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呼びかけられても,固い顔つきのまま鳴海さんはしばらく沈黙していた。その表情からはどんな感情も思考も読み取れず,犯人であると告発され動揺しているのかどうかも分からない。徐に応える口振りも平静そのものだ。
「......事件のことで話があるからと呼び出しておいて,いきなり犯人扱いか。あまり感心しないね」
「人に聞かれては困りますし,何より蒸し暑い中エアコンのないこの部室にお越しいただいたわけですから,手短にいきましょう。物理的に,自分以外に犯行が不可能であると理解されているはずだ」
「どうして? 大悟なら3人を殺害することができるだろう?」
「最後まで生きていたなら,ですね。ですが僕達が菅さんの部屋で首のない遺体を発見した時,既に一ノ瀬さんは死亡していました」
「どうしてそう言い切れる?」
「そもそも一ノ瀬さんは高杉さんを殺害するつもりがなかったからです。犯行予告の百合の花もそうですし,岡部さんや菅さんには無数の刺し傷があり,強い怨恨が伺えます。それに対して高杉さんの遺体は絞殺の跡が見られただけで他に目立った損傷は見られませんでした。怨恨による殺害にしては遺体があまりにも綺麗過ぎる」
「そうとも限らないだろう。初めは殺害する計画でなかったとしても,高杉さんが大悟にとって何か不都合なことを起こし得ると考えて急遽殺すことに決めた可能性だってある。例えば首のない遺体が岡部さんでないと分かれば,自動的に逃げているのが自分であると確定するわけだから」
「高杉さんの殺害も一ノ瀬さんが企てていた場合,何故合鍵を自身に見せかけた菅さんの遺体の胸ポケットに残したのでしょう? 合鍵の存在は自分しか知らない,標的に対する圧倒的なアドバンテージです。態々手放す理由も知らせる必要もない」
「それはどうかな。敢えて合鍵の存在を示すことで,自分が目的を遂げ逃走していると思わせることができるじゃないか。合鍵を2つ以上用意していたのかもしれないし,逃走中と思わせることで高杉さんが単独行動を取る機会も増えるかもしれない。首のない遺体を発見した段階で,少なくとも大悟が岡部さんの殺害に関与していることは確定するわけだから,高杉さんは僕達からは距離を取ろうとするだろうし」
「逃走しているように見せかけたいのであれば,何故車をどこかに隠さなかったのでしょう? 川の氾濫が事実であれ嘘であれ,僕らが通報するより先に適当なところまで運転し乗り捨てる時間はあったはずです。それに譬え首を切断しても左肘の手術痕で一ノ瀬さんであるかどうか判断できるわけですから,首だけでなく左腕も切断する必要がある。ですが実際には遺体の左腕は残されており,結果一ノ瀬さんでないと判断された。入れ替わり逃走していると思わせたいのだとすれば中途半端です。これは逃走していると推理を誘導させておいて,実はまだ目的がありコテージ近辺に留まっていると僕達に推理させることで,既に一ノ瀬さんが死亡している可能性から目を逸らさせたかった。謂わば二重の推理の誘導だったんです」
目まぐるしく繰り広げられる舌戦に圧倒される。指摘する側の松本君には事件を整理する時間があったから,まだ理解できなくはない。だけど急に犯人だと断罪され反論を繰り出す鳴海さんも,相当の切れ者のようだ。もちろん,犯人であるとすれば疑われた時の逃れ方はずっと考えていたのだろうけれど。
「......鳴海さんが犯人ってことは,一ノ瀬さんは被害者ってこと?」
割って入ることは躊躇われたけれど,どうしても気になってしまい松本君に問う。松本君は鳴海さんに目を離さないまま首を横に振る。
「いいや,一ノ瀬さんも加害者だ。岡部さんと菅さんは一ノ瀬さんが殺害した。最低でも岡部さんの遺体を発見した時までに,鳴海さんは一ノ瀬さんの動機に思い至ったんだ。そして恐らく菅さんの殺害後直後の一ノ瀬さんにこう提案した。入れ替わり出頭する間,自分が上手く立ち回るから誰が犯人か分からない状況を作らないか,とね」
「えっ......どうして?」
「一ノ瀬さんの土井さんに対する罪悪感に付け入るためだ。別に一ノ瀬さんは土井さんを徒に傷つけたいわけではない,むしろ殺人を決意するまでに想ったかつての恋人の生き写しなんだ。贖罪の意識もあったし傷つけることになったとしても,できるだけ早く立ち直ることを願ったんだと思う。そこに事情を察し協力を申し出た兄弟が絶好の提案をしたんだ,飛びつかない理由がない」
「一ノ瀬さんは初めから出頭する気だったの?」
「だと思うね。僕らが部屋に戻ったのが深夜1時過ぎ。集合し土井さんと出会したのが午前9時頃。ざっと8時間の間に一ノ瀬さんは菅さんを殺害したと目されるけれど,死人が出て各人が警戒する中直ぐには動けなかっただろう。それに菅さんの首を切断し運び出した岡部さんの遺体と共に埋めているんだ。1人でやるにしてはかなりの重労働だよ,この隠蔽工作には共犯者がいる確率が高い。ではその共犯は誰か? 恐らく埋められた遺体の方は保存状態が悪いから指紋は検出できないだろうけれど,菅さんの遺体からは検出できる可能性が残る。でも現状警察が指紋を検出できていないということは,用心のためその共犯者が手袋で指紋を残さないようにしていたことを意味し,一ノ瀬さんも巻き込まないためにそうすることを勧めた可能性が高いということだ。要は自身が関与した痕跡を残さないよう振舞っても不自然と思われないほど信頼されている人物でないとならない。更には部屋から指紋が検出されても問題視されず,かつ事情を察することができ協力を申し出る人物は1人しかいない」
「つまり......その時の一ノ瀬さんの認識では,自分が出頭するまでの間土井さんに殺人を犯したことが分からなくするための間に合わせの工作だったということ? 最終的には伝わってしまうにしても,ショックを先延ばしにするための」
「一ノ瀬さんがどう思っていたかについては推測の域を出ないけれど,大きく逸れてはいないはず。それに殺害計画が菅さんまでで,逃亡の意志がないと考えると辻褄が合うんだ。別に本当に入れ替わるつもりのなかった一ノ瀬さんは左肘の切断を必要とは思っていなかったし,土井さんは殺害対象でないから犯行を予告しなかった。2人を殺害し目的を達した一ノ瀬さんの殺害計画に,共犯者が後からシナリオを追加したんだ。だから入れ替わりにしても逃走にしても推理を誘導するにしても中途半端な状態にしかできなかったし,高杉さん殺害の責任を一ノ瀬さんに擦り付けるためには百合の花を採ってきて間に合わせるしかなかった」
「......待って。合鍵を残す必要はないでしょう? 動機はともかく鳴海さんにも作ることができたわけだし,下手すると関与を匂わせるどころか犯人に仕立て上げられかねないんだから」
「その通り。だから合鍵を残したのは鳴海さんの意志によるものだ。明らかな動機がある一ノ瀬さんが全ての殺人の犯人であると思わせることさえできれば,自身の関与が疑われる確率を下げることができる。リスクと比しても勝算は悪くはないね」
「菅さんの首を切断し,岡部さんの遺体と共に外に埋めた後,一ノ瀬さんは......?」
「その説明をする前に細かく言うと,岡部さんの遺体を運び出す時は恐らく窓から遺体を外に降ろしたんだ。当然運び出した際の血痕はルミノール反応が出るにしても,僕らには直ぐには判断できないように拭き取っておく必要がある。また一ノ瀬さんの衣服には返り血が大量に付いていたはずだ。これは岡部さんの殺害時もそうだけれど,一ノ瀬さんは同じ服をいくつか予め用意していたんだろう。血が付着したものを含めこれらの衣服も処分する必要がある。多分,これも夜の内に焼却処分したんだと思う。処分の痕跡が残り得るようなものは一ノ瀬さんが担当したんだろうね,その辺りの分担作業は行動を起こす前にかなり練ったのでしょう? それでも岡部さんの遺体と菅さんの頭部の隠蔽は単独では時間がかかり過ぎる。台風でのあの大雨なんだ,埋め終わった時には2人共ずぶ濡れだっただろう。着替える必要があったし,一ノ瀬さんとしては出頭前に返り血をはじめとした汚れを落としておきたかったから入浴に向かった。だけどこれは,鳴海さんから勧めたものだった。違いますか?」
一時わたしへの説明を続けた松本君は改めて鳴海さんへ向き直る。鳴海さんはここまで松本君の推理を聞く間も,終始冷静な態度を崩していない。
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