キャプテン・デルタスリー

川口健伍

プロローグ

プロローグ

 男が軍を退役し、故郷に戻ると、妻と娘は死んでいた。

 そもそも放射線濃度が高すぎて故郷には一歩も足を踏み入れることはできなかった。

 冬の、冷たい空のした、故郷へと通じる道はバリケードで封鎖され、半径三十キロは立ち入り禁止区域になっていた。

 男は警備の人間が止めるのも聞かず、バリケードを殴りつけて破壊した。

 もっとスマートなやり方があったはずなのに、男はどうしても、そうせざるを得なかった。

 おれは故郷に帰るんだ、と男は思っていた。

 制止のために警備の人間が飛びついてきた。

 男は警備の人間をぶらさげたまま、バリケードを突破し、機械の迅速さで疾走に移った。

 男はサイボーグだった。

 走り続け、気がつくと男はひとりだった。どうやら途中で警備の人間はふり落としたらしい。

 さらに数キロほど走ってから道を外れ、追跡をまくために森へわけいった。

 疲れ知らずの機械の脚力で、男は走り続けた。

 視界上には森のなかを突き進む、赤い道が浮かんでいる。

 全地球測位網GPSに則した現在座標から故郷までの最短ルートが、眼前に投影現実オーバーレイされ、男を迷うことなく故郷に導いていた。

 進行方向とは逆向きの、倒木だらけの森を数十キロばかり踏破すると、不意に視界が開けた。

 なだらかな下り坂の一端にさしかかり、男は気がついた。

 クレーター。

 巨大なクレーターのふちに、男は立っていた。

 ここが爆心地グラウンド・ゼロだ――。

 男は理解した。

 いまにも雪が降り出してきそうな曇り空のした、男の故郷は跡形もなかった。

 なにもない荒野へと、赤い最短ルートはまっすぐに伸び続けていた。

 どういう経緯で男の故郷に核兵器が投下されたのかは最後まで秘匿され、男がどんなつてを使っても知るすべはなかった。事故か、敵国の攻撃か、反政府組織によるテロか、自国民への牽制か――いずれにせよ、男は帰る場所を失った。その事実は揺るぎなかった。

 涙を流すことはできなかった。その機能は機械化によって失われていた。

 悲しむこともできなかった。ひどく長い時間、戦争状況にさらされ、感情は摩滅しきっていた。

 男には高い戦闘能力を保証する鋼のからだがあった。しかし男にはなにも残されていなかった。

 やがて気がつくと、やわらかく腰に手を回してくる妻と、頭の横で肩車の高さに歓声をあげている娘の感覚ビジョンに襲われるようになった。

 不意に立ち上がる彼女たちはつかもうとした先から失われていき、男はその衝撃に身動きひとつできなくなった。

 もう戦えなかった。そんな人間は戦場ではすぐに死んでしまう。

 追ってきていた警備に男は拘束された。

 数日後、男を迎えに来たのは、ついこのあいだ別れを告げたばかりの所属部隊、国防情報軍インフォメーションズ第十三独立機械化大隊、通称「幽霊大隊フーフォース」、その上官だった。

「D3《デルタスリー》、少し休もう。きっと時間が解決してくれる。君にはまだ死んでもらうわけにはいかない」

 そう言って上官は、男に仮の身分ID屋敷マンションを与え、療養するように促した。

 男はいまだD3とコードネームで呼ばれていた。本当の名前で呼んでくれる相手を、永久に失ってしまった。

 それでも男は生きながらえていた。

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