第71話 最後のジハード(6)〜ダンゴムシ、ダンゴムシ

 テレビのニュースで、海外のショッピング施設が崩落したのをみたことがある。パンフレットにも載る変わった形の壁で、必要以上に迫り出した屋根のような形をしていて、それはこの施設の象徴的なものだった。建築構造的に問題があったのか、ほんの数分前までは堂々と存在していたのに、数分のうちに雪崩を起こしたように崩れ落ち、あっという間にただの空洞になってしまった。

 石崎の倒れ方は、そんな倒れ方だった。


 そして、その崩れた石崎の向こうに見えるのは、もう1つの壁、根津の姿だった。ボロボロのダンゴムシに石崎が倒された瞬間、呆気にとられていたが、一瞬にして戦闘体勢に入った目で構えている。下のフロアの木村を含め、他の特殊SPとは格が違うようだ。


 ダンゴムシの足取りは以前覚束ない。あの技を繰り出すように見えるが、本当に体力の限界なのかもしれない。

 根津は両腕を構えて、ボクサー特有のステップを踏み出した。ダンゴムシはそのままの姿勢でファイティングポーズをとるのがやっとだ。

 根津は今までのSPと違い、隙を感じさせない。根津もあの技を警戒している。数回ジャブを繰り出すが、間合いには入ってこない。

 ダンゴムシも避けるのに必死、1発目は避けても2発目が軽く入っただけで、紙みたいにヨレヨレで倒れそうになる。根津はヨレヨレの相手でも手を抜かず、一瞬で間合いに入り、ストレートを浴びせ、退がった。

 このストレートには、さすがのダンゴムシも態勢を崩し、倒れながらも蹴りを出し、根津の腰にヒットした。根津は腰を抑え、軽蔑の眼差しで、倒れているダンゴムシを見下した。


「こっちは遊びでボクシングごっこしてんじゃねえんだよ。殺し合いだぞ、ばーか」


 ダンゴムシは挑発する。根津は怒りをあらわに、倒れているダンゴムシの脇腹を蹴り始めた。ダンゴムシは両腕両足でガードするが、ほぼ蹴りを喰らっている。ザクロのように赤黒く腫れ上がった顔から、呻き声が漏れ、口らしき場所から血と汁が吹き出る。性懲りも無くもがいているが、なんのガードもできていない。蹴られる度に、子供が駄々をこねているようにジタバタしているだけだ。


 自分でも驚いた。俺は自然と足を前に出していた。自分でも、何をするつもりだったのか、いつもなら勝てるわけがないとか、殴られたらどうしようとか考えてしまっていただろう。体をが勝手に動いていた。


 脇を締めて、頭から突進していった。左足を思い切り前に出す、上体を捻る、右手を胸に引きつける、体から前に倒れるように相手に近づける、体が相手にぶつかる寸前に右手を突き出す。頭でイメージした通りに体が動いたかわからない。右手は根津の左胸を掠った。


 考えない、ダメなら次。体を反対に捻り、左の拳を突き出す。避けられた。根津の右フックを喰らった。それがどうした、元々身体中痛さで悲鳴をあげている、次は右の拳だ。空振ったところ、体が沈ませたら次は頭突きだ。根津の顎に俺の頭頂部やや後ろが当たった。根津は顎を打たれ態勢を崩したが、頭突きを繰り出した俺の方がダメージは大きかった、軽く目眩がした、後頭部が熱い。

 根津の動きは早い、腹に4、5発喰らった。胃液が出た。喉の壁面が痛い。腹に喰らった痛みもあるが、元々の筋肉痛と下のフロアで木刀で殴られた痛み、どの痛みかわからなく麻痺してきている。呼吸を整えれば痛みをコントロールできる、ロシアの軍隊格闘術では呼吸法では刺し傷の血さえ止めることもできるらしい、ダンゴムシから教わった。


 殴られても目を閉じなければいい。接近戦では、ほんの少しの間でも目を瞑っている間に状況が激変してしまう。それでも殴られる瞬間は目を瞑ってしまう。その時の対処法は、前に出ること。後ろに退いてしまうと多くの隙を作ってしまう。前に出ることによって、攻撃する場所が狭くなることと、相手への威嚇にもなる、素人でもできる格闘術。

 テクニックなんかいらない、退かないという攻撃。


 とうとう根津の拳を顔面に喰らった。でも、退かない。退かないという攻撃。喰らった顔面を前に突き出す。痛い、痛いに決まっているが、避けたって避けきれなければ痛い。そして相手は玄人。素人が避けれるわけがない。じゃあ素人ができることは、退かないという攻撃だけだ。


 自身の攻撃に、標的の方からぶつかってくれば、力の加減に誤差が生じる。自分の攻撃の力の何分の1かは自身に返ってくる。それが素人が玄人に対抗できる攻撃。根津は手首を捻ったらしい。


 完全に根津の意識が俺に向いている隙をつき、ダンゴムシが奇声をあげ、根津の両脚に絡みついた。両腕で根津の両脚に絡みつき、更に外されないように両脚も絡みつかせ、体を丸めてしがみついた。まさに、ダンゴムシだ。

 根津は身動きが取れなくなった。


「おい、婿殿!今だ、アレやれ!」


「なにする!お前ら卑怯だぞ」


「卑怯だー?こっちは遊びじゃねえって言ってんだろ!」


 必死にしがみつくダンゴムシに、俺は頷いた。


 俺は飛んだ。


 楓のように、飛んだ。



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