眠りの向こうの冬の国
原ねずみ
1. 依頼
依頼
ぽっちゃりとした茶トラの猫が、手から手へ渡された。20代半ばほどの男性の手から、猫と同じくぽっちゃりとした中年の女性の手へ。女性は猫を受け取ると、大喜びで自分の胸に抱きしめた。
「ああ、キャンディちゃん、ほんと見つかってよかったわ!」
猫はぎゅうぎゅうと抱きしめられている。男性はそれを愛想の良い笑顔で見ていた。男性の名前はミカゲ。魔術師であり、その魔法の力を生かして何でも屋をやっていた。占いや物探しなどの依頼を受ける。今回は猫探しを頼まれており、無事対象の猫が見つかって依頼主のところに戻したところだった。
晩秋の穏やかな午後のことだった。自宅の一部を使った事務所に、ミカゲと依頼人の女性とそして猫。ひとしきり再会を喜んだ後、女性はミカゲにお礼を言った。
「本当にもう、ありがたいわ。苦労なさったでしょ?」
「いいえ」
ミカゲは答える。魔術師だから何でもわかるというわけではない。しかし他の人びとよりいくらか神経は過敏だ。また、物の声を聞くこともできる。人以外の生物、それから無機物などの。もっともそれははっきりとした言葉ではなく、ある種の感情や雰囲気といったものに過ぎないのだが。しかし今回もこの能力を使って猫の居場所を突き止めたのだ。
魔術師の能力は他にもある……が、今のミカゲが使う能力は限られたものだ。猫を籠に入れながら、女性は話を続けた。
「「冬」が来る前に見つかってよかったわ。やっぱり家で、自分の側で「冬眠」させたいでしょう? もっとも「冬眠」はどこでもできるんでしょうけど、でも、やっぱりねえ」
「そうですね」
答えながらミカゲは窓の外に目をやった。暖かな陽射しが溢れている。けれども季節は少しずつ「冬」へと向かっていた。朝晩の寒さが身に染みるようになってきている。そしてほどなく、「冬」が、人々が眠る季節がやってくる。
代金を支払って女性はにこやかに去っていった。ミカゲは窓辺から女性を見送り、そして入れ違いのように黒い高級車がやってくるのを見た。あの車は見たことがある。瞬時にミカゲの脳裏に広い庭、古い屋敷が思い浮かんだ。その近くで自分は暮らしたことがある。そして忘れられない思い出となった。
車から一人の人間が降りてくる。これもまた中年の女性だった。40代ほどでふっくらとしているが美しい。しかし顔立ちはいささか厳しめともいえた。女性は真っすぐ事務所を目指してくる。ミカゲは落ち着かない気持ちになった。車と同様、知っている女性だった。しかしここしばらくはずっと会っていない。一体何をしに来たのだろうか。
――――
「久しぶりね」
ミカゲを見るなり、女性は言った。確かに久しぶりだった。最後に会ったのは8年前。まだミカゲが10代の頃だった。女性はそれから少し年をとったが、あまり変わっていない。あの頃も美しい人だと思っていたが、今でもやはり綺麗だ。
ただ、近づきづらい人だった。自分よりもずっと立場が上なせいでもあったが、雰囲気がぴりりとして容易に声をかけてはいけない感じがある。それは今でも同じで、ミカゲは多少、緊張した。
「たまには私たちのところに遊びに来てもよいのに……」
事務所のソファに女性は腰かけた。ミカゲも笑って腰を下ろす。
「今ではしがない何でも屋ですから」
「そうでなかったはずでしょ。あなたがこんな風になるとは……。まあいいわ。私は今日、あなたに仕事の依頼をしにきたの」
「何でしょう」
8年ぶりに出会った女性を、ミカゲはじっと見た。8年。長いようであるが、しかしあっという間でもあった。つい昨日のような気がする。彼女が住む家の近くに住んでいた。彼女の家を訪れたこともある。それは壮麗な屋敷であった。そこには彼女の他にも女性たちがいた。
彼女の名前はマリアンヌ・ガーネットという。ガーネット家には5人の姉妹がいた。マリアンヌが一番上。そして末には……。若々しく美しい女性の姿が頭に浮かび、ミカゲはすぐにそれを打ち消した。思い出したくない姿だった。いや、忘れたことなど一日たりとてなかったともいえるが、しかし、ここで直視したくない。
「あなたに私の娘を預かってほしいの」
「……娘、ですか……」
そういえば、マリアンヌには娘がいたな、とミカゲは思った。昔、何度か会ったことがある。双子の娘だった。あの頃はまだほんの幼女だった。よく似た二人で、よく似たおかっぱ頭に、よく似た服を着ていた。そしてミカゲが惹かれたのは目の色だった。琥珀のような金色をしている。その色はある女性を……そこまで考えて再びミカゲはその思考を追い払った。
「そう、「冬」の間。今度の「冬眠」はあなたの家で過ごさせたいの」
「何故なのですか?」
いまいちわけのわからない依頼だった。マリアンヌは少し迷うような表情を見せた。
「――私たちの家にはいさせたくないの。つまり……なんといえばいいのかしら、場が不安定になっていて、なるべくならそこから離しておきたい」
どこか歯にものが挟まったような、曖昧な言い方だった。もっと詳しく聞いておきたいところだが、マリアンヌがどこまで話してくれるかわからなかった。追及の変わりに、ミカゲは少し笑顔になって話題を逸らした。
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