第2話 ヤード

「ただいま……」



 間口には修理を待つ車がぎゅうぎゅうに詰まってるから、いつもの様に工場脇の勝手口から作業場を横切って足早に奥に歩を進める……


「おぉ才子、おかえり!」

「才子ちゃん あれ? 今日ラケットは? 部活休み?」


 車のボンネットを開け、屈みこんで覗きながら何やら話をしていた爺ちゃんと、馴染みのお客さんである柴田さんが振り返って声を掛けた。

 丁度、爺ちゃんがエンジンルーム内の何かを摘むと、ブオォム!とひとつあたりを震わせた!


 薄暗い古い工場、油と排気ガスの匂い、車の唸り、工具が当たる金属音……


 それらは子供の頃から慣れ親しんだ五感に染み付いたものだ。そして整然と並んだ、またある時は雑然とした工具や自動車部品達は別段興味なんてなかったけど、いつも其処にあったから子供には格好の玩具だった。


「こんにちは柴田さん」


「……部活、もう3年だから引退して終わっちゃったんだ」


 それだけ言って、私は工場を横切って木とガラスの引き戸をカラカラと開けそそくさとローファーを脱いで畳敷きの居間に上がって再びガラス戸を閉めた。


「なんか元気ないね? 才子ちゃん、……ねぇおやっさん?」と柴田が呟く、


「テニス終わってからずっとあんな調子でな」


 再び二度ほど、ワイヤーをくいっくいっと引っ張ってやると呼応する様にエンジンが同じ回数だけ高鳴った。


「うん!いい音だね? 回転もスムースで見違えた!」


 と目尻が下がる柴田の表情、


「ああ、オーバーホールにインジェクションの調整とアイドリングも少しあげといたから回転落ちてそのままエンストする事ももうなかろうて」


 '70年代当時の西ドイツ大衆ブランド製ながら、今の時代にはないカクカクとしたエッヂの効いたジウジアーロがデザインしたという低くコンパクトなボディ。静粛性の欠片もない発動機。しかしこんな古い車の愛好者も多く当時製造したメーカーでは現在、そういう'旧い車'専門の部門=高額なレストアのカテゴリになる=を持っているところは別として、基本的には修理/整備出来る環境にはない。だから"おやっさん"と呼ばれる才子の祖父の様な腕のいい昔ながらの職人整備士の居る修理工場は実に重宝されるのだ。


 しかも、どちらかと言えば一家言ある頑固オヤジの多いその世界にあって'おやっさん'は人当たりも良く、無駄や過剰な施しもなく、極力壊れた部品を直して使うスタンスの客本位の整備は支持され客足は途絶えず、常に整備待ちのバックオーダーを抱えた状態で、そんなマイペースな仕事にも文句を言う客は皆無だ。


 愛車が蘇り頗るご機嫌で窓を開けて左手を振った柴田を見送った老整備士は、陽の沈むオレンジ色の時間に浮かぶシルエットが小さくなるまで見送ってから、再び工場内に戻って、次に整備予定の356Cを一瞥だけしてから今日の仕事を終えるべく毎日のルーチンをはじめた……






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