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「おい,どこに行くつもりだ」

「部屋に戻んだよ。人殺しと一晩過ごすほど俺は間抜けじゃねぇからな」

「さっきも話しただろ,バラバラに過ごすより一か所に固まっていた方が――」

「じゃあ自分が人殺しじゃねぇって証明してみろや!!」

 急に張り上げられた怒号に,思わず身が竦んだ。

「本音は康友が死んで清々してんだろ!? お前にとってあいつは目障りで仕方なかったはずだからなぁ!」

「......今は個人の感情をどうこう言っている場合じゃない。それに俺達の仲違いが犯人の狙いだって分かってるだろ」

「誰よりもあいつを殺したがっていたお前の言うことを誰が信じるんだ,あぁ??」

「......どう思おうとお前の勝手だけど,一応僕にはアリバイがあることをお忘れなく。それとはっきり言わせてもらうと,今1人になるなってのはお前の身を案じているからじゃない。迷惑だから周りを巻き込むなって意味だからな」

 取り付く島のない態度にさすがの一ノ瀬さんも苛立ちを見せる。けれど菅は自棄になったのか「殺したがってたことは否定しないんだな」とせせら笑った。

「はっきりさせておくのはこっちの方だ,お前が俺らを恨むのはお門違いだってな。だってそうだろ? 一度も俺らは何かを強要した覚えはないし,お前が脛に傷抱えたのは自己責任だ。あの女のこともそうだ。こっちはとっくに忘れてたってのに,そいつは当てつけか何かのつもりか?」

 と,菅は顎でしゃくって土井さんを指す。わたし達ミス研の3人はもちろん,土井さんも何の話をしているのか分からないようで困惑した様子だ。対照的に,一ノ瀬さんは明らかに神経に障ったことが分かる,いまにも殴り掛かりそうな憤怒の表情を浮かべた。

「彼女は今関係ないだろ......っ」

「逆恨みで殺されちゃかなわねぇって話をしてんだよ。お前のツラと立場ならオンナなんて選び放題だろうに,そこまで執着するってことはあの売女よっぽどテクが――」

「黙れと言っている!!!!」

 生まれて初めて,腰が抜けるという体験をした。その怒号を発したのが一ノ瀬さんであると理解できたのは一瞬の耳鳴りが止んでからで,今まで一度も聞いたことのない声音を怖いと感じたのは座っていた椅子にすっかり全体重を預けてしまってからだった。

 菅の舌打ちで,わたしはようやく周りに意識が向いた。全く動転していないらしい反応はこの舌打ちくらいで,土井さんは信じられないものを目の当たりにしたかのような目付きを恋人に向けているし,松本君に至っては余程驚いたらしくポカンと顎が落ち切っている。考えられる限り最悪の種類の沈黙の中,間断なく風の吹きつける音が館を震わせた。

「............もうやめてよ」

 ぽつりと,蚊の鳴くような声で沈黙を破ったのは高杉さんだった。

「......康友が死んじゃったんだよ? なのに2人共,自分勝手にいがみ合って............康友のことなんてどうでもいいみたい」

 責めるような言い様に,一ノ瀬さんは少しバツの悪そうな顔をする。菅は鼻を鳴らすと,大きく足音を残して応接間を出て行った。

 その後しばらくは誰も口を開かずまた重苦しい静寂に戻りかけたが,不意に幽霊のように高杉さんが立ち上がった。その予想外の所作にまた体が強張ったけれど,高杉さんは何も言わずフラフラと覚束ない足取りで応接間を出ようとする。

「高杉さん」

 奏ちゃんの心配そうな呼び止めに「......お願い,1人にさせて」と項垂れる。見えなくなるその悲痛な背中に誰も声をかけることはできなかった。

「......自分で言っておいてこの様とはね」

 高杉さんの姿を皆で見送ると,自虐するように一ノ瀬さんは肩を下ろした。

「これで膠着状態を作れなくなったわけだけれど,どうする? まだ固まって行動する?」

 多少声音が元に戻ったように思えるけれど,そう嘯く一ノ瀬さんは無理をしているようにしか見えない。

「............効果は弱くなりますが,全員でなくともできるだけ集団で行動するべきだと思います」

 言葉を選ぶようにとつとつと松本君がそう応えるも,一ノ瀬さんは諦めたように溜息を吐いた。

「まぁ,松本君ならそう言うか。でもごめん,僕も頭を冷やす時間が欲しい」

「大悟君......」

 透かさず立ち上がるも,かける言葉が見つからないのか土井さんの声は尻すぼみになる。その様子を見て一ノ瀬さんはやるせなさそうに力ない笑みを浮かべた。

「分かってる。全部話すから,後で部屋に来てほしい。それまでに気持ちの整理をつけておくから」

 穏やかなものの固い意思を感じさせる口調に,土井さんは食い下がることはせずほとんど泣きそうな顔で頷く。松本君も険しい顔をしていたけれど,やがて匙を投げるように頭を振った。

「そういう運びになるのなら,悪いけれど僕も引き籠らせてもらうよ。別に誰かをどうこう言うつもりはないけれど,初顔合わせが多い中で信用し合えるほど無警戒でいるつもりもないからね」

 鳴海さんはそう言うと,一ノ瀬さんと連れ立って応接間を後にする。一ノ瀬さんの背中を見送る土井さんの顔つきは今にも声を出して呼び止めたい衝動を懸命に堪えているように見え,どこまでも健気なその様子に改めて胸が締め付けられる思いがした。

「......結局,わたし達だけになってしまいましたねぇ」

 別段取りなそうとしたわけではなさそうだけれど,奏ちゃんはやや軽い調子で口を開いた。松本君も,破れかぶれな口調で応じる。

「最初から各々が明後日の方を向いていたからしょうがない。フィクションでは叩かれがちだけれど,緊迫した状況で昨日今日知り合った面々が足並みを揃えるのって現実でも難しいよ,実際。鳴海さんが言っていたことも,正直お互い様って感じだしね」

 けれどわたしは,砕けた2人の調子に合わせる気にはなれなかった。信用どころか信頼し合っていると思っていた恋人に知らない過去があることを突きつけられ,あまつさえ置いて行かれた形になるのだ。土井さんの心境を思うと正直,一ノ瀬さんが恨めしく感じる。

「......この後,どうする?」

「さっきも言ったけれど,効果が弱まっても今残っている面々でできるだけ固まって行動すべきだと思う。最悪各人が部屋に閉じ籠ることになったとしても,それまでの単独行動は控えるべきだし,室内では施錠だけでなく出入り口を別の方法で塞ぐことも必要だろう。事前に明朝部屋を出て集まる時間を決めておくのもいいかもしれない。後はそうだな,場合によっては交代で仮眠を」

「ちょっと待ってください!」

 頭でっかちに話を続けようとする松本君に,何かに気付いたらしく奏ちゃんが緊迫した声で待ったをかける。わたしの懸念通り松本君はそのことを微塵も頭に入れていなかったようでキョトンとした顔を浮かべた。

「お・風・呂,まだわたし達入っていないんですけど?」

 精々厭味たらしく聞こえるよう言ったつもりだけれど,松本君には通じなかったらしく「こんな時に」と困惑した様子だ。だけど奏ちゃんはこの小さな呟きを聞き逃さなかった。

「こんな時にって,松本先輩ひっどーい! 女子相手に真夏にお風呂入らず一晩過ごせって言うんですか!?」

「いや,そうじゃなくて。今こんな状況になってしまった以上リスクがあるって話をだな......」

 予想だにしない剣幕にたじろいだのか松本君の言葉は次第にしどろもどろになる。わたしは努めて平坦に聞こえるであろう口ぶりで奏ちゃんに追随した。

「松本君自身がお風呂場は数人で入れるくらいに広いって言ったよね。それにわたし達が入浴している間君がここに残ってそれとなく警戒してくれるだけでも大分不安感が違うんだけど? 部屋までの移動は全員で行けばいいわけだし」

「......待機している間,僕1人になるんだけど」

「扉を開け放しておけば,譬え何かあっても声を張れば一ノ瀬さん達にすぐ助けを求められるよね? それに犯行予告を受けてはいないし,間隔が短過ぎると更なる警戒を招く訳だから余計に松本君はターゲットになりにくいはずだよね」

「............何か怒らせるようなことしたっけ?」

「別に。ただ自分だけ先に入浴済ませておいて,いくら状況が状況とはいえ禄に対応を考えることもせず女性に向かって一晩お風呂を我慢しろなんて宣う甲斐性なしだとは思っていなかったってだけ」

「あーもうっ分かったから,見張り番しとくからその目は止めてくれ! 怒った時の顔怖いんだって!」

 冷や汗が滲む顔にようやく満足を覚え奏ちゃんとハイタッチを交わす。土井さんの方を伺うと,取り残され気味ではあるけれど表情からやや暗さが退いたように見え,少しだけホッとした。

「ということなので,取り敢えずお風呂行ってさっぱりしてきません?」

 しばらく目を瞬いていたが,やがて土井さんは「そうだね」と小さく柔らかな笑みを浮かべた。

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