第31話 アフターという仕事

「浅野さん、ランボーさんのこと、見た目が意外で驚いてたでしょ」


 ロイホは、楽しそうに言った。


「僕ら世代だと、ランボーって見たことないから、なんとも思わなかったんだですけど、浅野さん世代だと、なんか傭兵みたいな風貌を想像するんでしょ」


「んんー、まあ」


「僕は、あの存在感のなさには驚きましたね。あの人と話ししてると、初めは言葉のラリーが続くんですが、だんだんこっちが独りで喋ってる気分になってきて、最終的には誰と喋ってたか忘れちゃうんですよ。あの人の小学校の時のあだ名は『空気』だったそうです。それも最初だけで、そのあだ名も呼ばれなくなってたみたいです。超カワイソー」


 可哀想と言っている割には、楽しそうだ。


「所長なんてもっと酷くて、あの人いないのに、『ランボー』って呼ぶ時あるんですよ。でもあの人の凄いところは、所長がさっきも言ってたけど、防犯カメラに映っても、なぜか特定されないんですよ。よく、刑事ドラマで『ゲソ跡は採取できましたが、量産されているスニーカーでした』なんていうのあるじゃないですか。そんな感じです」


 俺たちは都内から離れた病院に向かっている。藁科雄一と、その母親は精神科の閉鎖病棟のある施設にいるという。息子の藁科雄一は、彼女に自殺され、火村という友人に裏切られたことにより、母親が目を離すと自傷行為に走るということで、母親完全に付き添いの元、入院治療中らしい。


「あの人は、お金を下ろしに行くのは天職ですよね。でも、変わりたいらしいんです。少しでも、存在感を出したいらしくて、無理に強気で喋ったり、いちいち人の話に首突っ込んでくるんですよ、努力家ですね。もう『空気』になりたくないそうです。なんか、偉そうにしてきませんでしたか?でも恐ろしいのが、それでも忘れられちゃうという、天性です、天性」


 リゾートホテルのような施設だった。俺が想像していたものと違いすぎて、ロイホは病院に行く前に寄り道をしているのかと思ったが、そこが藁科雄一の入院する病院だった。

 もっと無機質で、鉄格子に囲まれているような部屋があったり、あちらこちらで、くぐもった悲鳴が聞こえたりと、暗い雰囲気を想像していたが、この病院は広いエントランスに吹き抜けの2階があり、観葉植物が飾られ、職員たちもアロハシャツを着ていた。小さな音量でウクレレのBGMが聞こえ、南国をイメージしている。

 ロイホは勝手がわかっているのか、受付を素通りし、エレベーターに乗った。3階で降りると、目的の病室まで行く。その間も病院特有の消毒液のような薬の匂いはしなくて、この建物自体、病院っぽさを1ミリも感じさせないよう工夫してある。


 スライドの扉を開け、病室に入ると、パイプ椅子に腰掛けていた母親らしい中年の女性が立ち上がって、小柳津さん、と言って深々と頭を下げた。病室は壁が木目調で柔らかい雰囲気を出し入るが、真ん中にベットがあり、そこに病人がいるとさすがに病院らしさが出てしまう。藁科雄一はベットボードを上げ、上半身を起こしていた。手首には包帯が巻かれていた。藁科雄一はロイホの顔を見て、笑顔を作るが、やや顔がこわばった。


「彼はうちの新人の浅野です」


 ロイホは俺のことを2人に紹介した。俺は会釈すると、また母親は深々と頭を下げた。

 ロイホは黙ったまま、封筒を渡した。


「なんですか?これは」そう言いながら、封筒を除き、「これは?」と戸惑った表情の母。


「こんなものいらないでしょうが、ここの宿泊費も高そうですし、足しにしてください。それと.....」


 ロイホはバックパックから例のDVDを取り出した。


「依頼していただいた『執行』の映像です。ご覧になりますか?」


 母親は目を伏せた。


「ちゃんと殺してもらえたんですよね。だったら見なくてもいいです。見たくありません」


 母親は立ち上がると、ベットの横にある小さめの冷蔵庫から、ももを出した。


「今、切りますね」


 結構ですよ、とロイホが言ったが、聞こえないふりをし、ももの皮を剥き始めた。鼻水をすする音が聞こえた。


「サナエちゃん、本当にいい子だと思ってたんですよ。うちにも来たことあって。そんなことするような子に見えなかったんです。元々、うちの子が悪いんです。火村みたいな変な人と仲良くしてたからバチが当たったんです。誰が1番悪いかなんか、私にはわかりません。わからないのに、サナエちゃんが1番ひどい」


 そう言って、ももを切る手が止まった。


「母さん、1番悪いのは俺だよ。火村は最初から騙すつもりで相手を探してた。俺がサナエに言わなけりゃ、こんなことにはならなかった」


 藁科雄一は嗚咽する母親の横で、涼しい顔で喋った。泣くでもなく、怒るでもなく、しずかな微笑みを含んだ表情で、目は遠くをみている。言葉に抑揚がない。俺は精神が病んだ人を見たことがない。でも、彼の表情は、どこかに感情を置いて忘れてきてしまったような顔をしている。


「サナエが、藤原さんを紹介した時からサナエは騙す目的だってわかってたんです。わかってて、藤原さんを連れてきた。だから元々サナエも藤原さんのこと嫌いだったんだと思います。でも、初めて藤原さん見た時、綺麗な人だと思いました。べつに、特別な感情があったわけではなくて、ただ悪い人じゃなさそうだって思ったんです。サナエに、あの子は騙すのやめようって止めました。それがサナエには気に食わなかったのでしょう。サナエは僕が心移りしたのかと思ったのかもしれません。だから火村と」


 母親の嗚咽が次第に大きくなってきた。雄一、もういいのよ、雄一、もう寝ましょう、雄一、もう忘れましょう。


「でも、なんですかね。やっぱり火村が許せなかったんです。自分のしていることは棚に上げて、僕は何言ってるんですかね。サナエのことは、もうどうでもいいです。火村に騙されてたと知って自殺したんですよ。あいつの中で存在が大きかったのは、僕じゃなくて、火村だったってことなんですよ。そういうことなんです」


 彼を苦しめている原因はなんなのだろうか。火村なのか、自殺した恋人なのか、自分自身なのか、その全てなのだろう。火村を殺した今、あとは自分を責めることしか残されていない。

 チッ、小さな舌打ちがロイホから聞こえた。


「それ、見させてもらっていいですか?」


 彼はDVDを指した。ロイホはバックパックからポータブルDVDプレーヤーを出し、ベットに備え付けてあるテーブルの上に乗せた。


 彼はじっと我慢を見つめていた。

 呻き声や、罵倒、殴る音、音だけが聞こえてくる。音だけで昨日の記憶が鮮明に蘇ってきた。母親は固く目を瞑り、耳を両手で押さえている。

 ため息をついて、最後まで見終えた藁科雄一が喋り始めた。


「最低ですね、火村が死んで、スッキリしたと思っています。そして、こんなにくだらない男が友達だったということ、そんなくだらない男に彼女をとられたということ、その彼女がそれを苦に自殺したこと、全部最低最悪です。あとは自分がいなくなれば」


 そう言いかけたところで、ロイホは藁科雄一を殴った。そして髪の毛を掴んで、藁科雄一の顔を無理やり母親の方に向けた。


「アンタ目の前で彼女に死なれて辛かったんだろ。それと同じ思いを、自分の母ちゃんにまでさせるつもりなのか!甘ったれるなよ。こんな手首なんか、見つかればすぐ助かるようなところ切って、アンタはいつまで自分の母ちゃんに甘えてんだ。アンタは目の前で死なれた辛かった思いを、自分の母ちゃんに何回も味合わせてんだ。いつになったら気づくんだよ!」


 藁科雄一と母親は顔を見合わせて、泣きじゃくっていた。


「アンタの復讐はな、自分が幸せになることなんだよ。母さん安心させてやれよ」


 ロイホは突き飛ばすように藁科雄一から手を離した。そして、母親に向かって、すみません、と頭を下げた。母親は泣きじゃくりながら、ありがとうございました、と何度も言った。


 藁科雄一は震える手で封筒を掴むと、


「これはいただけません。藤原さんに持って行ってください」


 と俺たちに差し出してきた。


「だから、それは入院費です。もし藤原さんに渡したいのなら、自分で行ってきてください、彼女なら荒川の河川敷にいます」


 ロイホは先に病室から出ていった。俺も2人に会釈し後を追う。


 感情的になったロイホを初めて見た。外に出ると、伸びをして大きく息を吸って吐き出した。やはりどんなに病室をリゾート風にしたりしても、病院は病院だ。

 重いもの、暗いもの、苦しいもの、何か得体の知れないものが、空気の中に潜んでいる。

 それらを外に出て、全部吐き出す。

 眉間を刺す太陽の光が、体を浄化させてくれるようだ。


「ああいう、自分が死ねば終わるって思ってる人って、ムカつきません?」


 いつもの、のんびりした喋り方のロイホに戻っていた。自分より10歳以上も若い彼が、すごく大人に見えた。






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