王都へ
シルヴァはきゅっと口の端を結び、レースのカーテン越しに窓の外を見遣った。大きな碧色の瞳には怒りがにじみ、いつもの明るい笑顔はない。
ベリンダの東門にひっそりとつけられた馬車に、手当を施された黄金の王が運び込まれる。まだ意識は戻らず、息は浅く、顔色がひどく悪い。
シルヴァは席を詰め、カインの頭が揺れないように自身の膝に乗せて、しっかりと包み込むように手を添えた。
「なるべくゆっくり走らせますので、王都に着くのは日が暮れてからになるでしょう。門番には早馬で知らせておきます」
どうぞ気を付けてと一礼し、マーカス・ベリンダ卿は扉を閉めた。その隣では疲れ切った表情のカノン・ラック・ウェーザーが目を伏せている。
慎重に動き出す馬車、規則正しい車輪の音は最小限に、まっすぐ伸びる大街道を静かに進んだ。
西の都ベリンダと王都を結ぶ大街道はよく整備され、途中にいくつもの街を中継し、安全に人と物とを運ぶ。
流れる景色、広大な麦畑、美しい建物、賑やかな商店、穏やかに暮らす人々、カインとともに手をつなぎ見物できたならどれほどよかっただろう。シルヴァは一つため息をつき、そっとカインの金髪を撫でた。
瞳を閉じるとまだ浮かぶ、忌まわしい光景。明るくおおらかで親切だと思っていたウェーザー人が、まさかあのような愚行を……シルヴァの心が暗く翳る。
背に受けた刃傷は出血のわりに大したことがなかったが、胸を貫いた矢はひと時ではあるが完全に呼吸を止めた。これではいくら不死の身とはいえ回復は難しいのではと思われたが、精霊たちは偉大で、日付が変わるのを待たずに治癒がはじまった。
今も淡い光がカインの周囲に漂う。少し頬に赤みが差してきたか、先ほどまでより深く息が吸えるようになり、脈も安定している。
しかしながら、この不思議な力のせいで何度も痛めつけられてきたのかと思うと、シルヴァは精霊たちさえも憎くなった。
不意に、馬車が停まった。
前方からは砂煙を上げて向かってくる一団、先頭に近衛隊長旗が掲げられている。彼らはベリンダ卿の馬車をぐるりと取り囲み、数名の騎士たちが物々しい装備で下車した。
勢いよく扉が開き、不機嫌そうに乗り込んできた男がカインを見るなり縄をかけようとする。とっさにシルヴァはカインを抱きしめ、男を睨みつけた。
「……ひどい怪我をしてるんです」
「だから何だ。こいつは不死だ」
「でも、今は動くこともできません」
男は舌打ちし、部下を呼びつけカインを自分の馬車に運ぶように命じた。シルヴァも後に続く。
その間に男……近衛隊長ニコラス・ノイエンは、ベリンダ卿の馭者と何か話し、積み荷を移し替え、作業が完了すると部下たちに護衛を命じてベリンダに向かわせた。
カイン達を乗せたニコラスの馬車のみ進路を変え、来た道を引き返す。
さすがは名門ノイエン家の馬車、ベリンダ卿のものより格段に乗り心地が良い。それでもシルヴァは未だに目覚めないカインを気遣い、心配そうにため息をついた。
「私、ウェーザーのひとを嫌いになりそうです」
ニコラスはふんと鼻を鳴らしただけで、知ったことではないとばかりに目を閉じる。
「なんで……みんな、カイン様を嫌うの? こんなにがんばって、みんなを救おうとしてるのに。自分のことを後回しにして……不死になったのも、みんなを幸せにしたかったからなのに」
「本当にそう思ってるのか?」
低い声には侮蔑の色がにじみ、容赦のない言葉がシルヴァの胸をえぐり猜疑を抱かせようとする。
「こいつは、面倒な国王の役目を弟に押し付け、シラーの姫と政略結婚させたくせに、いざ弟たちが精霊の祝福を受けることになった途端、それを奪って逃げたんだ」
「だって、賢王様やみんなを助けるためでしょう? 全てのひとを幸せにするために、精霊たちと契約したって」
「それは、王家が醜聞を隠すために流布した嘘だ。こいつは、ただ女に会……」
小石を踏んだのか、言葉を遮るようにかたんと車体が大きく跳ねた。
「おっと」
「わあ!」
頭がずり落ちそうになり、カインはシルヴァの太ももにしがみつく。驚き、思わず立ち上がったせいで、結局カインは座席から転がり落ちた。
「わ、わ、ごめんなさい!」
「けが人にひどいな……」
のっそり起き上がり、金髪をかき上げる。身体の具合を確かめるように一つ大きく伸びをして、ふむ、とうなずいた。悪くない。
「いつから気がついてたの?」
「……今だよ」
言って、にやりと笑う。きっと嘘なのだ。シルヴァは顔を赤くして席を詰めた。
「きちんと飯は食ったのか? ずっと腹が鳴ってたぞ」
「鳴ってないもん!」
どれほど心配していたか、ひとの気も知らないで。目覚めていたなら言ってくれればいいものを。
ぷんと頬をふくらませるシルヴァを、愛しそうに見つめる。安心して気が緩んだのか、碧色の大きな瞳から次々と涙があふれた。
「お、おい、どうした?」
カインはおろおろとあわてる。強い魔力と不死の身を持ち、永遠の時を生きるカインにも苦手なものがあった。女の涙だ。とくにシルヴァは泣かせたくない、笑っていてほしいと思うのに、なぜうまくいかないのだろう。
「その、芝居だったんだよ。足元を狙うはずだったんだ。緊張したのかね。落とせば皆の不安を煽るし、避ければ誰に当たるかわからんし……その、俺なら、大丈夫だから……」
「でも、痛かったでしょ?」
小さく穴のあいたシャツの胸元に触れる。ちらりと覗く肌は何事もなかったように滑らかに、いや、かすかに赤みを帯びているか、伝わる鼓動が速い。
「ん、ま、まあ、痛みは感じる。だが、死の恐怖がないからね。動けなくなるのが煩わしいだけで……」
「私、カイン様が傷つくの、見たくないよ」
「ん……すまん」
ああ、俺のために愛しいひとが胸を痛めている。その痛みをどうして引き受けよう。
「その……ウェーザーの民を嫌わないでおくれ」
「だったら、もう、あんな無茶なことはやめて。カイン様も自分を大切にして」
「う……む……」
シルヴァは念押すようにじっと瞳の奥を覗き込んだ。くちびるが触れそうな距離。息ができない。
まったく、見せつけてくれるとニコラス・ノイエンは舌打ちした。わざとらしく咳払いすると、二人はあわてて身を離す。まるでニコラスの存在など忘れていたように。
「や、やあ、ニコ。ひさしぶりだな。ずいぶん大きくなって」
「前に会ったのはフラン様の戴冠式ですがね。ぼけましたか」
「はは、俺からすれば、おまえなんていつまでも子供だよ」
厭味を言ったつもりが、にこにこと笑うカインにうんざりと眉をひそめた。
「ニコはね、俺の親友の血を引いているんだ。口の悪いところがよく似ていてね。懐かしいな」
ちょうど夢に見たところだ。面影のある彼に会えたのは嬉しい。たとえ憎まれ口を叩かれても。
カインの気持ちなど迷惑でしかないニコラスは、苛立たしげに窓の外を見た。
「もうすぐコルトにつく。そこで馬を替えて一気に王都まで走らせるが、姫さんは休憩がてら食事でもしてくるか?」
「姫さん……って、私?」
「他に誰がいるんだ」
「えっと……」
たしかにこの場にいる女性は自分だけだが。もしかして、誰かと間違えているのだろうか。シルヴァが困っていると、カインは懐を探って金貨を一枚取り出し、ニコラスに握らせた。
「女が知らない街を一人で歩くのは危険だろう。ニコ、おまえ、何か買ってきてやってくれ」
「は、俺が? なぜ?」
「ああ、釣りはやるよ。ほしいものがあるなら買っておいで」
その綺麗な顔に投げ返してやりたいのをぐっと堪え、扉がはずれそうなほど勢いよく閉め、ニコラスは怒りにうち震えながら市街へと消えていった。
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