銀月の夜、さよならを言う

樫田レオ/ファミ通文庫

第1話 透白

 二月二七日(火)

 彼が息を引き取った。

 奇跡は起こらなかった。


 二月二八日(水)

 一晩、泣いて過ごした。涙は涸れることなく、流れ続けた。

 いま、こうして日記を書いている最中も、すぐにでも涙は溢れようとする。

 今日は銀月の夜だ。彼と約束した、二度目の夜になるはずだった。

 わたしは一人で白銀祭りに行くだろうか。

 窓の外を見ると、残酷なまでに透き通る美しい青空が広がっている。

 二月とは、不思議な季節だ。

 冬の終わりと春の始まり。まるで死から生へと向かう象徴であるかのよう。

 事実、今日は随分暖かく、春の気配を感じる。

 それなのに、わたしの周りに起きた出来事は死そのものでしかない。

 二つの白い雲が寄り添うように風に流れていく。

 どうか、いつまでも離れ離れにならないようにと、わたしは願う。

 しかし、こうして書いている間に、風は無情にも二つの雲を引き離す。

 分かたれた雲は冴えた冬空に溶けて、混じり、消えてしまう。

 それが運命なのか。ならば運命とはなんと残酷なのだろう。

 彼にもう一度、会いたい。話がしたい。声が聞きたい。顔が見たい。

 そして、わたしをぎゅっと抱きしめて欲しい。

 お願い。神様、彼に会わせて下さい。

 白銀神社の神様は、銀月の夜に奇跡を起こす。

 子供の頃に聞いたおとぎ話だ。


 暗闇の中、《彼女》は歩み続ける。

 足下を照らすのは、ただ夜空に銀色の円を描いて浮かぶ月だけだ。

 先ほどまで降り続いていた雪は止んでいたが、山道は危うい。

 夜気さえ凍てつくような冷たい光の下。

《彼女》は覚束ない足取りで体を震わせながら、滑りそうな道を進んでいる。

 遠くから微かに聞こえる祭り囃子も、遥かに見える街の灯りも、《彼女》の耳には、《彼女》の目には届かない。

 悲しいことがあった。

 辛いことがあった。

 受け入れがたいことがあった。

 だから、《彼》の声を欲した。

 だから、《彼》の面影を求めた。

 だから、《彼》の想い出を探した。

 今宵は銀月の夜。本当ならば、二人で過ごすはずだった。

 しかし、《彼女》は約束の夜に一人きりだ。

 《彼》が、この世界にいないという現実を、いまだ信じられないでいる。

 歩き続けた《彼女》はやがて疲れ、その場に崩れ落ちる。

 目の前に、小さな丸い池がある。

 こんなところに、池などあっただろうか。

 誘われるように《彼女》は辺に立つ。

 いっそ、このまま――。

《彼女》が涙を流すと、落ちた滴の痕が波紋を描き、池が鏡のように銀色に輝く。

 その水面に《彼女》は、《彼》との幸せだった日々を幻視する。

 次にとった行動は、《彼女》にとってはごく自然なことだった。

 《彼女》は、敢然と一歩を踏み出す。


 一月三一日(水)

 わたしは、透明な冬の日差しの下に立っていた。

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