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 ここまで松本君の思考経路を順調に追えていたわたしは,この急な転回にまた振り放された気分だった。

「えっ,どうして? 矛盾点はないように思えるけれど」

「そうかな? 牽強付会とまではいかないにしても,僕には今までの推論が結構強引に思える。これから何かを企てているのなら,おあつらえ向きに合鍵を残した理由は何だろう? 手術痕と同様入れ替わっていることを意味するだけでなく,自身が犯人であることを示唆する物証でもある。どうして回収せず現場に残したのか。これから何かことを起こすつもりならそのために合鍵は必要ないと言っているようなものだし,何だったら合鍵ですら密室のためのブラフだった可能性も残る。加えて,態々土井さんを使って犯行予告を打ったこととも矛盾する。復讐が理由の犯行なら鳴海さんが語った動機の範囲では既に目的を達成している。それなら逃げの一手を打つべきだろう? 他に標的がいるなら犯行予告と自身の関与を疑わせる入れ替わりとの整合性がつかない。そもそも予告を打たなければいいし,入れ替わるなら徹底するべきだ。要するに入れ替わりのトリックを目論んだにしては中途半端なんだよ」

「......うん? 分かりそうで分からないような。犯行予告を打ったならば標的を殺害後は入れ替わりなんてせずに逃走しているはずだし,予告がブラフで他に目的があるにしても入れ替わりを徹底しない理由が分からないってこと?」

「そう,とにかくちぐはぐなんだ。だけど多分,この矛盾点が事件の核心を突いていると思う」

 松本君はそう言うけれど,わたしにはこの疑念がいまいちピンとこなかった。頭部を切断した理由が「わたし達に入れ替わりトリックを意識させ,殺害後入れ替わり逃走したというストーリーへと推理を誘導させるため」という解釈が無理なく現実の事象とフィットしているように思えるからだ。一ノ瀬さんは別に完全に入れ替わりたいわけではなく,警察の到着まで気付かれなければ問題ないのだろう。ならば当座のトリックとしては首の切断だけで十分なのだ。目的を達成するまでの間,わたし達に一ノ瀬さんは菅を殺害後逃走したと認識させられれば良いのだから。手術痕の残る左腕をそのままにしていったのも,遺体が自身でないと気付いてもらうためだったのではないだろうか。また川が氾濫したという発言が事実であれば,逃げるために車を使うという発想に至らなくても不自然ではない。

 そう考えるとこれまでの推理は筋が通っており,松本君は堂々巡りに陥っているように思えた。いずれにせよ通報を急ぎ,警察の到着までは単独での行動を控えるべきであるが。

 公道と思われる開けた道路に出てからは,バッテリー節約のためわたしが先に通報を担当することになった。電源を入れては圏外であることを確認し続けていたのだけれど,1時間ほどその作業を繰り返した頃,ようやく圏外の文字がアンテナの表示に変わった。

「アンテナ立った!」

 充電は残り47%だ。ロックを解除し急いでボタンをタップする。松本君は少しでも通信を安定させるためか,停止せずアクセルを踏み続ける。

「......事件です,こちらの声は聞こえていますか? 男性が少なくとも1名刺されて殺害されていて......場所は――」

 それから10分以上かけ現状を説明し,ようやく警察へ事件発生を知らせることができた。通報を終えると返す刀でわたし達はコテージに戻ることにした。警察へ連絡でき,到着を待つ間1人でいるのは危険があると高杉さんを説得する必要があると言い,松本君は戻り道も急いだ。大分慣れてきたと見え行きよりも車のスピードは上がっていたが,それでも結局往復で3時間以上かかってしまった。頭からSUVをミニバンの脇に停めながら松本君は焦燥を帯びた声で言う。

「先ずは土井さんと鳴海さんと合流だ。高杉さんは最悪合鍵を使って部屋に突入することになるかもしれない」

 わたしと奏ちゃんも急いで後部座席から下りて玄関へ向かう。松本君が鍵を開けるのを待ち,再びコテージに足を踏み入れる。廊下を抜けホールを横切る際,ちらりと活けられた2輪の百合に花が視界に入った。

 土井さんと鳴海さんはそれぞれの部屋に鍵をかけて籠っていた。状況を説明し,皆で2階の高杉さんを説得しに向かう。先頭の松本君は高杉さんの部屋の扉の前に立つと,弾んでいた息を整える。呼吸を落ち着かせてから,意外にもそれほど力を込めずドアをノックし,また普段の彼の調子で声を張った。

「高杉さん,警察への通報が終わりました。到着には後1時間ちょっとかかるとのことですが,一ノ瀬さんがまだ逃げておらずどこかに潜んでいる可能性もあるため,応接間で皆と一緒に警察の到着を待ってもらえませんか?」

 そう呼びかけるものの反応がない。ただ黙っているという風でなく,身じろぎのような反応さえしていないような様子だ。わたしはまさかという思いが過るも,松本君は落ち着いた声で再び呼びかける。

「高杉さん聞こえていますか? 今部屋の前に皆さん揃っています。応接間で待つのが嫌ならこのままの膠着状態でも構いません。無事であるかどうかを確認させてもらえませんか? 返事1つで構いませんので,大丈夫であるか応えてください」

 けれど,しんと静まり返った沈黙は破られそうになかった。扉の向こうからは人の動きで空気が揺れる気配すら感じられない。さすがに松本君の顔にも焦りが浮かぶ。今度は少し強めにノックする

「高杉さん,返事をしてもらえませんか? 無理にドアを壊すようなことはしたくありません,一言無事であることを伝えてもらえませんか?」

 それでも何ら返ってこない。松本君は頭を振りながら一度わたし達の方を向き直る。

「仕方がありません。合鍵を使いましょう。刺激しないためドアを開けるだけで部屋には入りません。ただ,高杉さんが全員揃っているか確認を要求したら姿が見えるよう少しだけ入室しましょう。また僕と鳴海さんは警戒されるかもしれませんから,女性の方はその場合の対応もお願いします。無事が確認出来たらできるだけ刺激せず,膠着を維持することを最優先してください」

 松本君の言葉に皆緊張した面持ちで頷く。松本君も頷き返し,再び扉の向こうに呼びかけた。

「土井さん! すみませんが無事を確認するため無理にでも入室します! 応えてもらえれば部屋には入りませんので,一声で良いので返事を下さい!」

 それでも反応がないため,松本君はバッグからビニール袋に入れた合鍵の鍵束を取り出す。菅の部屋を施錠した時と同様,ハンカチ越しに合鍵を試そうとドアノブを掴んだその瞬間だった。

「え.......開いている......?」

 滅多に見ることのない松本君の心底驚いた様子と,鍵がかかっていないという情報に脳がフリーズした。碌に頭が働かない中,松本君がドアを開く様子を漫然と眺める。やがてドアが完全に開き,室内の光景が目に飛び込んできた。

 ベッドの上に,高杉さんが仰向けに横たわっていた。首元には手で締め上げたような赤い跡が見え,胸元には白い百合の花が置かれていた。

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