サード ミッション

第52話 誰も死なせねえ

 俺と里穂と義母は、教えられた病院に着いた。病院に駆けつけたときには、もう暗くなっていた。夜8時を過ぎ、院内は静まり返っているが、緊急搬送口は慌ただしく人が動いている。集中治療室の前には、ロイホ、ミント、ダンゴムシ、そして澤村とジバンシイがいた。俺を見て、一斉に立ち上がった。


「楓は」


「姉ちゃんは、無事だ」


 ジバンシイが言った。楓は大腿骨骨折で処置中だった。意識はあるという。楓と一緒に偵知に出た「アゲハ」が重体らしい。


 酷いDVの夫を殺してほしいとの依頼を受け、楓とアゲハが依頼人の偵知に行くこととなった。依頼人の要望により、自宅ではなく指定された喫茶店に出向くこととなった。お互い顔がわからないので、指定された窓際の席で待つことになった。

 そこへトラックが突っ込んできたのだ。

 4人がけの席に、依頼人を迎えに座らせるつもりで、楓とアゲハは2人並んで座り、窓際の方に座ったアゲハはトラックの下敷きになり、今も意識はない。突っ込んだトラックの運転手もエアバッグで助かってはいるが、両足骨折の重傷らしい。


 処置室からストレッチャーに乗せられて、楓が出てきた。トラックが突っ込んだとき、ガラスの破片を頭から被ったらしい。顔や腕にも包帯が巻かれ、痛々しい姿だった。

 ママーッ、里穂が駆け寄り、シーツの掛けてある腰元を揺らす。


「ちょ、ちょ、ちょ、里穂、ごめん、痛い」


 大丈夫なのか、そんなことしか言えなかった。里穂みたいに抱きつきたいし、無事だったと泣きたいし、何やってるんだって怒りたい。だがケガをしてるし、処置したばかりだし、ケンカした後だし、と余分なことを考えてしまう。そして感情を出すことに一歩遅れて、つまらないことしか言えなくなってしまうのだ。頭で思ったことを口に出す、その頭から口までの回路の途中に、なにか不必要な弁でもあるんじゃないかと思う。


 そんな俺を理解してくれているのか、物足りなく感じているのか、楓は笑顔を作り静かに、大丈夫よ、と言った。


「嵌められたな」


 ジバンシイが親指の爪を噛みながら言った。


「誰なんだよ」


 姉が無事だったことが分かると、苛立ちが湧き上がってきたようだ。澤村は難しそうな顔をして俯いていた。気づくと澤村も爪を噛んでいた。


「多分、今まで『執行』してきた、誰かだろうな」


「ちゃんと殺せてなかった奴がいたのか」


 ダンゴムシが廊下のベンチを蹴飛ばした。ジバンシイだけでなく、みんな苛立ちを隠せない。


 廊下の向こうが騒がしくなってきた。

 誰の許可をとったんですか、関係者以外は立入禁止です、といった看護師たちの怒鳴り声が聞こえる。


「俺は関係者だ、どけ!」


 白衣の前を外して着ている大柄な男ドクターが、ストレッチャー2台を引いた男女2人ずつの看護師を引き連れてきた。

 それを止める病院側の看護師を突き飛ばし、こちらへ向かってくる。


「アゲハとリトルハンドは、どうなってる!」


 ドクターは澤村を見つけると、駆け寄りながら怒鳴る。

 ストレッチャーに乗ったままの楓は片腕を挙げて、澤村はまだ手術中の赤ランプの点いた手術室を指差した。


「おい、リトルハンドをこっちのストレッチャーに乗せろ」


 自分の病院の看護師に命ずる。男女がシーツの端を持ち、楓を持ってきたストレッチャーに移動させようとするのを、病院側の看護師たちが止める。


「あなたたち、誰なんですか」


「うるせえ、こいつらは俺が診る。どうせ、ヘタクソな処置してんだろ!いいから早く乗せろ!」


 困ります、と病院側の看護師が騒ぐ中、男女は無理やり楓を乗せ、ストレッチャーに乗せ出口まで連れていった。義母がこちらを見ているので、俺は頷いた。義母は里穂を連れて、楓の乗ったストレッチャーについていった。


 ドクターは手術室を睨んだ。そして重そうな扉をガンガン蹴飛ばした。


「おい、開けろ!後は俺がやる。お前らじゃダメだ、俺が診るから開けろ、コラァッ!」


 廊下の奥では、遠目で看護師たちがこちらを眺めていた。


 一体何の騒ぎですか、のんびりした偉そうな口振りのメガネをかけた医師が近づいてきた。


「あ、井山」


 偉そうな医者は、ドクターを見ると固まった。


「なんだ、田村。ここはお前がいる病院か。だったらヤブだな。アゲハは俺が助ける。ここを開けさせろ」


「なんだヤブとは。お前に言われる筋合いはない。術中だ、静かにしろ」


 ドクターとメガネの医師は睨み合っている。


 その時、手術中のランプか点いたまま手術室の電動扉が開いた。助手らしき男が慌てて田村という男に耳打ちしている。中から心電図モニターの警告音や、手術器具やトレーの音が騒がしく聞こえた。内側のガラスの自動ドアも慌ただしく人が出入りするため、開いたり閉じたりを繰り返し、隙間から見えたのは心臓マッサージを受けるアゲハの姿だった。


「どけ!」


 ドクターはもう1台のストレッチャーを構える男女に顎で命じ、3人で突入した。


 中から、怒鳴り声が聞こえる。


 あれが楓だったら、俺はどうなってしまっていただろう。楓じゃなくて良かったなんて言えないが、そう思ってしまう。


 ドクターの助手は、心臓マッサージをしている医師を突き飛ばし、ストレッチャーにアゲハを移した。それと同時にドクターがストレッチャーの上のアゲハにまたがり、心臓マッサージを施した。ドクターが乗ったままのストレッチャーを2人が押して出てきた。出口まで急ぐ。


「井山!お前、何やってんだ!」


 メガネの医師、田村が叫んで、ドクターの肩を引っ張る。ドクターはそれを振りほどく。


「うるせえ!もう誰も死なせねえぞ。こいつは俺が助ける。引っ込んでろ!」


「もう、ムリだ!よせ!」


「うるせえ!アイツと同じ目に遭わせねえ!若菜を見捨てた奴は、引っ込んでろ!」


 メガネの医師、田村はまた固まった。

 病院側の看護師がPHSで電話をしていた。警察ですか、○×大学病院です、至急来てください、そのような言葉が聞こえた。


 澤村は立ち上がり、俺たちも行くぞ、と言い、俺たちはストレッチャーを追うようにして外へ走った。


 外へ出ると、緊急口の真ん前にでかい車が停まっていた。千葉の海岸で火村誠を『執行』するときに待機避難所で見た、あのでかい車だ。ハッチゲートが全開で、中には救急車のような医療機器がたくさん見えた。キャンピングカーを改造したらしいドクターの車に、心臓マッサージを続けたままストレッチャーを乗せ、そのまま2人も乗り込んだ。ハッチゲートはすぐに閉められ、急発進した。


 こっちだ、澤村が駐車場まで走る。

 黒のワンボックスに乗り込んだ。運転席にはジバンシイが乗り込んだ。

 俺は3列目のシートになだれ込むように乗り込み、楓は?、と誰に向かってでもなく聞いた。

 隣に座ったロイホが答えた。


「楓さんの乗ったドクターカーは先に出ていると思います。そっちの方はドクターの右腕の『野口くん』がいるから大丈夫ですよ。『野口くん』はうちの社員じゃなくて、ドクターに雇われてるんですけど、所長にキラーネーム付けられちゃってるんですね。まあ、『野口くん』の方がドクターより腕はいいですから、いつでもドクターと代わってくれてもいいんですけど」


 いつもなら淡々と軽口を叩くロイホの声も少し震えていた。


「事務所は無理だな」


 ジバンシイが運転しながら、バックミラーを顎で示した。黒塗りの車が映っていた。


「さっきから尾行されてる」





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