第27話 お引っ越し2


「ゆずは飲めるかな?」


「あの、お金……」


「気にしなくて良いよ。もし俺が寒そうにしていたら、そのときに買ってくれたらいいさ」


 ふふっ、と小さく笑って、温かいゆずのペットボトルを彼女に差し出す。


 ためらいがちに受け取った水谷さんが、両手で握りしめて小さく口を付けた。


 ホッと吐息を吐き出して、初めて会ったときと同じような笑みを見せてくれる。


「おいしい……」


 どうやら少しは落ち着いたらしい。


 話しくらいなら出来るだろう。


「何かあったのかな?」


「……、えっと……」


 ペットボトルを握りしめたまま、彼女が視線をうつむかせた。


「寮に、いられなくなりました。家賃が払えなくて……」


 消え入りそうな小さな声で、彼女が言葉を紡いでくれる。


「そっか」


 寮の支払いは、月に1万円。

 食事の代金を含めても2万円に届かない。


 これまでの動画で得られた収入はその数倍になるはずなのだが、それでも彼女は払えないと言う。


「誰かに取られたとか、騙されたとか、そういうのは?」


「ありません。私の意思で使いました」


「そっか……」


 まっすぐ見上げる彼女の瞳に、後悔の色はない。


 ほかの言葉に比べて、意思の強さが感じられた。


 短い付き合いだが、彼女が散財したとは思えない。



 訳あり、なんだろうな。



 そう結論付けた俺は、ふー……、と大きく息を吐いて目を閉じる。


 脳内に、行く先の間取りを思い浮かべる。



「これから引っ越す先の部屋が1つ余っているんだ。こんなオッサンと一緒で怖いかも知れないけど、来るかい?」



 優しく微笑んで、彼女に手を差し伸べた。


 見上げていた瞳が大きく見開いて、彼女がふと視線をそらす。


 その瞳から、大粒の涙があふれ出す。


「……成川さんなら、そう言ってくれるだろう、って、思ってました。だからここで……」


 俺を待っていた。


 なるほどね。


「でも、ダメなんです。私、成川さんに甘えてばかりで、入学式の時も、ペアの時も……! でも、どうしようもなくて……」

 

 追い詰められて、考えもまとまらず、ずっとここで泣き続けていた。


 そういうことなんだろう。




 彼女の頭に手を回して、自分の胸に抱き寄せる。



「お願いがあるんだけどさ。ひとりで住むのも寂しいし、一緒に来てくれないかな?」


 きっとそれは、彼女が望んだひとつの未来。


 自己嫌悪にさいなまれながらも、選んだ道筋。



「辛かったね。でも、良いんだよ。キミはもっと甘えても良いんだ」


「成川さん……」


 小さな子供のように、彼女は俺のワイシャツにギュッと顔をうずめた。




★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆




「おじゃまします」


「うん。お帰り」


 思わずと言った様子で、水谷さんが視線を上げる。


 そんな彼女に微笑みながら、俺は今日から新しく住まう部屋に足を踏み入れた。


 泣きはらした瞳が、新築のリビングに向けられている。



「水谷さんの部屋は、どっちが良いかな?」



 真新しい香りが立ちこめる、2LDKのアパート。


 中央には高そうなソファーと机があって、壁には大きなテレビが埋め込まれている。


 リビングからはアイランド型のキッチンが見えており、すべての部屋とつながっていた。


 空調完備、部屋の端には観葉植物の姿もある。


 これなら、お風呂やベッドも期待できそうだ。


「広いんですね。素敵なお部屋」


「そうだね。1人で住むのは勿体ないと思わないかな?」


 水谷さんに微笑みかけながら、左側の扉を開けみる。


 見えてきたのは、大きなベッドと2組のタンス。


 カーテンもベッドカバーも青を基調とした男らしい雰囲気の部屋にはなっているが、最低限の物は揃っていた。


「こっちは水谷さんの部屋にしてくれるかな? 俺は隣を使うから」


「えっ、でも」


「この部屋なら鍵もかかるし、俺としても都合が良いからね」


 微笑みながら優しく声をかけたものの、彼女は見るからに動揺していた。


 彼女が視線をうつむかせて、ギュッと胸元を握りしめている。


「成川さんは、どこで寝るんですか……?」


「んー、そうだね。今日はそこのソファーかな。ベッドは発注しておくから、気にしなくても大丈夫だよ」


 大きなソファーを指差すと、彼女の瞳が薄らと揺らいでいた。


 何かを言いかけて口を閉じる。


「どうして……」


 続く言葉を振り払うように、彼女は首を横にふって、俺の手を握りしめる。


 上目遣いの瞳が、涙で潤んで見えた。


「成川さんは、私にして欲しいことって、ないんですか?」


「ん? いきなりどうしたのかな?」


「教えてください。私が出来ること……。私、……何でもします!」


 口元がギュッと閉じられて、眉間にしわが寄る。


 大きな瞳から頬を伝って、涙がこぼれ落ちる。


「焦る気持ちもわかるけど、急がなくても良いんだ。これから先、俺はいっぱいキミに頼ると思うよ。腕時計の使い方、施設の予約、すでにお世話になっているからね」


「それは……。でも、そんなことじゃ……」


「んー……。だったら、1つお願いをしようかな」


 彼女の柔らかな唇に人差し指をあてて、微笑んでみせる。


「お互いに、名前で呼ぶこと。結花って呼んでもいいかな?」


「ぇ……、そんなこと……」


「名字にさん付けじゃ、愛想ないからね。結花とは仲良く成りたいんだよ。背中を預けるためにもね」


 彼女の頭に手を乗せて、滑らかな髪をゆっくりとなでた。


 見上げていた瞳が下を向く。


「……わかりました、竜治りゅうじ、さん」


「うん、ありがとう。これからもよろしくね、結花ゆか


 少し不満そうにしながらも、彼女の頬が赤く染まって見えた。



――そんな時、



 来客を告げるチャイムの音が鳴り響く。



「ん? 将吾でも来たのかな?」



 引っ越した先を告げているのは彼だけだ。


 だが、将吾は荷造りに追われているはず。


 そんな思いを胸に、俺は玄関を開いた。



 見えたのは、手のひらサイズの小さな銃。


「こんにちは、成川 竜治。約束通り、殺しに来たわ」


 目の前に、怪しい笑みを浮かべる榎並さんの姿があった。


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