこにはあった。


「危なくないのであれば問題はないであろう?この程度の攻撃の中なら散歩しているのと変わらん」


 ぞっとするほど落ち着いた声で耳元で囁く。


 闇が崩れて地面に吸い込まれる。 


 夕日に染まった空が網膜に映ったときに初めて安堵を覚えた。


 どうやら例の黒水鬼は俺達を包みこんで攻撃を防御していたようだ。 


「どうした?汗で身体がぬめっているぞ……不愉快だ、少し離れなさい」


 はっと気がついてくっついていた身体を離して周囲を見渡す。


 ジージーという蝉の音と風で揺れる木の枝の音しかしない中で、まだそいつは居た。


 どこか隠れたところで俺達のことを見つめて次の攻撃の糸口を探っているのを感じる。


「まだ……いるのか?」


「ええ……それよりさっきはありがとうございます」


 周囲に注意を張りながら礼を言うと息を呑む音が聞こえる。


「……初めて礼を言われたな。存外に心が動くものだ」


「一体何を言って……」


 俺の目前で闇が地面から起立する。


 それはまるで湧き出すように地面から生え、無数の針たちをそのゆらゆらと水のように揺れている内部の中に飲み込んでしまう。


「油断するな……敵は隙を見ているようだ」


 駒墨が数歩進むと黒水もまるでスライドするように先へと進む。 


その間にも複数の方角から針が飛んでくるが、駒墨の前にある水がまるでヘビのように形を変え、飛んでくる針群を包み込んでしまう。


「ほらこれで安全だ……後は襲ってくる敵を捕まえて何故襲うのか問いかけるだけだな」


 俺の方を向きながらこともなげに笑う。


 なんて女だ……。


「さてと……どうやって敵を探すとするか」


「その必要はありませんよ」


「どうしてだ?」


「……敵はすでに逃げて近くに気配すら感じません……逃げられました」


 駒墨はしばらく無言で思考した後に小さく舌打ちした後に一言、


「ならば良し」


 とだけ言った……。



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