第35話 原初(プライマルスクリーム)療法

「……で、才はどうしたいわけ?」



 菜々緒は、気不味い雰囲気も何もまるでお構いなしで当初の目論見だったろう溜まった鬱憤を、そして少しだけ刺激的な新しい彼氏の痴話バナシなんかを私と、初対面の……此方もまるで何事も無かったかの様に平然としたシゲルコ相手に吐き出して勝手にスッキリした表情を見せる。


 そして今度はまだ決めかねてる志望校とか、それ以前に根本的進路とかその辺りの私のモヤモヤに矛先が及ぶと、やれ煮えきらない!やれ優柔不断だ!と決めつけて持論を展開し出した。


「大学なんて、よっぽどコレ!って専門課程極めに行く物好き以外殆どの大多数は企業の蟻の兵隊養成の猶予期間みたいなもんでしょ?」


 相変わらず辛辣な表現ではあるが、まぁ確かに間違ってはないと思った。


「具体的にやりたい事なんてあんの?あんた昔っからボ〜っとしてるから、こんな時期まで……」


 と言いかけて菜々緒は流石に言い過ぎか?と言葉を切った。そうなんだ、それも間違ってない、その通りなのだ。ちょっとしゅん……としてると、


「まぁ兎に角、私は附属のエスカレーターで神奈川の方に行く……ってこの前言ったよね?理由わけは一にも二にも早くあんな家出たいから!ガッコも一応お嬢校でまぁ我慢出来る、何より受験なんて関係ない。シンプルにそれだけよ!」


 菜々緒は続けた。コネでどっか就職して見合いして……一人娘だから婿養子とまではいかずも見合いした結婚相手に父親の会社を継がすのだと、そんな所まで未來設計図の予視が出来る彼女の人生の中盤迄を今度は達観したかの様に滔々と語ってみせた。

 それでも口では何と罵詈雑言ばりぞうごん吐いたって、絶対に断ち切り得ないものがあって結局は其処に拠り所を置いた侭、出て行ってそしてまたいつか戻って繋がってゆく、そんな確かな'場所'= 家とか家族、肉親が真ん中に存在している。


「深く考えず、偏差値の堅いところで決めちゃいなさい?才、成績悪い方じゃないんでしょ?」


 違う、問題はそんなとこじゃないんだ。少し心の端っこの方がヒリヒリし出した。


「お祖父じい様も好きな進路でいいって仰ってくれてるんでしょ?経済的にも心配すること無かったら、なんで?なんでさっさと……」


 云々は、いつもの菜々緒なりの感覚での心配・提言なんだろうけど余りにも土足で無遠慮にズカズカと踏み込んで強引に扉を抉じ開けようとしてくる。


 "なんで?"って?


「都会の一人暮らしはきっと自由よ」


 それも違う。それはいつでも期限なしで帰るところがある余裕の上に成り立ってる人の道理、私は違う。



 私は……



 扉が開いた



「あの震災で、全部飲み込まれちゃって…ママもパパもカズミもジィジもバァバも出来たばっかの家も庭のブランコも街も思い出も何もいっぺんにあの真っ黒い水に流されたの。なのになんで私ひとり生き残っちゃた訳?……瓦礫と暗い冷たい凍える泥の中で踠いてそれでも抜け出せずながいながい永遠に思えた絶望の時間に凍えたの。もう痛くって怖くって寒くって泣いて泣き尽くして涙も出なくなって、気付いたのは自衛隊の人の腕の中、誰も知らない大人ばっかのひとりぽっちの避難救護所、顔くしゃくしゃにした爺ちゃん来てくれて抱きついて、こっちに戻って来てからずっと男手ひとつで面倒見て貰って、……でもうその爺ちゃんだけなんよ、家族は、身内は。爺ちゃんだよ?70の?あれから何年も2人だけで暮らして『じゃ行ってくるね〜、盆と正月と偶には帰ってくるからね〜?今まで有難う〜』って東京かどっか行っちゃうわけ?そんなこと出来る?そんなん簡単に出来るわけないやん!! 私が出て行っちゃったら爺ちゃんは……

 そりゃ私も色々考えてはいるよ、地元でウチから通うトコとかなんとか。でもあと何年?10年?15年?一緒に居れるのは?その前にポックリ逝っちゃったら?そしたら? 私は....」



 風がごぅ……と、ひとつ冬の山あいを通り抜けた




 独りぽっち




 そのヒリヒリしたところが遂にその一言を口にする前に溢れ決壊し、


 大きな涙粒がイッコだけ零れ頬を伝った。あれ?涙?



 そして菜々緒の言う'好きな進路'は、爺ちゃんの口癖…"才子の好きにすりゃあええ"からきてる。そしてその言葉がぐるぐると乱反響し脳裏に谺する。そうなんだ、ポルシェもスポルトマチックも整備もツナギもなにも、テニス終わって空っぽな私への励ましから始まった爺ちゃんなりの不器用なやり方で、そんな言葉とは裏腹なささやかで遠回しな、決して無理強いしない……しかし精一杯の私に傍にいて欲しい無言のメッセージなのだと。わかってるんだ!そんなこと、わかってる。


 今、そして私の人生に於いて何よりも優先されなきゃならない大切なもの。それを思った時、残りの塩水はボロボロと止めなく溢れ出てそして……やがて枯れた。


 ……


 流石にこれまでの付き合いでここまでエモーショナルな姿は見せた事なかったからちょっと面食らってバツ悪そうな菜々緒、



 シゲルコがそっと手を添えてくれる、このが百合だろうが何だろうが別にそんなのは関係ない、私は私。この前知り合ったばかりだから、流石にちょっとそんな私の被災体験はヘヴィーだったとは思うが精一杯の慰めをくれ、ハンカチで目許を拭ってくれながら、中々上手に纏めきれてない乍らも自分の進路交え現実的な切り口で懸命に話してくれた……


「才ちゃんはぁ、ほんとうに大学行きたいの?国爺くにぢいさんと離れたくない……のはよぉくわかるよ?なら別の選択肢とかはないの?わたしはぁ就職するから、あ!自衛隊の一般事務職なの。だから親元で車もずっと乗れるし城之内さんとは方向違うけど確かに至ってシンプル……」


 菜々緒は菜々緒で "乗り越えなきゃダメ!その頃にはきっとあなたを支えてくれる男が現れて……"と喉元まで出掛かったがグッと呑み込んで、流石にその私見は口にするのを控えた。



 暫し沈黙に包まれる3人の女子高生、そして2台の新旧ミッドシップ・ポルシェ……


 晩秋から初冬へうつる山の風は相変わらず冷たく吹いている。


 開いた心の扉がパタパタとただ揺れている、


 ふぅ……っと息をひとつ吐いてぬるくなった缶ミルクティーを口に運ぶと甘く、でも少し塩ょっぱい味がした。




「そうだね?私が決めなきゃね……」






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