第32話 金の使い道(1)

 やはり数えると100万ある。

 あの後、何度返そうとしても、澤村は受け取ってくれなかった。こんな大金を持ち歩いたことがないので、電車の中でもブリーフケースを両腕に抱えてビクビクしながら帰った。この100万をどうしようか、まず家に着いたら隠さなければならない、どこに隠そうかと悩みながら、解決策が見つからず自宅前まで着いてしまい、玄関を開けるとそこに妻がいたので驚いてしまった。


「なあに?どうしたの?」


 妻は玄関の掃除をしていた。娘が友達と遊んで帰ってくると、スニーカーが砂だらけで、玄関が砂塗れだったそうだ。


 食事をしていても上の空で、隠す場所を考えていた。

 澤村は、娘に何か買ってやれと言うが、やはりこのお金で娘に何か買うのはどうかと思う。

 妻にも買ってあげたい物はたくさんある。結婚するとき、婚約指輪はいらないと言って、結婚指輪しか買わなかった。指輪は好きじゃない、と言っていたが、本当は俺の収入を気にして言ってくれたのだろう。いつか買ってあげたいと思っていた。でもこの金で買うのは違う気がする。この金の出所を知ったら、正義感の強い妻は激怒するだろう。怒るならまだいいが、娘を連れて俺から離れてしまうのに違いない。


 妻と娘が風呂に入っている間、とりあえずの隠し場所として、クローゼットの1番上の棚の、俺のガラクタ入れに仕舞った。

 俺のガラクタ入れには、チョロQやらミニカーやらが乱雑に入れてある。コンビニで売っている缶コーヒーのキャップにおまけが付いている、あれだ。昼休みや外回りの時にコンビニで何気なくおまけが付いているものを買ってしまう。なぜ集めてしまうのだろう、くだらないものとはわかっていても、1つ買うと2つ、2つ買うと3つ、終いに全部揃えたくなってしまい、コンプリートしてしまうと行き先を失い、そういうものがここに入っている。この金も行き先がない点では同じだ。


 娘はランニング姿で髪の毛をタオルで拭きながら、風呂から出てきた。


「パパ、ママ新しいバックが欲しいんだって」


「え?」


 俺は金を隠したところを見られたのかと焦った。


「あー。ママー、パパ絶対ママの誕生日忘れてるよー」


 妻も娘と同じようにタオルで髪を拭きながら出てきた。


「マジで?ひっどーい。里穂、今年はパパの誕生日無しだね」


 娘は、俺と妻の間に立ち、腕を組んで仁王立ちしていた。


「パパ、これは離婚の危機ですな」




 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


 娘が寝静まった頃、足にマニキュアを塗っている俺は妻に話しかけた。


「実は何をあげようか、まだ考えてるところだったんだけど」


「冗談よ、いつも感謝してます。それより里穂に新しい自転車買ってあげて。もうあれじゃ小さいと思うよ」


 5歳の時に少し大きめな子供用自転車を買ってあげたが、あっという間に成長し、今では膝がハンドルにぶつかって漕ぎ辛そうになっていた。本人は、その自転車が気に入ってるらしく、新しい自転車を欲しがらないし、中学に入ったらもっと大きい自転車を買わなければならなくなるだろうと、今買い換えるのが中途半端な時期で買うのを悩んでいた。


 あの金で自転車を買ったら、縁起が悪い気がする。自転車くらいなら自分の金で買える。


「じゃあ、今度、里穂連れて見に行こう」


「そうしてあげて」


 妻は片膝を曲げる、口を尖らせて息を吹き、マニキュアを乾かしていた。


「シンちゃん、まだ婚約指輪買ってないこと気にしてるでしょ」


「そんなことないこともないかな」


「なに、それ、どっち?でも本当に気にしないでよ。本当に指輪しないから。結婚指輪だけで充分。2個も3個も付けたりするの苦手だから」


 妻は結婚指輪は嵌めてくれている。今まで結婚指輪以外の指輪や、ネックレス、ブレスレットでさえも、アクセサリーをつけている妻は見たことがない。苦手というのは本当らしい。


「だからバック買って」


 結局、バックが欲しいんだな。


「いいよ。じゃあ、里穂の自転車買う時に、一緒に買おう」


「嘘、冗談よ、バックもいらない。シンちゃん、アタシ、マニキュアまだだから、先布団入ってて。里穂1人で寝てるの可哀想だし」


 おやすみ、と言って、言われた通り、先に布団に入った。

 子供の寝顔は可愛い。最近生意気だよ、寝てる時は可愛いんだけどな、なんて言う同僚がいたが、起きてる時だって可愛いに決まっている。そいつもそう思っているはずだ。


 ただ、寝てる時の子供は、今自分だけが見ている、と独り占めして眺められるからではないかと思う。愛情を真っ直ぐに注ぐことができる。その真っ直ぐ愛情を注ぐことが、それが全てではないかもしれないが、真っ直ぐな人間に成長してくれるのではないか。


 ふと、千葉の海岸沿いにあった養護施設のことを思い出した。あそこにいる子たちは、その両親の愛情の眼差しを受けられない。施設職員たちが愛情持って育てていると思うが、それは肉親の愛情ではない。世の中には甘えて育った俺が知らない、当たり前のことが、当たり前ではないことの方が多いのかもしれない。妻の楓も、両親が離婚している。

 この俺にとって、当たり前のことを大切にしていきたい。


 俺は金の使い道を決めた。


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