tea time

城戸火夏

tea time

「やあ、これは懐かしい」

 茶葉を選別していた手を止めて、私は突然やってきた旧友に向かって笑顔を向けた。

「お久しぶりです」

 友は被っていた帽子を取り、私に向かって丁寧に頭を下げる。彼の頭は、前に会った時に比べて、すっかり白くなっていた。

 服装だって違う。今日の彼は、正装の黒い紳士服を粋に着こなして、すっかり見違えたものだ。

「いい男になったじゃないか」

「申し訳ない。突然来てしまって」

「なに、構わないさ」 

 私は彼に歩み寄り、長旅をしてきたであろう体を揺り椅子へと案内してやる。

 窓際の、柔らかい日差しが降り注ぐ特等席。側には、茶を飲むための小さなテーブルも置いてある。

「ああ、これは気持ちが良い」

 椅子に揺られながら、友は穏やかな表情を見せる。 

「いやはや――何年ぶりですかな、ここへ来るのは」

 彼は深いため息を吐き、細い目を更に細めて私を見つめた。

 小さい小屋の中に、午後の淡い陽光が満ちていた。床板は蜂蜜色に染まり、白い壁には太陽の色が染みこんでいる。

「せっかく来たんだ。どうか、ゆっくりしていってくれ」

 私は暖炉のそばにある調理台へと向かった。選別済みの茶葉を籠に避け、残りを入っていた麻袋の中へと戻す。

「茶でも出そう。少し待っててくれないか」

「構いませんよ。どうぞ、お気遣い無く」

 友は軽く手を上げて応え、それから、おもむろにこちらを指差した。

「あれは、まだ完成しないのですね」

 私は彼が示す先――調理台の真ん中に目を遣った。

 そこにあるのは、ガラスで作られた小さな小さなティーポット。

 ポットの中身は琥珀色の液体に満ち、底にはすっかり色あせた茶葉が沈んでいる。

「以前訪ねた時も、そこに置いてありましたね」

「よく憶えているね」 

 私はテーブル横の食器棚を開け、焼き菓子が盛られた皿を取り出す。

「ダージリンの水出しさ」

「ほう」

「午後に飲もうと思ってね。昼前に淹れておいたものだよ」  

「良いですねぇ。旨そうだ」

「おっと、駄目だよ」 

 陶磁器のティーポットとカップを調理台に並べながら、私は苦笑いを漏らした。

「まだ抽出が終わってないんだよ。代わりに、ダージリンのブレンドでも振る舞うよ」

 暖炉の火に水を入れたヤカンをかけておいて、私は茶葉の用意をする。

 食器棚に並べた数種類の茶葉のビン。その中からいくつかを選んで、調理台の上に出していく。

「味はとてもいいのだが、時間を喰ってしまっていけない」

「いやいや、手のかかる子供ほど可愛いと言いますよ」

「ははぁ……世の中には、上手いことを言う人がいるものだ」

 私はビンからほんの少しずつ茶葉を掬い、手近な容器に入れて軽く混ぜ合わせる。手元からふわりと香りが立ち昇り、私の鼻孔を刺激する。

「で、それは真実なのかい?」

 もう一匙茶葉を入れ、私は彼の顔を見る。彼は応えるように頷いて、ポケットから小さなロケットペンダントを取り出した。

「愛しいものですよ、実際」

 ロケットを見つめながら、友は言った。

 ヤカンがしゃんしゃん鳴き始める。私は手早くヤカンを取り上げると、ポットとカップにお湯を注いだ。

「あれから暫くして、妻と出会えましてね。息子と娘、一人ずつです。まぁ、色々難儀なこともありましたが」

 友はロケットを開き、満足げに息を吐いた。

「幸せでしたよ、私は」

 私は再び茶葉を混ぜる。アッサムの、まるで菓子のような強い甘い香り。そして、その中でふと匂い立つ、華やかなダージリンの芳香。

「なら、世の中は、あながち間違ったことばかりでもないようだね」

 私がそう言うと、友は可笑しそうにはっはっはっと大きく笑った。

「まるで若者みたいなことを言いますね。面白い方だ」

 私は茶葉を混ぜる手を止め、暖まったポットとカップから湯を捨てる。ポットの中に茶葉を入れて、ヤカンのお湯を再び注いだ。

 香りが、小屋の中一杯に広がった。

 茶の用意を盆に載せて、私は窓際へ戻る。

「待たせたね」

 盆をテーブルに置いて、調理台から自分の椅子を持って来る。彼の向かいに座りながら、私はポケットから小さな砂時計を取り出した。

 砂時計をひっくり返し、ポットの横に置く。黄色い砂がさらさらと落ちて、積もって、時を刻んでいく。

「こうして誰かとお茶を飲むのは、本当に久しぶりです」

 落ちる砂を見ながら、友は嬉しそうに言った。

「もうずっと長いこと、ベッドから離れられませんでしたから」

「じゃあ、治せなかったのか」

 私は彼の胸を見つめる。

「ええ、どうもね。こればっかりは運命なようで」

 そう言って、彼は自身の胸――心臓の上に手を当てた。以前ここへ来てくれたときも言っていた、彼の胸に絡みつく枷。

「医者から、もうもたないと言われましたよ」

 そんなことを、友は笑いながら言う。覚悟が出来ているのか、恐怖からの逃避なのか、私には分からなかった。

「なるほど。だから、来てくれたのか」

 私は砂時計に目を遣る。砂はもうほとんど落ちきり、あとわずかになっている。

「私は、幸せ者です。こんなに穏やかな気持ちのまま、ここを訪れることが出来た」

 砂時計が時を刻むのを終えた。私はポットのふたをとり、スプーンで一回、中を静かにかき混ぜる。

 ポットの中で、美しい茶に染め上げられた湯が丸く流れて、落ち着いていく。

 私は茶漉しを手に取り、まず、彼の分の茶を淹れた。

 茶葉を漉しながら、円を描くようにして茶をカップへと注いでいく。

 こぽこぽとカップが満たされていく音を聞きながら、彼は心底嬉しそうに笑っていた。

「さあ、出来た」

 私は淹れ終わったカップを彼の前に置く。白い湯気がふわりとあがった。

「良い香りです」

 彼はカップを手に取り、口元へそっと運ぶ。

 茶を一口飲んで、彼は大きく息を吐いた。


「ああ、旨い」


 彼は一言、泣き出しそうな声でそう呟いた。

 私は自分の分の茶を淹れる。

 カップの中で、茶がくるくると回って、やがて落ち着く。

「それで、君は――」

 私は顔を上げて、彼の方を見た。


 私の目の前で、揺り椅子だけがわずかに揺れていた。

 

 柔らかい陽の光と、心地よい茶葉の香り。


「……全く」


 私はカップを口元へ運ぶ。熱い茶を一口飲んで、誰もいない揺り椅子に向かって呟いた。


「ゆっくりしていけと言ったのに」


 私は調理台の上の、ガラスのティーポットに目を遣る。きっと、もう少しすれば抽出も終わるだろう。

 

 せっかく、飲ませてやろうと思ったのに。


 残念に思いながら、私は再び茶を啜った。

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