パッチワーカー 壊れた世界の中で

月甲有伸

第1話ツギハギ

 目を覚ました。

 頭が痛い。体が重い。

 視界に飛び込んできたのは色彩の失われた真っ白な空。視線を横にズラすとぽっかりと穴の空いたビルが立ち並んでいた。

 どうにか体を起こして周囲を確認すると、全ての色彩が白と黒で統一されている。目がおかしくなったのだろうか。

 よくよく見れば建物だけでなく、道路や放置された自動車までも穴が空いていた。まるで虫に齧られたようにも見える。

「起きた?」

 不意に後ろから声がした。振り返ると栗色の髪の少女が軽自動車の屋根に座っていた。なぜか彼女にはちゃんと色がある。

 二十歳前ぐらいのツリ目の少女。三白眼と意地悪そうな笑みは、おとぎ話に出てくるチェシャ猫を思わせた。モスグリーンのポンチョを羽織り、スラリと伸びた手足。膝下からは黒いニーソックスが覗いていた。ゴツいブーツを履き、背中には大きなダッフルバッグを背負っている。バッグは軍隊とかで使用されているものだろうか。妙にゴツい。

「……君は」

 喉が乾いて掠れた声しか出せなかった。少女は背中のダッフルバッグからペットボトルを取り出すと、こちらに投げて寄越した。

「これでも飲みなよ。好きでしょ?」

「ありが……いてっ」

 取りそこねたボトルが胸に当たる。ペットボトルの中身は炭酸水だった。早速、蓋を開けて口を付ける。よく冷えた炭酸が喉を通り、乾きを癒す。案の定咽せた。

「大丈夫?」

 心配そうに聞いてくる少女だが、口元にはイタズラっぽい笑みを浮かべていた。ちょっと厄介な子かもしれない。

「あぁ、うん。……それで……何から聞けばいいんだろう」

 色彩のない世界、壊れた街並み、彼女以外の人間が誰もいない、そして唯一色を持つ彼女。いくつもの疑問が浮かんでは消え、頭の中でグルグルと回っている。

「私に聞かれても……」

 笑いながら彼女は言う。

「少し歩きながら説明しようか。立てる?ツギハギ君」

「僕はそんな変な名前じゃ……」

 なら、自分の名前は。

 全く思い浮かばない。判らないことだらけの上に、自身が記憶喪失とは。頭を振ってみるものの、鈍痛が走るばかりで思い出せそうになかった。

「もしかして記憶が?」

 彼女の表情から笑みが消えた。

「そっか……」

 それきり、彼女は黙り込んでしまった。


「うわぁ、ホントにツギハギだなぁ」

 傍にあった自動車のサイドミラーを覗き込むと手術痕だらけの少年の顔が写った。歳は高校生ぐらいだろう。華奢な体を確認するとあちこちに手術痕があり、褐色と白色のツートンカラーではっきりと別れている。まるで二人分の人体パーツを寄せ集めて一人の人間を作ったかのようだ。そこで初めて自分の服がズタズタに引き裂かれていることに気付いた。通りで肌寒い訳だ。

「ホントにツギハギだらけだねぇ」

 車から降りた少女が近づいてくる。視線が自然と上へ向く。彼女は自分よりも背が高いようだ。僅かばかり。

「はい、これ。そんなカッコじゃ寒いでしょ」

「ありがとう」

 少女がダッフルバッグからカーキのコートを渡してくれた。少し大きかったものの、おかげで寒さが和らいだ。

「おいで。じっくりゆっくり説明してあげるから」

 初めの意地悪そうな笑みが戻った彼女だったが、無理しているようにも感じる。根拠は無いけれど。

 少女は色彩のない大通りの真ん中を堂々と歩く。判らない事だらけの僕には、彼女の後に付いて行くしか選択肢が無かった。

 人気のない荒れた大通りを歩く。戦争でもあったのだろうか。おまけに色が一切ないと来たもんだ。殺風景なことこの上ない。

「まずは自己紹介から。私はパス。この世界の数少ない生き残り?みたいな?」

「説明がふわふわしてる……。僕は」

 どう名乗ればいいのか。

「記憶が無いんでしょ?とりあえずはツギハギ君でいいんじゃない?」

「なんかの新商品みたいな名前じゃなくて、もう少し人らしい名前でお願いします……」

「じゃあ、り………ツギ君、とか。まぁ、記憶に関しては徐々に戻るよ」

 なぜそんなことが判るのだろうか、と僕が口にする前に彼女は言葉を続ける。

「この世界については……まぁ、見ての通りだよ。あっちこっちボロボロで人っ子一人いやしない」

「戦争でもあったのかい?さっき数少ない生き残りって言ったけど他にも人が?」

「まーまー、一度に全部説明しても混乱するだけだから。ね?」

 こちらの質問を上手くはぐらかされたような気がする。

「色々気になるだろうけど、おいおい説明してくから。まずはこの世界を理解してもらおうか。んー……あ、あれ見て」

 パスが指差した先を見る。その先には倒れた街路樹がある。

「酷いな……。災害でもあったの?」

「まぁ、そんなものかな……。それも後で。そっちじゃなくてあそこ見て」

「んん~?……?」

 目を凝らすと、木の葉だろうか。それらがいくつも宙に浮いている。

「マジックか何か?」

 近づいて葉っぱを撫で回してみる。葉の柔らかい感触があるばかりで、押しても引いてもピクリとも動かない。

「なんだこれ?」

 判らないことだらけの世界にまた謎が増えた。

「今この世界は『停止してる』んだよ」

「停止って、何が」

「時間」

 彼女の言っている言葉が判らない。いや、意味は判るけど、理解が追いつかない。

「倒れた木から葉っぱが舞っている最中に『世界の時間が停止』した。だから木の葉が宙に浮いたままで停まっている。OK?」

「……つまりこの世界は時間が止まっているってこと?」

「だからそう言ってるじゃーん」

 ケラケラと笑いながら軽く言う彼女だったが、にわかには信じ難い。信じ難いが目の前に物的証拠があっては反論の余地などない。

「じ、じゃあ、世界に色が無いのは……?」

「それは仕様。でも」

 彼女が葉っぱに触れる。するとみるみる内に色を取り戻し、葉っぱはヒラヒラと地面に落ちた。

「何をしたの?」

「この葉っぱだけ時間を動かしたんだよ」

 彼女は色を取り戻した葉っぱを拾い上げる。

「今、私がこの世界の時を止めてる。これ以上、世界が壊れないように」

 葉っぱを指で弄びながら彼女は語る。

「しばらく前、ヤバい出来事があってさ、とある連中が世界を終わらせようとしたんだよね。私は仲間とそれを食い止めようと頑張ったんだけど、どうにもならないところまできちゃって。ようやく、崩壊を止めた時にはこんなにも壊れちゃってた」

 彼女が周囲を見渡す。色を失い、立ち並ぶ建物にまともなものは一つとしてなく、本来であれば大勢の人が行き交う大通りに人気もない。さらには雀や烏などの都市部には必ずいる野鳥の姿すらいなかった。

 変わり果てた世界の光景がそこにはあった。

「ほとんどの生き物はその影響でいなくなっちゃった。人間もね」

「なら、君は……」

「私はこの世界の管理者の一人。なんて言うと大げさだけど、実際の所は保守管理がお仕事の現場作業員みたいなもんかな」

 茶化すように語る彼女ではあるが、声は真剣だった。嘘では無いのだろう。

「でね?ここからが本題何だけど。私はこの世界を再び動かすことができる。でもその前にやらなきゃいけないことがあるの」

 彼女は僕の肩に手を置き、真剣な眼差しでこちらの瞳を覗き込んでくる。女の子に真正面から見つめられて、ちょっとドキッとしてしまう。

「う、うん」

「この世界を君に治して欲しい」

「うん……うん?」

 何言ってんだ、この子は。

「君がこの壊れかけた世界を治し終わって、私が時を動かしたその時、初めて世界は元通りになるんだよ」

 冗談で言っている様子はない。当たり前だ。

「い、いやいやいやいやいやいやいや」

「どうかした?」

「どうもこうも右も左も上も下も何も判らない記憶喪失の一般人!そんな奴に何が出来るっていうのさ!」

 つい声が大きくなってしまう。

「どうしてもダメ?」

 しおらしい態度と上目遣いでこちらを見つめてくる。ちょっと可愛いじゃないか。じゃなくて。

「き、協力したいのは山々だけど、どうすればいいのか判らないし……」

「ちゃんと教えるからー!」

 今度は服にすがり付いてきた。往生際の悪い子だ。必死に頼み込まれて心はグラグラと揺り動かされているが、それでもどうしろというのか。

「…………」

「どうしてもダメって言うなら、こっちにも考えがあるよ」

 パスが服から手を放す。一瞬、彼女は目を細めると、僕から少し距離を取った。腰の辺り右手を回したかと思うと、素早く何かをこちらに向けた。

 黒光りするそれは、まごう事なき拳銃だった。パスの顔からは笑みが消えていた。これは本気な奴だ。

「おお、脅しには、くく屈しないぞ!」

 突如として銃口を向けられる。口ではそう言いながらも、僕は咄嗟に手で顔を覆い目を瞑ってしまう。

 次の瞬間、乾いた破裂音。と同時に顔の傍を物凄い速さで何かが通り過ぎた。そして背後で何かが倒れる音。恐る恐る目を開くと、銃口から煙が立ち上っていた。後ろを振り返ると、真っ黒な人の形をした何かが仰向けにひっくり返り手足をバタつかせている。顔にあたる部分には大きな口以外、目も鼻も耳も無かった。

「ひぇっ……」

 思わず僕は情けないことに彼女の背中に隠れてしまった。

「な、ななな何だい、それは!?」

「この世界を現在進行形で壊し続けてる蟲だよ」

 彼女は眉一つ動かさず、奇妙な生き物に銃弾を数発叩き込んだ。ソイツはしばらく痙攣をしていたが、すぐに地面に溶けるようにして消えてしまった。

「この前、駆除したばかりなのにもう出てきちゃったか。急いだ方がいいね」

 彼女はそう言うと、僕の手を取り歩き出した。

「いや、まだやるとは言っていないし、っていうか何あの黒い蟲?っていうの?なんなのさ」

 パスに引っ張られながらも、彼女に聞いてみる。

「後で説明するから!今はついて来て!」

 初めに会った時の余裕はどこへ行ったのか。少し慌てた様子の彼女に、僕は口を閉ざすしかなかった。


 彼女に連れて来られたのは別の大通り。遠くにはタワーも見えた。テレビ塔だろうか。

 道路の真ん中に大きな穴が空いていた。穴と行っても人が重機や道具で掘ったようなものではなく、黒い円が地面に存在していると言ったほうがわかりやすいかも知れない。その周りに五体のさっきの人型の化物。四つん這いで移動し、何かを齧っているのかのように口をガチガチと鳴らしている。すると口を動かしたところに小さな黒い穴が発生した。

 何だろうあれは。パスに尋ねるため、口を開こうとする前に彼女は口元に人差し指を当てた。

 今、僕らは黒い奴らに気付かれないよう車の後ろに身を隠している。あれもパスが倒すのだろうか。しかし、五体の相手をさっきの拳銃で倒すのは、素人の僕でも難しいように思える。

 パスは背負っていたダッフルバッグを降ろすと、中から何か長いものを取り出した。木製ストックのライフルだ。続いて半円の長いマガジンを取り出す。あのバッグにはどれだけの物が入っているんだろう?

 こちらの不思議そうな視線も意に介さず、マガジンをライフルに叩き込みボルトを引いた。身を隠していた車のボンネットに体を預け、銃を構える。全く無駄のない動きに、彼女がこんな場面を何度も経験していることが伺える。

 一番近い奴に照準を定めると、トリガーを引く。タタタッ、と短く連射し放たれた銃弾は目標の頭と胸に命中した。黒い奴らが一斉にこちらを向くが、彼女は既に次の目標に狙いを定めていた。タタタッ、タタタッ、と等間隔に連射される銃弾は次々と黒い奴に命中する。

 四つん這いでカサカサと移動する黒い奴は思いがけない速さで迫ってくる。非常に気色悪い。けれども、パスは全く気にせず、距離を詰めてくる連中に鉛玉を叩き込み続ける。最後の一体に向けて引き金を引いたところで弾が切れた。

 パスは躊躇せずライフルを捨てると、腰のホルスターに差していた先ほどの拳銃を取り出して構える。黒い奴がパスに向かって飛び掛かった。しかし、彼女は冷静に引き金を引く。

 空中で三発の銃弾を浴びた黒い奴はもんどり打って倒れた。パスは盾にしていた車から出ると、黒い奴に近づき止めを頭に撃ち込んだ。残りの四体にも同じように止めを刺す。途中、弾切れになるも素早く新しいマガジンと交換し、ルーチンワークをこなす様に止めを差していった。

「ふぅ」

 全ての処理を終えるとパスは大きく息を吐き出す。僕は彼女の一連の行動を呆然と見守ることしか出来なかった。

「全く、ちょっと目を離すと、すぐこれなんだから……。あ、もう出てきていいよ」

 彼女に言われノコノコと車の物陰から出て行く。

「随分と手馴れてるね」

「これが本来の私の仕事。世界に害を与える連中の駆除するんだよ。それより」

 彼女が視線を黒い穴に移す。

「早くあれを閉じないと。また蟲が出てくるよ?」

「えっ!あの黒い奴が?……って言われても、どうしたらいいか分かんないんだって」

「はい、これ」

 彼女のダッフルバッグから小さなポーチが出てきた。

「渡されても」

「大丈夫、ツギ君なら出来るよ。これまで何度もやってきたんだし」

「いや、初めてだよ!?」

 よく判らない太鼓判を押されてしまった。取り敢えずポーチ片手に穴へと近づいてみる。真っ黒な穴はマンホールほどの大きさで、真っ黒なヘドロのようなものが溜まっている。当然、底は全く見えない。

 何となくポーチを覗いてみる。中身はなんと空っぽだった。空のポーチでどうしろというのか。いつまでも手に持ってても邪魔なので腰の辺りに取り付けてみた。

 確かに彼女に言われたとおり、何かをしたことがあるような気もする。けれど、思考が纏まらない。代わりに手が勝手に動いた。

 ポーチに手を突っ込むと、先程までは入っていなかった白い布を取り出す。それを穴に被せると、次は裁縫セットを取り出した。中から取り出した針に慣れた手つきで糸を通すと、あぐらをかいて座り込む。僕は被せた布と『空間』を掴むとそのまま縫い始めた。

 ここまで自分がやっているはずなのに、どこか他人事のように感じてしまってるのは何故だろうか。戸惑う僕を尻目にパスは静かに作業の様子を見守っていた。

 一〇分ほどで縫い付けは完了した。

「相変わらず見事な手際だねぇ」

 妙に満足げなパス。

「これでいいのかな?」

 異様に綺麗な縫い目を指でなぞりながら僕は問いかける。ひょっとしたら僕は、記憶を失う前は裁縫が得意だったのかもしれない。

「うん。しばらくしたら継ぎを当てた所は元に戻るから」

 彼女の言う通り、眺めている傍から縫い付けた布は消え、元のアスファルトの地面が現れた。これで直したということだろうか。少なくとも穴が塞がったことで、あの黒い奴が出てくることは無さそうだ。

「蟲を私が駆除して、ツギ君が蟲が出てくる穴を塞ぐ。そうしないと世界は蟲達にどんどん齧られちゃうからね」

「なるほど……」

「ツギ君が全ての穴を塞ぎ終わった後、私が世界を再び動かして、全部元通り。どう?単純でしょ?」

 自信満々に彼女は語る。

「ちなみにこの穴は世界中に有るの?」

「うん、でもツギ君に治して欲しいのは大きいヤツだけだから。全部を君が治さなきゃいけないわけじゃないし、あれぐらいの小さいのは自然と塞がるよ」

 パスが蟲が齧っていた小さな穴を指差す。既に縮み始めていた。

「どう?やってくれるよね!」

 彼女の中では僕が協力することが確定しているようだ。だがしかし。

「パスに協力しないと世界が元通りにならないんだし、やんなきゃいけないってことも判っている。ただ、色々と整理する時間が欲しい。少なくとも雰囲気に流されて、物事を決めてしまうことだけは避けたいんだ」

「むー」

 パスが口を尖らせた。

「それにまだまだ判らない事が多すぎるし。自分自身についても」

「ん、しょーがないか。……そうだね、時間を置いてからでもいいか。時計の針は進まないんだし」

 パスが上手いこと言ったつもりで、ニヤニヤしている。僕はスルーした。


「どうせ迷ってるなら、私の仕事手伝ってよ。やる事もないんだしさ」

「なし崩し的に協力させようとしてるよね?」

「ナンノコトカナー」

 とてもとても白々しい。

 僕は彼女の運転する車に乗り、次の穴が空いている地点を目指していた。ミリタリールックな彼女のことだから、車も軍用のジープかと思いきや、ビートルとかいう黄色のクラシックカーだった。古い型の車だけど、外見は割と好みだ。

 彼女は普段、これで移動しているらしい。とはいえ、瓦礫や放置された車だらけの道はなかなか走りにくそうだ。

「ちょっと聞いていい?」

「うん?うん」

 ハンドルを握るパスが返事をする。

「僕のこの世界を治す力って、元から持ってた物なのかい?」

「どうして……そう思うのかな?」

 聞いてはいけないことだったのだろうか。パスの声がこわばった。

「いや、ただの一般人がこんな力持ってるはずないし。まさか、僕は管理者だったりとか」

「それは無いよ。うん、無い」

「だ、だよねー」

 パスの態度があからさまに不自然なものに変わる。あまり聞いてはいけないことだったのだろうか。僕は茶化すように混ぜっ返したが、そんな気遣いは即座にバレた。

「ごめん、君自身についてはもうしばらく後で」

「あ、うん、構わないよ。いつでも大丈夫」

「ありがとう」

 神妙な表情の彼女。とてもじゃないが、今の彼女に突っ込んで問い詰めることは出来そうにない。誰だって聞かれたくないことはある。僕はそう思っておくことにした。

「あ、そうだ、お腹空かない?」

「そう言われれば少し」

 彼女も重くなった雰囲気を変えたかったのか、唐突にそんな事を言い出す。僕もそれに乗ることにした。

「今は何時……って、この世界じゃ、おかしな質問か」

「ふふっ。まぁ、時間が止まってるからね。今は一二時を少し回ったぐらいだね」

 そう言いながらも、パスは腕時計で時間を確認してくれる。必要が無いと言う割にはちゃんと腕時計をしているパス。不思議に思って質問しようとする前に、彼女は車を道路の真ん中に停めた。

「こんなところに停めるの?」

「どうせ誰も走ってないんだから、へーきへーき」

「それもそうか」

 車から降りた彼女は後部座席のダッフルバッグからキャンプ用の小型のガスコンロと小さな鍋を取り出した。

「おっ、アウトドアご飯かい?料理とか出来るんだ、意外」

 ミリタリーな缶詰とか渡されるかと思ったが、ちゃんとした料理が食べられそうだ。

「失礼な。私だって簡単な料理ぐらい出来るよ」

 そのへんの瓦礫に腰掛けた彼女は、小型コンロにガスボンベをセットし、鍋を乗せる。僕も真似して手頃な大きさの瓦礫に腰を降ろした。続いてパスがバッグから取り出したのは、ミネラルウォーターのペットボトルとインスタントの袋麺。

「えぇ……」

「煮込んで!味付けて!盛り付ける!立派な料理!」

 鍋に水を注いだパスは、力一杯答えた。

「いや、でもですね」

「ほら!卵も入れちゃう!」

 さらにバッグから卵も取り出した。常温の生卵とか大丈夫なのだろうか。というか、ホントにどーなってんだ、そのカバン……。

 沸騰したお湯に乾麺を入れる。

「君の好きな銘柄のラーメンだよ」

 と言われても、記憶が無いから好きだったかどうか判らない。途中、スープの素と卵を落としてしばし煮込む。インスタント味噌ラーメンに卵のトッピングのシンプルなものだが、食欲をそそるには十分だ。

「はい、出来たよ。味噌ラーメン卵入り」

「インスタントの」

「余計なことは言わなくてよろしい」

 パスが箸と鍋ごと渡してくる。アウトドアご飯っぽいが、さっき言った盛りつけは。

「いただきます」

 湯気がもくもくと立ち上り熱そうだ。しっかりふーふーしてから口に麺を運ぶ。それでもかなり熱かった。なぜかパスが期待の眼差しでこちらを見ている。

「……うん、美味しい。好きな味だこれ」

 素直な感想を述べると、ますます嬉しそうな顔をするパス。

「昔からこれ好きだったもんね」

「昔?」

「あ、いや、そんな気がしただけ」

 よく判らないパスの言葉に首を傾げながらも麺を口に運ぶ。空腹のせいもあってか、とても美味しく感じる。

「パスは食べないの?」

 というか、食べている所をじっくり見られるのはちょっと。

「私はまだいいや。一昨日食べたばっかりだし」

「えっ?」

 パスがおかしなことを口走った。

「あー、管理者は人の姿をしてるけど、人じゃないし。食べても食べなくてもどっちでもいいって言うか」

 そういうことか。

「だとしても、毎日ちゃんと三食食べなきゃダメだよ。栄養云々は関係無いかも知れないけど、しっかりと一日の行動に区分を付けるためにも……」

「ふふっ」

 そのつもりは無かったのに、なぜか説教じみた事を言ってしまった。けれど、パスは嬉しそうに笑う。

「ん?あれ?なんかおかしなこと言った?」

「いや、そうじゃないよ。ただ……ちょっとね」

 笑顔の彼女だが、目の端が潤んでいるように見えたのは気のせいだろうか。

「しょーがない。君が言うなら食べるよ」

 パスはカバンに手を突っ込むと、でっかいメロンパンと紙パックのコーヒー牛乳を取り出した。甘いのと甘いのがダブって、カロリーが凄そう。

「ずっと気になってたんだけど、そのバッグどうなってんの?今まで見てただけで、食品と服とキャンプ道具と銃と弾が出てきてるんだけど」

「ん?これ?必要なものが必要なだけ入ってる。それだけのカバンだよ」

 パスはそう言うと、袋から取り出したメロンパンを口いっぱい頬張る。リスっぽい。

「必要なものの幅が広すぎる」

「……ん、職人の現場特権みたいなもんだよ」

「さっぱり判らないよ……」

 疑問に頭を捻りながら、僕は麺を口に運んだ。

 

 遅めの昼食の後、再び彼女の運転する車で次の地点へ向かう。次の目標は大きな公園だった。木々が生い茂り、園内には小川が流れている。遊歩道もしっかり整備されているし、世界がまともなら良い観光スポットにでもなったのだろう。が、色彩の無い今の状態ではやはり殺風景だ。

 幸いなことに例の黒いヤツ、蟲というらしいが、見当たら無かった。園内の噴水の傍にさっき直したものよりも大きな穴が開いていた。直径五mぐらいはあるだろうか。

 僕は早速、作業に取り掛かる。先程と同じようにポーチに手を突っ込み布を取り出す。あの穴を塞ぐ大きさの布なので、両手でズルズルと引っ張り続けなければならなかった。

 パスにも手伝ってもらい穴に布を覆い被せる。全て縫うのは時間が掛かるので、先に待ち針で布と空間を仮止めしておく。

 後はひたすらチクチクと縫い続ける。その間、パスは退屈そうに公園をブラついたり、ベンチに座ってバッグから取り出した本を読んだりしていた。手伝える所は手伝ってくれたパスだったが、縫うのは僕がやらなければいけないらしい。時折、雑談をすることもあったが、今はベンチで横になって昼寝している。

 時間を忘れて縫っていたが、さすがに集中が途切れてきた。何時間ぐらいやっていたのだろう。日も傾かず、ずっと同じ明るさなので予測することも出来ない。

 半分ぐらい縫い終わった所で、僕はゴロンと地面に体を投げ出した。

「お疲れー」

 いつの間にかパスが起きていて、声を掛けてきた。

「今、何時?」

「もうすぐ八時になるよ。今日はその辺までにしといたら?」

「そうする……」

 大きくノビをして、座りっぱなしで固まった体をほぐす。気が緩んだせいか、疲労感と空腹感が同時にやってきた。

「今、ご飯用意するね」

「ありがとう」

 パスがバッグから道具とレトルトカレーにパックご飯を取り出すと、テキパキと用意してくれる。夕飯はカレーだ。

 今回はカセットボンベのコンロに大きめ鍋を乗せてお湯を沸かす。沸騰したお湯にレトルトカレーの袋とご飯のパックを二つずつを投入した。

「すぐ出来るから待っててねー」

「手伝おうか?」

「いいよいいよ、私ほとんど何もやってないし」

 さらにもう一つ、キャンプ用の小型コンロと小さな鍋でお湯を沸かすとそちらにはウィンナーを茹で始めた。

 程なくして熱くなったパックご飯をお皿に移す。次に茹でたウィンナーをご飯に乗せ、最後にカレーを掛ける。スプーンをお皿に横に添えてこちらに差し出す。

「はい、ウィンナーカレー出来たよ」

「どうもありがとう」

 カレーの匂いが食欲を否応なしに刺激してくる。カレーのお皿を受け取ると、近くのベンチに腰掛ける。パスも自分の分の用意が終わると僕の隣に腰掛けた。

「いやぁ、夕食までちゃんと食べるのは久しぶりだなぁ」

「ご飯食べなくてもいいんだっけ?」

「一応ね。でも、管理者でも毎日食べる人は食べるし、逆に必要ないから全く食べないなんて人もいるよ」

「管理者って何人もいるんだ」

「たくさんはいないけどね。まぁ、今じゃ何人生き残ってるやら」

「その人達とは協力しないのかい?二人でやってたら、いくら時間があっても足りないだろ。何せ世界を治すんだから」

「う~ん、基本みんなそれぞれ勝手に動いてるからねぇ……」

「まず身内が管理できてないじゃん」

 カレーはレトルトとはいえ、やっぱりカレーだ。どう作っても美味しい。あっという間に平らげてしまった。

 お腹が満たされると今度は眠気がやってきた。今日はいろんなことがあり過ぎた。

「お皿とか洗っちゃうかね」

「あぁ、手伝おうよ」

 パスが使用した鍋など道具を手に立ち上がった。僕は眠気を我慢して皿を重ねてスプーンを集める。

 園内に設置された水飲み場まで持ってきたものの、停まった世界で動くのだろうか?その疑問はすぐ晴れた。パスが蛇口に指を触れさせると、水飲み場が色を取り戻した。蛇口をひねると水が出てくる。なるほど。

「ちゃっちゃと洗っちゃおう」

 パスが食器と鍋を洗い、僕が布巾で水を拭き取る。大した量は無いので洗い物はあっという間に終わった。

 片付けも終わるといよいよ眠い。周りはまだまだ明るいのに変な感じだ。パスは道具をカバンにしまっていた。

「おっと、そのまま寝たら風邪引くよ。ちょっと待ってて」

 ダッフルバッグから今度はテントやら寝袋が出てくる。眠気のせいで、何の疑問も湧いてこなかった。パスが慣れた手つきで近くの芝生にテントを設置してくれる。何から何まで用意してくれて申し訳ない。

「はい、寝袋。私はもう少し起きてるから、何かあったら声かけて」

「うん……」

「ホントにお疲れみたいだね」

「………」

 何か答えようと口を動かしたが、上手く発声出来なかった。

「ふふっ、おやすみ」

 僕はテントに入ろうとして、振り返った。

「……まだ自分のことも、世界のことも判らない事だらけだけど、今日は色々と面倒見てくれてありがとね。明日も頑張るから」

 パスが困惑したような嬉しいような表情をしていたけど、僕にはその理由を考える余力も残っていなかった。後から考えてみれば、この時、彼女にも言いたいことがあったのだろう。でも、それを知るのはもうしばらく先のこと。

「おやすみ」

 僕はそれに気付かず、テントに入る。寝袋を広げて中に入るとあっという間に眠りに落ちた。

 明日がより良い日でありますように。何故だかそんなフレーズが頭に浮かんだ。


 不意に目が覚めた。どれぐらい眠っただろう。体の感覚から三、四時間ぐらいだろうか。テントから顔を出すと、パスがベンチに腰掛けてぼんやりしていた。まだ起きていたのか。いや、ひょっとしたら管理者は食事と同様に睡眠も必要としないのかもしれない。

 声を掛けようとしたが、ひどく思いつめた表情した彼女にどんな言葉を伝えればいいのか判らなかった。パスに気付かれないよう静かにテントに戻ると、再び寝袋に入って考える。

 今、彼女は何を思っているんだろう。何か隠しているような気もするが、問い詰めるのも悪い気がする。もやもやした物を抱えたまま、僕は再び眠りに就いた。

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