リーブシエール〜レーデスフィアナの小冠〜

若生竜夜

野茨の館へ

「ウェルウィン、リーブシエールへ行ってみないかい?」

 十四歳になった夜に、わたしは父さまからそう尋ねられた。



 たくさんの小さなバラを意匠化した門をくぐると、あらわれたのは花咲く広い庭とまっ白な城館だった。

 夏へ入る直前のすずやかな日差しが、午後の庭へ降りそそいでいる。雲のない空から落ちる銀の雨が、野茨の白い花をあまく濡らしている。わたしは馬車の窓から城を眺め、茨這うなめらかな白壁が近づいてくるのをじっと見つめた。

 ウェルウィン・リード。

 それがわたしの名前だ。リード男爵家の長女で、二番目の子ども。空みたいな青い目、明るい色の髪。昨日、十四歳になったばかりだ。

 わたしは今、訪問用のとっておきのドレスを着て、リーブシエールへ向かう馬車に揺られてる。

 リーブシエールというのは、大陸中央の森にある特別な土地のことだ。いくつもの不思議と魔法に満ちた五つの館があるその場所を、わたしたちは仙境と呼び慣わしている。

 永遠の初夏の中にまどろむ、リーブシエール。その城館のひとつ、うるわしの野茨の館の女主人は、わたしたちレーデンスフィードの人間にとって神さまに等しい。

「ウェルウィン、リーブシエールへ行ってみないかい?」

 昨夜、誕生日のお祝いの後、わたしは父さまの書斎に呼ばれて、そう尋ねられた。

 わたしたち下級貴族の子女は、十五歳になっても許嫁が決まっていなければ、王宮へ出仕する。そして、たいていは自分より上級の貴族を捕まえて第二夫人になるか、女官になって一生を独身で過ごすことになるの。

 例外は、事業に失敗したりして、お金に困っている家の女の子たち。彼女たちは、貴族ではないけどお金を持っている人のところに嫁いだり、もっと下の階級の子たちに混じって、大きな声では言えない、いかがわしい類の仕事についたりする。

 わたしは許嫁こそいないけど、でも、十五歳になるまでまだあと一年あるし、家もお金に困っていないんだけど……。

「父さま、どうして? もしかして、何かわたしが急いで家を出なくちゃならないようなことが、お仕事で起きたの?」

 わたしが疑問をぶつけると、父さまは、「そうではないよ」とにっこり笑って答えた。

「純白のハイランシアがお話し相手を求めていらっしゃるんだ。十四歳から十五歳の貴族の子女たちから選ばれるんだよ」

「『純白の君』が!」

 わたしは驚いて、はしたなくも大きな声を上げてしまった。だってそれはとっても凄いことで、ものすごいチャンスだったから。

 ハイランシア。大陸公用語で、「貴き魔女姫」という意味だ。星の荒野に降り立ち世界の理を定めた、魔女と魔法使いの間の娘たち、因果の紡ぎ手。わたしが揺り篭で揺られていた頃から繰りかえし乳母に語られ、覚えてしまった昔語りにも、彼女たちは登場する。


 かつて、この世界サーシャリンディの基を作った神さまは、世界に理を定める前に王冠を投げ捨て、どこかへ行ってしまわれた。神さまが投げ出した不安定な星の荒野に降り立って理を定めたのが、母なる大気の魔女サーシャさまと誓約の石の魔法使いユノリスさま。

 やがて、王冠の担い手となったお二人が役目を終え、みまかられたあと、今度はお二人の血を引く魔女の姉妹たちがそれぞれに新しい王を選び出し、彼らの頭に王冠を載せる。純白、黄金、青銀、漆黒、赤銅……いずれ劣らず美しく気高いハイランシアたち。

『真の王と、その統べる国に幸いあれ』

 知恵と強大な力をもつ彼女たちは、王とその国を祝福し、レーデンスフィードを含む五つの王国は、今に続く繁栄を得る。

 以来、この大陸では、ハイランシアたちの支持を得、加護を受けることができたものだけが、王として認められるようになったのだ。


 ――昔語りはそう結ぶ。

 けど、これは逆に言えば、どれだけ民に慕われ善政を敷いても、ハイランシアたちに厭われれば、王は王の資格を失うってことなの。だから、王様以下諸侯貴族はハイランシアたちの機嫌をそこねないよう一生懸命になるし、祝福を得られるチャンスがあれば、こぞってそれを掴みにいこうとするのよね。

「お前のほかにも何名かの方たちが行くことになるんだが、純白のハイランシアは、一番気に入った者を行儀見習いとしてお側に置かれるおつもりだそうだよ。

 幸いにもお前にはまだ許嫁はいないし、うちにも断るような理由はない。ウェルウィン、もし選ばれたなら、お前にとっても男爵家にとっても大変な名誉になるんだよ。行ってみないかい?」

 もちろん、わたしが断るはずがなかった。だから今、馬車に揺られてるの。結局のところ、わたしも祝福を得られるチャンスがあればこぞって掴みに行く人間の一人なのよね。

 滑稽だと思う? でもね、考えてみて。行儀見習いとしてリーブシエールにいるのが一時だけでも、ハイランシアの下にいたってことで、すごーく箔付けになるのよ。ハイランシアに選ばれるってことは、それだけでもう半分祝福を受けたみたいなものだもの。ほっておかれるはずがないじゃない? 上級貴族の第二夫人を目指すにしたって、だんぜん有利になるんだから、そりゃあ女の子ならがんばっちゃうわよ。

 で、ええと、なんだっけ。そうそう、そういうわけで、わたしは馬車に乗ってハイランシアのもとへ向かってるところなの。リーブシエールの門を潜り抜けて、近づいてくる館を窓から眺めながらね。

 あら、言ってる間に到着したみたい。

 馬車が車寄せに横付けされて、出迎えの従僕が、ドアを開けてくれる。わたしは差し出された手のひらに片手を預け、残った手でドレスの裾をつまみながら、精一杯優雅に馬車から降り立った。

 うん、上出来!

 おしとやかな白鳥みたいに見えたはずだわ。

 わたしはそのまま召使に館の奥へ案内されながら、視線だけをきょろきょろ動かして辺りを観察する。ほとんど白に近い淡いバラ色の壁紙には、野茨の紋章が刻印されてる。つやつや輝く陶器の壷、繊細な彫刻、どこもかしこもぴかぴかに磨かれてて、床や硝子窓は鏡の代わりになりそうなくらい。手抜きなんて一切ない。これって、使用人たちの統制が凄く取れてるってことよ。つまり、この館のハイランシアは、うんと神経質で厳しい方か、うんとしっかりした方なんだと思うわ。うーん、使用人以外にはあんまり厳しい方じゃなければいいんだけど、どうなのかしら? 厳しいお家だと、粗相をすると鞭で手をぶたれたりすることもあるって聞くのよね。もしも純白のハイランシアがそんな方だったら、行儀見習いってことでも、お傍につくのは大変だもん。

 色々と考えながら通された部屋には、既に到着していた何人もの候補者たちがいた。髪をきれいに結って、ぴんとした新しいドレスを着た貴族の子女たち。あちらの方は、ボウ伯爵家のグロリアさまじゃないかしら。燃えるような赤毛、きっとそうだわ。ひまわり色のドレスの子は、リネットね。オブライエン男爵家にお邪魔した際に、そばかすに悩んでるって話したことがあるもの。わあ、セルカム公爵家のデーナさままで! 巻き毛がいつもの三割り増しくるくるしてるぅっ。すっごくやる気なんだわ。当然か。デーナさまなら、祝福を受けられれば王太子妃にだってなれるもの。

 まいったなぁ……、これはわたし、かなり不利かも。

 のっけからくじけそうになってると、ノックの音が響いた。あ、また別の子かしら。わたしは部屋の入り口へ注意を向ける。

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