第60話 向日葵の花
古谷夫妻を静岡まで送った。お父さんの手料理と光一のメロンかあるから、と古谷夫妻を客間へ通した。
里穂が寄ってきて、もうメロン飽きた、と言ってきた。慶太は、メロンを気に入ってくれたらしい。
「母ちゃん、オレ、エビ食えるようになった!」
慶太はミントに抱きつき、それを見ていた里穂に気づき、慌てて離れた。そんな光景を古谷悟の母は、寂しさを携えた微笑みで眺めていた。あとは、母と義母に任せた。
東京まで戻る間、ミントと子供の他愛もない話で盛り上がった。
慶太は、保育園の頃プールが苦手で、同じクラスに好きな女の子がいて、オレが守ると豪語していたのに、プールの時間顔に水がかかっただけで泣く慶太に、男の子たちが水をかけていたところ、その好きな子に助けられてただとか、里穂は2年生の時に、夕飯は里穂が作ると言って、冷凍食品の炒飯だったから電子レンジで温めるだけなので、やらせてみたら、生卵までレンジでチンして爆破させただとか、どのうちでもありそうな話が尽きなかった。
そんな話をしている中、俺はずっと考えていた。澤村が言った言葉だ。
(だからお前みたいな優しい人間が『殺し屋』になったら、もしかしたら俺たちを変えてくれるかもしれない)
はたして、俺に何ができるというのだ。
高速に乗り東京に入ったところで、ミントの携帯が鳴り、慶太の通う小学校からで、休みが続くようなら夏休みに入ってしまうので、学校に置いてある荷物を取りに来て欲しいという内容だった。
「ついでに里穂ちゃんの荷物も取りに行きましょうか。こういう時、ちゃんとしておかないと、ただでさえ隠してこの仕事しているわけですから、あまり目立たずに普通にしていた方がいいですよ」
言われてみれば、そうか。
この道順だと、里穂の小学校の方が近い。里穂の荷物を取りに行き、慶太の小学校に向かった。
慶太の小学校は、街中にあり、車では通りにくく、また保護者の車での送り迎えが禁止されていて、辺りは駐停車禁止だらけで、仕方なく少し離れたコインパーキングに停めた。
「小学校って、やたら荷物多いですよね。運ぶの手伝ってくれます?」
片親のミントが男と一緒に来たら怪しまれるかと思い、ミントの見た目を考慮して、兄です、ということにしたが、若い女の先生に思い切り怪しい目で見られ、普通にしていてください、とミントに耳打ちされる始末。
慶太の机は、ワンパク坊主の机という感じで、全教科書類が乱雑に詰めてあり、クシャクシャのプリントがたくさん出てきた。それらをキャンパスのトートバッグに入れて、重いので俺が持つことにした。道具箱やら、工作の画用紙やらを全部持つと、案内してくれた若い女の先生が、
「あとは花壇にある植木鉢も持っていってください」
と言い、花壇に案内された。植木鉢はむかしからあるプラスチックの正方形のものだった。花壇から「ほりうちけいた」と書かれたものを探し、ミントが持つと、小さいミントの頭よりも高く育っている向日葵の花が揺れた。前が見えず歩きづらそうで、俺がそっち持とうか、と訊ねると、重さは軽いから大丈夫というので、そのまま車に向かった。
途中、白いシャツに黒いエプロンというお揃いの格好をした2人組の男に声をかけられた。
「あれ?ミントちゃんじゃないの。この間のお兄ちゃんも一緒か」
普通に綺麗な格好をしているので、最初誰だかわからなかった。
声をかけてきたのは藤原景子の時の、あのゴリラ顔の「ジンさん」と、歯が数本しか無かったホームレスだった。歯が無い方のホームレスは、前歯が差し歯で綺麗になっていて、すぐわからなかったのだ。
「だよなあ、そうだよなあ」
ジンさんと、差し歯は嬉しそうに俺の肩を揺すった。ミントは向日葵で前が見えないらしく、植木鉢を傾けて覗こうとするが、傾ける度向日葵の花が揺れて、うまく前を見ることができない。俺も教科書が重いので、その場に下ろした。
「あんたたち、小学校から出てきたけど、あんたたち夫婦だったのか」
「いや、違うんですよ。それこそ、ジンさんたち、どうしちゃったんですか、その格好」
そうミントが言うと、ジンさんたちは嬉しそうに胸を張って、これかこれか、と自分たちの服装を自慢げに見せた。
「俺たちよう、景子ちゃんと喫茶店やることにしたんだよ」
「ジンちゃん、違うよ。『カフェ』だよ、『カフェ』」
「おう、それだ。景子ちゃんがな、あんた達から貰ったお金で、みんなで働けるお店を出しましょうなんて言ってくれてな。ほら、サクジ、名刺、名刺」
サクジと呼ばれた差し歯の男は、ポケットから嬉しそうに、へへへ、へへへ、と笑いながらステンレスの名刺入れから1枚出して渡してきた。名刺には「sun flower cafe マネージャー 神宮寺 作治郎」と書かれていた。
「びっくりしただろう、オラ、マネージャーだとよ」
びっくりしたのは「神宮寺」というホームレスに似つかない苗字だった。
「へへへ、オラ、人に名刺なんか50年以上生きてて、へへへ、こんなことねえからよ。照れちまうなぁ」
「景子ちゃんにさあ、それはアンタの金だから自分のために使えって言ったんだけど、みんなでお店やるのが自分のためだって。たまたま、この近くに、1階が店舗で上が住居になってる3階建の物件が空いててな。今は開店準備中だ。他に一緒にいた2人も従業員で、今、景子ちゃんと5人でルームフェアしてんのよ」
「違うよ、ジンちゃん。『シェア』だって。ルームシェア」
「うるせえなあ、おめえーだって、景子ちゃんに、金出して貰って歯ぁ直したからいいけど、歯がねえ時、店の名前言えなかったじゃねえか。ひゃんふにゃわーかへ、とか言って」
うるせえなあ、サクジはジンさんの背中を思い切り叩いた。叩く力が思ったより強すぎたのか、ごめんよジンちゃん、と言いながら背中をさすり、目が合うと、またへへへ、と笑い出す。
「先週かな、あのフンコロガシっていう、おっかねえ兄ちゃんいるだろ、あんたんとこの社員に。あの兄ちゃんと一緒に志村って奴が謝りにきて。俺はあいつ、死んだと思ってたからびっくりしてな。あの兄ちゃんは、今、千葉の孤児院で働いてんだろ、気持ち入れ替えて」
「だから、ジンちゃん、違うって。フンコロガシじゃねえよ、『ダンゴムシ』さん。それに志村じゃなくて、『火村』!ジンちゃん、さっきから全部間違ってるぞ」
そう言って、また叩いて謝る。漫才みたいに叩き合う元ホームレスたちは、本当に幸せそうだった。こういうことが、本当に人助けなのだろう。これが、澤村たちのやりたい「殺し屋」の仕事、完全な『執行』なんだろう。
「今な、景子ちゃんに、ホームセンター行って、フォークやスプーン入れるトレーっていうのを買ってきてくれって言われて出てきたんだけど。
8月にオープンするんだよ。通りを2つ挟んだ向こうにあるから、ちょっと寄ってくかい?」
今はちょっと急いでるので、ミントはやんわりと断った。今行って、それを目撃されていたとしたら、ジンさんたちまで巻き込むことになる、たぶんミントはそれだけは避けようとしているのではないか。
だとしたら、ここであまり長く立ち話していることも良くない。
「ちょっと大きい仕事を抱えてまして、全てが終わったら、みんなで行きますね」
ミントは、そう笑顔で返した。
景子ちゃんも綺麗だけど、ミントちゃんも可愛いなあ、とサクジはデレデレし始めた。
別れ際に、ジンさんに呼び止められた。
「よう、その植木鉢なんだけど。ああ、でもダメだな。あんたの子供が大事に育ててんだもんな」
「うち、男の子だから。ワタシが水やらなかったら、こんなのすぐ枯らしちゃうと思いますよ」
「だったらよう、それうちの店に飾らしてくれねえか。サンフラワーって向日葵のことだろうよ」
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