ルールに縛られた作者へ
書く者としていちばん大事なのは、人に読ませて意見をあおぐことと勝手に思っています。
もちろん自分で書いて、にまにましながら読み返すだけでもいいのです。いいのですが、それでは技術の向上はあまり見込めないでしょう。それにせっかく書いたものを引き出しやノートパソコンに眠らせておくのも忍びない。読んでもらいたいからこそ、このような小説投稿サイトが存在しているはずです。
なので人にみせ、評価をもらう。
へたくそな作品もあります。
人はみな、はじめはへたくそです。はじめから上手い人もたまにいますが、基本的に人は下手からはじまります。なのでそこは恥じなくていいのです。下手の横好き、おおいに結構。
しかしそうやって批評し批評されていると、だんだん心の中に「ルール」が芽生えてくるのを感じませんか?
ときどき目にするでしょう。あるいは、合評会や小説講座に行っている方は、聞いたことがあるかもしれません。いろいろな人の「ルール」を。
「視点移動はよくない」
「パクリはよくない」
「この文法だと読みづらい」
これらはもっともです。
もっともですが、ちとちがいます。
人類史において新しい分野である「小説」は、まだまだ試しきれていない、可能性が残された媒体です。ルールなんてあってないようなものです。「ルールがある」と思っているのは勘違いか妄想です。
あなたの小説が面白くないと言われている理由は、ルールを破っているからではありません。
その手法が、「効果的」ではないだけなのです。
たとえば、一人称にする理由はなんですか?
章を変えるときに視点を移動する理由はなんでしょうか。
ハッピーエンドにする理由は?
その文体で書く理由は?
「なんとなく」
「かっこいいから」
「今、はまっているから」
こういった理由はダメです。自分の気分ではなく、「今書いている小説のため」だけに限定して考えてください。
その小説を読んだ人に、主人公を好きになってもらいたいですか?
それとも、きらいになってほしいですか?
最初はきらいだけど、最後に全部ひっくり返すくらい、大好きになってもらいたいですか?
じゃあ、その「理由」のためだけに、「手法」を使ってください。
どんな視点で、どの情報を与えつつ、どの文体で、ラストはどうするか。
自分の書きたいように書いてはいけません。
自分の書きたい「小説のため」に書いてください。
「ルール」を特別視する必要はまったくないと思います。
ただ、必要なのは「それが効果的かどうか」です。
その作品のためだけに考えればいいのです。
ほかの手法を試したくなったら、どうぞ、ほかの作品でお試しください。
その作品を、どんなふうに読んでもらいたいか。
どんなふうに味わってもらいたいか。
小説にルールなんてないです。すべてを効果的にさえ書けば、心に響く小説が書けます。
反対に、どんなによいアイディアでも、どんなによい手法でも、効果的でなければ「つまらない作品」になってしまうでしょう。
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