3
正面玄関を通った先の廊下には臙脂のカーペットが敷き詰められていた。廊下の幅は2メートル,奥行きは4メートルほどだろうか。左右の壁には楢材の大きな扉がそれぞれ一つずつ,ちょうど向かい合わせの位置にある。左手の部屋は食堂のようだ。開いた扉の向こうには縦長のテーブル2台と真っ白なテーブルクロス,それらを取り囲む30脚近い椅子が見えた。食堂は奥行10メートル以上はあるだろうか。別の部屋に繋がっているらしく玄関側と今覗き込んでいる扉の反対側にはそれぞれ別の扉が設けられている。
廊下を進んだ先はホールで,そこでは豪奢なシャンデリアが分厚い額縁に収められた油絵を華やかに照らしている。ホール自体は左右に広がっているようだけれど,こちらから見て向こうの壁面にも扉が見えた。おそらく対面側にも部屋がいくつかあるのだろう。また玄関からやや左にずれたところに奥へ伸びる廊下も見える。わたしは外観から推測したコテージの規模と併せ,大まかな見取り図を思い浮かべてみた。おそらく,コテージを横断するホールと廊下からなる歪な十字の通路で部屋の区画を定めているのだろう。コテージは楕円形の敷地の長径方向に沿ってホールが伸びるような位置関係にあるといったところか。
外観を眺めた時点である程度分かっていたことではあるけれど,中に入り改めてコテージの広大さに圧倒された。建築面積は優に200坪は超えているはずだ。けれどそれ以上に驚いたことは,廊下やホールに置かれた花台の上にモカラやグラジオラスなどの花が活けられていることだった。それも見た限りまだ活けられてそれほど時間が経っていないように思われる。今回の合宿のためだけにわざわざ用意したのなら,その厚遇は感嘆に値する。ただそうでない場合,そこにかかる手間と費用については想像すらできそうにない。
......それにしても,
「雰囲気ありますね」
似たようなことを考えていたらしく,奏ちゃんが神妙な面持ちで呟いた。先ほどまでの憤懣はどこへやら,目を輝かせコテージの調度品や装飾の類いに見入っている。興味深そうに食堂を覗き込んでいた松本君も少しだけ浮ついた様子だ。
「本格物に登場する洋館みたいだ。これは確かに,想像力が掻き立てられるな」
本格派が好きな松本君としては,その世界観を再現したようなこのコテージの雰囲気に落ち着いていられないのだろう。かくいうわたしも,一ノ瀬さんの「うってつけ」という表現が腑に落ちるくらいわくわくしていることは否めない。
偏にミステリといえどジャンルや志向により結構好みは異なる。しかし程度の差や例外はあれ探偵が謎解きに奔走する古典的なシチュエーションに全く高ぶらないミステリ好きはいないはずだ。せめて中の写真をあと2,3日早く送ってもらえれば,ミス研のメンバーからももう幾人かは参加していただろうに。
ふと思い立ち,鞄の中からデジカメを取り出す。一先ず正面玄関と廊下からホールを見た時の様子,それから食堂の写真を撮った。もし今回のことを機に同人Fとの合宿が恒例化した場合もっと写真があると興味を引きやすいだろうし,今回限りだとしてもネタ作りの参考になるかもしれない。
帰り際,外観の写真を撮るのを忘れないようにしよう。
そう思った時だ。玄関から見て右手,食堂とは反対側の扉を開き室内を確認した一ノ瀬さんがうめき声を上げた。
「やっぱりか……」
「どうかしましたか?」
「ああ,いや。随分好き勝手やってくれたなと思ってね」
わたし達が部屋の中を見通せるよう扉を全開にして,一ノ瀬さんは室内に踏み入る。応接間だろうか,中央に北欧を思わせる重厚なローテーブルが鎮座しており,周囲を肘掛けの先が白鳥の頭のように湾曲したアームチェアが囲っている。室内には他に食器棚やワインセラー,アンティークな柱時計,年代物のアップライトピアノなどが置かれている。調度品だけを見ればいかにも洋館然とした佇まいだけれど,テーブルの上に積み上げられた大量のビールやストロング系のチューハイの空き缶が精密に統制された雰囲気を台無しにしていた。どれも350ml缶で,ざっと見た限りでも50本は下らないだろうか。カーペットの上にはワインセラーの中に入っていたと思しき洋酒の空き瓶が7,8本転がっている。
「うわぁ……」
一ノ瀬さんは転がっている空き瓶を拾い,テーブルの上に置くと肩を竦めた。
「この様子じゃ追加で買ってきた分もすぐなくなるだろうな。ごめん,また明日買い足しておくから」
「あ,わたし達そんなに飲まないのでお気遣いいただかなくても大丈夫です」
「そう言ってくれると助かるよ。……悪いけれど,各自荷物の運搬はやってもらっておいてくれないかな。本来なら僕が案内しないといけないんだろうけれど,ここ片しとかないといけないから」
「いいえ! 全然構わないです。本当に,お気になさらないでください」
「空き部屋は2階ですか」
気を揉む一ノ瀬さんとわたしの会話にはまるで関心を示さず,松本君は淡々と用件を済ませようとする。けれどこの素っ気ない態度の方が却って助かるらしく,ほっとした表情で一ノ瀬さんは頷いた。
「ああ。空いている部屋はドアを開け放してあるから」
「分かりました。階段はどこに?」
「そこを出て右。左手にもホールを渡って廊下を奥に進んだ先に階段がある。因みに,お手洗いはそっちの方の階段の右側ね」
一ノ瀬さんは応接間の玄関とは反対側,ホールに面していると思しき扉を指さす。どうやら内装こそ違えど基本的な構造は食堂と共通しているらしい。松本君はなおざりに頭を下げるとそそくさと1人その扉から抜け出した。
「ちょっと……もうっ。すいません,荷物運んでしまったら手伝いますから」
「いいよいいよ,その頃にはこっちも片付いていると思うし。どちらかと言えば夕飯の支度をお願いすることになると思う」
「分かりました」
逡巡したものの,松本君が開け放した扉から応接間を出る。奏ちゃんも後ろ髪を引かれるらしくゆっくりとした足取りでついてくる。
「……何だか,色々と大変なところに来ちゃいましたね」
階段の踊り場を過ぎた頃,辺りを気にするように奏ちゃんは囁いた。
「面倒ごとにならないといいけれどねぇ」
各部屋の防音機能がどの程度かは知らないけれど,少なくとも岡部とかいうあの男の両隣だけは避けておいた方が無難だろう。間違っても隣人への騒音被害を気にする性格ではあるまい。もっとも,部屋数には余裕があるみたいだから途中で移動しても構わないだろうけれど。
そんな風に考えながら階段を上り切った時,2階の廊下をこちらに向かって歩いてきた女性と出会した。その女性はわたし達の姿を認めると可憐に首を傾げる。
「Q大ミス研の人?」
「そうですけど,えっと」
「あ,わたしは高杉陽菜って言います」
どうやら岡部との会話に出てきた人らしい。一ノ瀬さんの「癖のある性格の連中」という言葉を思い出し,わたしは若干身構えながら応えた。
「ミス研渉外の原口雲雀です」
「……ミス研の和田奏です」
「原口さんに和田さんね。一ノ瀬さんは下? 今何してる?」
「応接間にあった大量のお酒の空き缶を片付けています」
そう言うと高杉さんは「あちゃぁ」と顔を顰めた。
「あの馬鹿,片付けとくって言ったくせに」
「えっと……?」
「ああ,ごめんね。岡部ってアル中に会ったでしょ? イヤなこと言われなかった? あいつ口も酒癖も悪いからねー。この合宿期間中ずっと酔っ払っていると思うけれど,基本あいつの言っていることはスルーしてくれて大丈夫だから。気にしないでね」
まるで自らの非礼を詫びるように,高杉さんは唇の先で両手を合わせる。わたしは岡部への親しげな口調と予想に反し殊勝な態度に戸惑いを覚えた。早計かもしれないが彼女の気立ての良さそうな態度に面食らったし,岡部を含めた関係性が見えなかったからだ。
同様に困惑しているらしく,奏ちゃんは不審そうな声音で問う。
「あの,高杉さんは一ノ瀬さんや岡部さんとはどのような関係なんですか?」
「一ノ瀬さんは一応,大学の先輩ってことになるのかな。つっても学部もサークルも違うんだけれどね。岡部ってゆーか,康友は大学の時からの彼氏」
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