睡眠バー まどろみ

藤井星羅

第1話

眠い。でも寝れない。

サラリーマンは激務のため、眠いのに眠れない。仕事のことで頭がいっぱいになると考えすぎてしまうのか眠れない。

眠れていないので会社でミスばかり。上司や取引先に叱られてばかり。

呆れられて半日で帰された。太陽は真上から私を刺すように照らしている。すかっとした青空だ。

ここ二週間、ほぼ終電まで会社にいたから青空を見るのは久しぶりだ。

だけれど、そんな景色に和んでいる場合ではない。それにこの昼間のまぶしさを直視できない。

眠くて眠くて目がしょぼしょぼしてしまう。

眠れないイライラと自分の仕事のできなさのジレンマでとぼとぼと歩いていると不思議な看板が目に入った。


「睡眠バー まどろみ」


看板はひと昔前にできた個人経営のスナックのようなレトロさを感じさせるものだった。

睡眠はわかる、バーもわかる。だが睡眠バーはわからない。

近くと駅ビルの地下一階にあるようだ。それこそ二階、三階は小さいバーかスナックが入っているようで

睡眠バーとやらもその類なのだろう。

地下に続く階段の前に立て看板が置いてあり、同じレトロな字体で「睡眠バー まどろみ」と書いてある。

そして、立て看板には小さなフックがあり、そこには「OPEN」とかけられていた。

昼間でもこのバーは営業しているようだ。


階段を下ると昼間の明かりが徐々に弱くなっていった。踊り場で方向を45度変えるとさらに光が入らなくなった。

階段の上を見ようと振り返ってみれば、なぜか自分がうさぎ穴に落ちた童話を思い出した。


元の世界に戻れるのだろうか?


そんな問いが思い浮かんだ。

この寝不足がファンタジーな妄想を作り出しているのだろうか。

常闇。階段には電気がひとつもなく、ちょうどよく外からの日差しを遮っていたから

そう思ったのも仕方ないだろう。夜でも電気を使ってキンキラと活動している現代人は暗闇には慣れていないのだ。

闇の階段を全部下ると目の前にほのかな間接照明が看板を照らす扉にたどり着いた。

アンティーク風の木と鉄の看板。


「睡眠バー まどろみ

OPEN 」


一度深呼吸をしてから

キィィ、と扉をゆっくりと押した。



店内は薄暗くて影のベールが店内をコーティングしていた。

階段が真っ暗だったので、むしろ店内は明るいと感じてしまった。

ぬっ、と濃くて肉厚のある影が近づいてきた。

無表情な店員が声をかけて来る。

「いらっしゃいませ、睡眠バー まどろみへようこそ。

当店のご利用は初めてでいらっしゃいますね。」

睡眠バーでは現代社会に失われつつある「良質な睡眠」を提供している

飲食店兼宿泊施設となっております。

形態としては漫画喫茶に近いです。」


不思議な空間に怪しさを感じたが、「良質な睡眠」という言葉が魅力的だと思った。


「新規のお客様には、体験コースとして1000円、後払いで頂戴しております。

飲み物はワンドリンク制でお値段に含まれますが

追加の場合はお申し付けください。おかえりの際に合算いたします。」


まずは更衣室でパジャマ、部屋着等にお着替えください。



私は更衣室に通された。

更衣室も入り口と同じくらいの証明で、間接照明のランプが一つ置いてあった。

BARなのに着替え…?

衣装ラックが二つ並んでいて、それぞれTシャツとスウェットパンツ、綿のパジャマがかけられていた。


Tシャツを着て受付へ戻ると

更衣室とは逆側のカーテンを開けてくれた。

カーテンは三重になっており、外界からの光を遮断していた。


そこにはカウンターバーとテーブル席があった。

その奥にはまだカーテンで仕切られた空間があるようだった。

薄暗い。カウンターとテーブルに置いてあるランプがほんのりと周り数十センチを黄色くしていた。客はテーブル席に一人、マッサージチェアのような椅子に座っていたが

ポンチョのような布か服に包まれていて性別や年齢は分からなかった。

この場所にある物の色はほぼわからない。濃い、薄い、大きい、小さい、動く、動かない、それくらいしかわからない。バーテンがランプの近くに置いたグラスは黄色い光が小さくなって反射しているので、透明な水だと判別できた。私はランプの前の席に座った。

バーテンは受付で対応してくれた男だった。


私はそこでカバンを持っていないことに気づいた。スマホや財布もだ。一瞬で顔が変わっただろう。

「お荷物はこちらで預かっております。ご安心ください。」

ゆっくりと落ち着いた声で男が言った。

「ああ、良かった。じゃあスマホだけ取り出したいので」

「申し訳ございません。こちらの部屋では一切の電子機器はご利用になれません。」

「ええ?」

飛行機の中じゃあるまいし…。マイルドな口調だが、スマホを出さないことに強い意志を感じる言い方だった。困惑している私を目の前に定型文のような説明を始めた。

「良質な眠りの妨げとなりますので。これは他のお客様へのご迷惑とお客様へのサービス提供の障害になる恐れがあります。スマートフォンが発するブルーライトは眠気を誘うメラトニンの分泌を妨げます。」

専門用語まで使って丁寧に説明されると仕方ないなと思う。だけれど、今日の午後やろうとしていた仕事が気になる…。

「そして、良質な睡眠のためには集中が不可欠です。眠ることに集中するために注意を散漫とさせる電子機器のご利用をご遠慮いただいているのです。」

「眠ることに集中、ですか?」

私には眠ることと集中することの結びつきがわからなかった。集中する、というと勉強や仕事を頑張ることではないのか。

「ええ、眠ることだけリラックスすることだけを考えていただきます。」

リラックスすることを集中…。一見矛盾してみえることだ。どのようにするのだろう。ふいに週刊ダイヤモンドのコラムを思い出した。瞑想についてだ。どこかの代表取締役は毎日、瞑想してから1日のタスクを書き出すらしい。瞑想中は何も考えず、呼吸に集中する。「ビジネスマンたるもの自分のボディもマネージメントしなければね!毎朝、自分の体との対話は大事だと思っているよ」

「…なるほど。わかりました。すみません。」

「いえ、謝らなくて結構ですよ。」

「はい。」

何秒か沈黙が流れた。

キューイ、キューン…

ザザァ…

波の音といるかのような鳴き声が聞こえた。リラクゼーションCDが流れているようだ。

「どの席でも好きにおかけになって構いません。お飲み物はいまご用意いたしますか。」

「ああ、はい。」

「メニューはこちらですが、無いものでもご用意できるものであれば、お作りしますよ。」

ラミネートがかかった白い紙を渡された。薄暗闇のなかから光を集めた色。ミルク、コーヒー、紅茶、梅酒やカクテルなんかもある。

しかし、眠ることの集中か…。カフェインは目を覚ます物質だったと思うしコーヒーはやめておくか。紅茶もだめか。

考えあぐねているとバーテンが口を開いた。

「迷っていらっしゃるようですね。注文はあとでもできますよ。」

「ああ、そうしようかな…」

メニューから目をそらさずに答えた。


ザザーン…

初対面の人間との会話で沈黙が流れるのは緊張してしまう。なにか会話をしなければと思ってしまう。しかし今話している男は沈黙があっても目をそらさずに応対している。

私は見られている。店員からまるで動物園の動物のように観察されている。彼の視線は見えないがわかる。話しかけてからバーカウンターを挟んだ私の前から微動だにしない。


「あ、ええと、おすすめとか…あれば…。」

恐る恐るバーテンの顔を見た。彼の目と私の目はバチっと掴んで離さなかった。


「本当に眠れていないのですね。」

「は、はぁ…わかりますか。」

「ええ。くまが。」

目を見ていたのではなくて、くまを見ていたのか。確かにここ最近はろくに眠れず、くまがどんどん濃くなっていた。

「お仕事が大変とか…?」

「そうですね…最近は特に。」

バーテンは振り向いてグラスを取り、飲み物を作り始めた。

「その、同僚が辞めてしまって。人が少なくなったんです。」

独り言のような言葉が喉からぽつぽつと出てきた。

「もともと忙しい職種なんですが、人手が足りなくなって、で、私が今やってるプロジェクトで一番下っ端ですから、色んなこと…頼まれるでしょう。それで、自慢じゃないですけど私って割と器用に色々できちゃうんです。これ他の人に言うと嫌味に聞こえますけどね、本当にそうなんです。でもそのおかけでどんどん仕事が増えちゃって。お前ならできるだろうって。そんなこと言われたら悪い気しないじゃないですか。わたしもみえはっちゃってね。安請け合いしたりしちゃうんです。でも、仕事をこなせる自分も好きでね、なんかね、体が根をあげたんですかね…この1週間妙に目が冴えちゃってね眠れないんですよ…。 」

手元のライトに話してるみたいだ。

すー、っとガラスのグラスが視界に入る。

目だけを上に上げる。同じように目をまっすぐ見て語る。

「当店おすすめのドリンクです。」

透き通っていない色。ココアかなにかだろうか。

グラスを持つと少し暖かい。一口飲むと予想通りココアの味がした。でも、ミルクが強いような、少しだけアルコールが入っているような気がした。今まで飲んだ飲み物の中でいちばん近いのはカルーアミルクかな…。

一口が食道を通って道をあっためていくのがわかる。そしてみぞおちくらいに来るとふんわりと霧吹きの粒のように拡散して胃の中に溶ける。

「もう一口飲んだらこちらの椅子に座って目を閉じてみましょうか。」

言われた通りにドリンクを飲んだあと、横にあったマッサージチェアのような椅子に腰掛け、目を閉じた。受付でこの男と話した時はずいぶん冷たい接客だなと思ったが、暗闇の中だとこの声の冷たさはしっくり来る。目を閉じると薄い暗闇が濃い黒になった。だけれど完全に暗くはない。キラッキラ、とたまに映る光線はカウンターに置いてあった明かりだろう。

「明かり、消しますね。」

光のすじが5回見えた後、完全にがまぶたの裏が真っ暗になった。


キューイ、キューイ…ザパァン、ザザン…

いるかの声と波の寄せる音だけが聞こえる。


マッサージチェアは低反発マットレスのようなもので出来てるらしく、自分の体の形通りにきゅう、と埋まった。首が伸びていると思った。そうか、いつもパソコンにかじりついてばかりだから首が下を向いていたんだな。ストレッチは大事だなぁ。ああ、パソコンといえば、小山さんのパソコン、キーボード直ったのかな…あのキーボードsのキーが調子悪いんだよな、効きが悪い。そうだ、人の仕事より自分のことだなと。あの案件…藤島さん見といてくれたかな、顧客の購買データは全部、あのパソコンに入れてあるけど…、プレゼンいつだっけ。2日後か。まぁまだ間に合うか…いやでも明日は午前中は出先だし、工場…。

「あっ!工場!!」

私は目を開いた。目を開いても辺りは暗かったが、視界には2つ3つ黄色いライトがあった。

「お客様、お静かに。どうなさいましたか。」

「あ、すみません…あの、少しの時間でいいのでスマートフォンを返してもらえませんか。会社のことで伝えなきゃいけないメールがありまして…。」

「…。」

「あの、私のスマートフォンを…。」

彼に聞こえてないと思ってもう一度言おうとしたが、遮られた。

「あなたに今一番必要なのは良質な睡眠です。さあ目を閉じて。」

暗闇からの不機嫌な声にはなぜか逆らえなかった。私も睡眠が一番必要なものだとわかっていたからだろうか。目をつぶる。

バーテンは語り続ける。

「仕事のこと、いえのこと、あなたのこと、すべて忘れてください。」

忘れる?そんな無茶な。いやこれが瞑想なのか。無になること?

「4つ数えて息を吸って、8つで息をはいて。呼吸を数えることに集中してください。」

1、2、3、4…1、2、3、4、5、6、7、8…

1、2、3、4…1、2、3、4、5、6、7、8…

1、2、3、4…1、2、3、4、5、6、7、8…

1、2、3、4…1、2、3、4、5、6、7、8…


ザァァ、という波の音が少しずつ遠ざかっていくように聞こえた。



1、2、3、4…1、2、3、4、5、6、7、8…




「は!?」

急におととい、取引先に預けてきた資料の責任者名が合っていたかどうか急に気になって目が開いた。

ここは、どこだ!?あれ、自宅じゃ…いや、そうだ、不思議なバーに入ってみてそれから、それから…。

今、何時だ?


気がつくと、店内は違う雰囲気になっていた。

確かに薄暗いのだが、自分が目を開ける前とは違う薄暗さなのだ。

これは、もうすぐ日が上るときの、灰色の薄暗さ。

椅子の後ろから声が聞こえた。

「おはようございます。お客様、良質な眠りを摂取できましたか?」




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

睡眠バー まどろみ 藤井星羅 @fujiiseira

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ