第59話 1.300円のサンドイッチ
俺はソファの上で目覚めた。
澤村と話していて、そのまま寝てしまったらしい。
昼を過ぎていた。澤村とロイホ、昨夜遅かったミントと俺以外は、みんな出払っていた。
ロイホは、いつも通りパソコンのキーボードを叩いて、独り言を言ったり、舌打ちしたりしている。
「わたしも、さっき起きたところです。なんか食べます?」
ルームサービスでサンドイッチを頼んだ。メニューを見ると、1.300円もした。
ルームサービスが届くと、普通のサンドイッチだった。ハムとレタスを挟んだものと、タマゴサンド。パンも普通のパンで、ここのオーナーは協力者なので代金は取らないと言うが、これで1.300円も取るのかと思ってしまった。
「浅野さん、里穂ちゃんの学校に連絡してなかったんですね。携帯鳴ったんで勝手に出ちゃいました。担任の先生が心配してましたよ」
そうだった。里穂を連れて実家に行ったのはいいが、学校に連絡するのを忘れていた。まだ夏休みまで4日ほどある。無断で休ませてしまった。
「代わりにワタシが担任の先生に怒られちゃいましたよ。一応、楓さんのフリして、親戚が倒れて実家にいます、みたいな理由言ってあります。口裏合わせておいてくださいね」
すみません、と頭を下げた。やはりミントは母親をちゃんとやってるんだなあ、と頭が上がらない。たぶん、この間のトラック突っ込まれた時に、楓のスマホが壊れて電話が繋がらなかったのだろう。学校側からの電話はまず先に母親、父親はその後だ。
育児は母親の仕事ではない、両親でするものだ、と言われてから数年は経つが、働いている母親が多いのにもかかわらず、こういう時の連絡は母親にかかってくるのが大半だ。
男女平等とは言っても、どうしても、まだ母親の方に分担が偏ってしまう。
自分では「父親」をやれているつもりでも、「母親」の代役すら勤まっていない。娘を巻き込んでこの始末だ。旦那としても、父親としても中途半端感は否めない。
「やっぱり、警備会社ですね。セキュリティがしっかりしてるので、なかなか香川警備保障に潜り込めませんよ」
ロイホはキーボードを打つのを止め、サンドイッチを手にした。澤村とミントと俺が、ロイホを見つめる。澤村に向かってロイホは、もうあだ名変えないでくださいね、とサンドイッチにかぶりついた。
他のみんなは、香川警備保障の偵知に出掛けている。
最初に戻ってきたのは、ダンゴムシだった。ダンゴムシの後ろについて入ってきたのは、古谷夫妻だった。古い革のボストンバックを下げていた。財前一家を『執行』するとき、誰からの依頼なのが喋ってしまっている。古谷夫妻にも危険が及ぶと判断し、連れてきたのだろう。
古谷悟の父親は俺を見ると、申し訳なかったです、と言って頭を下げた。
「私たちの依頼で、仲間の方や、あなたの奥さんが狙われたと聞きました。私たちが、こんなこと頼まなければ、こんなことしても悟は帰ってこないのに、復讐なんか考えるんじゃなかった。本当に申し訳ない」
「いや、そんな、頭をあげてください。依頼を受けたのはこちらです。注意を怠ったのは自分たちです。古谷さんのせいじゃないです」
たぶん楓だったら、こう言うのだろう。澤村と目が合った。澤村は頷いた。
「所長の澤村です。今回はこちらのミスです。大事をとってここへ避難してもらうことにしました。かえって申し訳ない。今、隣の部屋を準備させています」
澤村は古谷夫妻をソファに座らせ、事の成り行きを説明した。
本当に『執行』の必要のある依頼しか受けないこと。『執行』は徹底して人格を殺す、つまりその人格をゼロにさせ更生させることで、物理的な人殺しではないこと。依頼人には、最初に殺したと伝えること、依頼人は時が経つにつれ人殺しを依頼したことの罪悪感に耐えられなくなってしまうため、頃合いを見て更生した対象者の現在を伝え、人格を殺して、人は殺していないと伝えることまでが『執行』の完遂だということ。この「殺し屋」の仕事の全貌を話した。
今回の敗因は、母親財前恵美子の『執行』が甘かったこと、警察関係者ということで預金などの財産を全て無にできなかったこと、恵美子の親族に警察OBなどの力のある人間がいたことを調べられていなかったこと、の3つが挙げられる。
古谷の妻は席を立ちあがった。そして音もなく静かに窓に寄る。部屋の窓は、少し出窓のようになっていて、30センチほどの出っ張りがある。体を傾けて窓ガラスに手を触れ、外を覗き込んだ。
「お父さん、凄いですよ。車がこんなに小さく見える。こんな綺麗なホテル泊まるの初めてですね」
古谷の妻は、今までの話となんの脈略もないことを言い出した。気が触れてしまったのか、と思った。
「もういいですよ。こんなことしなくて」
気が触れたのではない。古谷の妻は、出っ張りに腰をかけ、こちらを向いた。
「もう、疲れちゃいました。財前みたいな人は、一生治らないですよ。あの人が更生したとしても、許せません」
俺は、殺し屋の仕事として、実際は殺していないことをなぜ最初から話しておかないのか、とずっと考えていた。最初から話してしまうと、こういうことになってしまうからなんだろう。
相手の憎悪を1度鎮めるためにも、殺したことにすることが必要不可欠なのだ。
ダンゴムシが澤村に耳打ちをした。
「この2人、あっちの部屋に2人きりにしたら、マズくね」
俺たちは話し合って、古谷夫妻もうちの実家に連れて行くことになった。うちの母親も同じ依頼人だった。誰か家族が死んだわけではないが、1度自殺しようとさえ考えた母だ。
里穂と慶太がいるので、息子の悟を思い出してしまうかもしれない。いや、決して息子のことは忘れることはないだろう。
ただ、死んでしまうことは、死んだ息子の悟だって望まないだろう。
それに明るい母と義母、このWカズエに託すしかない。
母に連絡すると、任せとけ、と短い返事が返ってきた。光一のメロン食べれば死ぬ気なんかなくなるよ、と力強くも根拠のない自信。
俺とミントは、古谷夫妻を乗せて、また車で静岡へと向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます