災厄の王

 季節外れの雷鳴に驚き飛び起きた人々は、窓の外を見回し、あるいは表に出て首をかしげた。ひどい雨が来るのかと思えばそうでもなく、むしろ星たちは静かに瞬いている。ベッドに入る前と何も変わりはしない。

 まったくおかしなこともあるものだと近所同士で互いに顔を見合わせ、子供部屋を覗いて泣き出した幼子をあやし、軽く呑んでもう一度ベッドに戻ろうとした時だった。

 足元が大きく揺らぎ、続いて体が沈み込むような、いや、突き上げられるような衝撃に襲われる。悲鳴は轟音にかき消され、逃げようにも足がすくみ、ただ母親は我が子を、夫は妻を護るように抱きしめることしかできなかった。

 夜半にウェーザー西部ベリンダ地方に発生した地震は、有史以来数えるほどの大規模なものとなった。

 しかしながら一人も死者が出なかったのは、おそらく直前の落雷で人々が目を覚まし、警戒していたからだろう。それでも家屋の倒壊、重軽傷者多数と被害は甚大だ。

 変わり果てた街並みをバルコニーから見下ろし、領主マーカス・ベリンダ卿とその妻であり現国王の姉であるカノン・ラック・ウェーザーはぐっと拳を握りしめた。

「申し上げます。地震の中心はベリンダ北部、北の聖堂が倒壊した模様です」

「すぐにご友人の救助に向かいます。どうかご許可を」

 忠実な部下たちは応えない二人を訝る。彼らは知らないのだ。カノンの客人として北の聖堂に通されたのが、伝説の黄金の王であると。災厄をもたらすと忌み嫌われる、不吉の王であると。

「……やはり」

 街に入れるべきではなかった。

 これはあの美しい青年が引き起こしたのではないと、頭では理解している。偶然、なのだ。

 だが、時期が悪かった。

 まもなく春の訪れを祝う花祭りで人々は大地に感謝し、精霊たちから祝福を受けるはずだった。それなのに彼らは怒り、悲しみ、絶望し、精霊を恨みさえする。

 柔和な性格のベリンダ卿でさえ、やり場のない怒りにくちびるを噛んだ。

 軍務を司るカノンは低い声で命じる。

「……特防隊を呼べ」

「は……?」

「早くしろ。その他の隊は引き続き市街の救援にあたれ」

 彼らは聞き慣れない言葉に耳を疑った。

 特別防衛隊。特殊な能力を持つ者たちから成り、有事の際に編成される。近年では存在は噂程度で、実際に召集されることなどあり得ない。

 戸惑う部下たちをカノンの鋭い眼光が恫喝し、彼らは青ざめ上官への報告を急いだ。

 ほどなく、黒装束を纏った特防隊員たちがカノンの背後に整列した。大弓を引く者、異形の剣を操る者、魔法に詳しい者、その他公言できぬ秘技を持つ者など。その選ばれた者たちでさえ、ただならぬ事態に緊張の汗を浮かべている。

「北の聖堂に黄金の王がいる。捕らえるぞ」

 こみ上げる感情を押し殺し、カノンは冷ややかに言い捨て部屋を出た。

 混乱する市街地とは打って変わって、北の聖堂の周辺は不気味な静寂に包まれている。

 カノンたちは聖堂の前に立ち、息を呑んだ。

 何百年もの昔にシラーより建築技師を招いて建てられた聖堂は、これまで幾多の災害にもびくともしなかった。それが今、瓦礫の山となり見る影もない。

「これでは、さすがの黄金の王も……」

 誰もがそう思った瞬間、瓦礫の一角がかすかに音を立てた。

「おさがりください」

 特防隊の一人がカノンの前に立ち、手を合わせる。続いてどんと地を踏み鳴らすと、たちまち眼前に巨大な岩壁が現れた。

 その直後に、聖堂の内部より生じた竜巻が天を貫く。猛烈な風は無差別に大小の瓦礫を吹き飛ばし、もしも岩の防壁がなければカノン達に直撃していただろう。

 すべてを薙ぎ払い、無に帰し、ようやく風が鎮まると、その聖堂のあった場所に男がうずくまっていた。血と埃で汚れた衣服、顔や腕には無数の傷、見上げた金色の瞳は憔悴しきっているのに、月明かりを受けた長い金髪だけが美しく輝く。

「……カノン……すまない」

 カノンと特防隊の姿を認め、カインは瞳を伏せて歯を食いしばった。

 言いようのない感情が渦を巻く。カノンはつかつかと歩み寄り、胸ぐらを掴んで拳を振り上げた。が、その拳は動かない。

 カインの腕の中で小柄な少女が、きっと睨みつけているのだ。

「シルヴァさん、こちらへ」

「いやです」

 シルヴァは動く方の手で、カインの頭を抱きしめた。

 カノンの後ろに控える黒い兵士の剣先が、自分たち、いや、カインに向けられている。離れれば、きっとひどい仕打ちを受けるのだろう。彼は何も悪くないと、視線で訴えた。

「……俺は大丈夫だから。カノンに腕を治してもらっておいで」

 カインは優しく黒髪を撫でて言い聞かせる。

「カイン様は? カイン様も、怪我してるでしょ?」

「これくらい、なんともないね。さあ、俺はやることがあるんだ。カノン、シルヴァを頼むぞ」

 半ば強引にシルヴァを預け、立ち上がった。そしてそっとカノンの頬に触れ、瞳を閉じる。指先からこぼれる光の粒がカノンを包み、やがて吸い込まれるようにして消えた。

「すまんね。脱出するのにかなり使ってしまった。もう、これだけしか残っていない」

 あれほどの竜巻を起こしながら、まだ力が残っている方が驚きだ。カノンは受け取った力でシルヴァの治療を試みた。

 安心し、カインは特防隊を連れて市街地へ向う。

「……待って、カイン様」

 シルヴァは薬師であり、少しばかり医術の心得がある。走り出したカインが二度ほど咳き込んだのを見逃さなかった。シャツの背ににじむ血が、いまだに乾いていないことも。

「待って……待って! カイン様の方が、ひどい怪我してる!」

 落ちた照明具の破片か、折れた梁の先か、あれは肺に達しているのではないか。そんな大怪我をしていながら動くなど無茶にもほどがある。

「カイン様は、不死身ですから。さあ、シルヴァさん」

 カノンはシルヴァの腕をしっかりと握り、魔法に込める力を強めた。しかしシルヴァはその手を振りほどき、無理に笑って見せる。その瞳の奥には、隠しきれないほどの怒りを宿して。

「私は薬師ですから、自分で治せます。その回復の魔法は、街のひと達にかけてあげてください」

 風に乗って聞こえてくる喧騒、火災が発生しているのか、立ち込める煙が夜空を曇らせている。

 シルヴァはシャツの袖を裂き、手頃な木切れを拾って折れた腕に添えた。怪我の具合はかなりひどく、果たして元どおりに治せるかどうか。カインのおかげで痛みは感じないが、それはそれで危険であるように思えた。

 だが、今は動けることがありがたい。

「私、カイン様のお手伝いをしてきます」

「いけません! 今行っては……!」

 カノンの忠告は届かず、シルヴァはカインを追って駆け出した。


 はるか五百年前、賢王アレンによって築かれた平和の象徴である西の都ベリンダ。ウェーザーとシラーの文化が混ざり合い、独特の美しさを誇る街が、一夜にして崩壊するとは……無残な様に目をそむけたくなる。

 花祭りのために飾られたやぐら、周辺に並ぶ露店は倒れ、大通りの石畳はひび割れて浮き上がり、気を付けなければ頑丈な革のブーツでも足の裏を切りそうだ。

 助けを求めるひと、親とはぐれて泣き叫ぶ子供、誰から助ければいいのかわからない。シルヴァは耳をふさぎ、目を閉じて走った。

「たしか、この辺りだったはず……」

 昼間見た街並みはすでになく、ただ勘を頼りに通りを進む。

「あった!」

 カインと旧知の雑貨屋タルコット・ローランの店は、幸いなことに窓が数枚割れた程度で倒壊を免れていた。

「ローランさん、無事ですか!」

 突然駆け込んできた少女に驚き、よく太った初老の男はあわや階段を踏みはずしそうになる。あわてて手すりにしがみつき、ずり落ちた眼鏡を戻した。

「シルヴァ様? なぜ、こちらに?」

「カイン様を探してるんです。カイン様、来ませんでしたか?」

「いいえ。まだ、ベリンダにいらっしゃったので……」

 言いかけて、口をつぐむ。

 シルヴァから笑みが消え、怒りと悲しみに揺れる碧眼がローランを見据えた。

「ローランさんも、カイン様のせいだと思ってるんですか?」

「い、いえいえ、そんなことは……」

 否定はするが、目を合わせようとしない。仕方ない。彼らウェーザー人にとって、黄金の王の伝説は子守唄のようなものなのだ。生まれた時から聞かされ、刻み込まれた畏怖と嫌悪は、どれほど懇意にしようとも消えることはない。

 シルヴァはため息をつき、店内を見回した。

 避難してきた街人と、その世話をする女中たちでごった返している。そこに金髪の美青年はもちろんいない。

「困ったな。どこに行っちゃったんだろう」

 見知らぬ街、探そうにも他に心当たりがなかった。

「あ、あの、シルヴァ様、怪我をなさって……あわわ、なんとひどい怪我!」

「え? あ、そうだった」

 言われて思い出し、自分の左腕を見て気を失いそうになる。やはり痛みを感じないのは危険だった。無理に動かしてしまったせいで、傷が広がっている。

 ローランは急いでシルヴァを座らせ、店の棚から薬箱を取り出した。

「なんともないのですか?」

「カイン様が、痛みを引き受けてくれてるんです」

 きっと今頃、苦痛が増しているだろう。申し訳ない。

 ローランは傷口を丁寧に洗い、たっぷり消毒薬を振りかけ、特製の傷薬を塗り込み、清潔な包帯できつめに固定する。なかなか手際がいい。

「カイン様が、よく怪我をなさるので」

 そういえば、薄暗い森の中で見つけた時にも、腕に切り傷があった。そこから入った毒にやられて昏睡していたのだ。

 あの憎いまじない師の少年が空から落下した時には、躊躇いなく腕を伸ばして抱き留めた。下手をすれば、折れていただろう。

 そして今、シルヴァを守りひどい怪我を負っているにもかかわらず、シルヴァの痛みを引き受けている。

「なぜカイン様は、自分を大切にしないんだろう」

 人々の幸福ばかり願い、そのために不幸を背負うことを苦としない。自身の幸福を望まないことが、悲しかった。

 日付はとっくに変わっている。精霊との契約により、元の美しい姿に戻っていた。目立つ長い金髪のままでは、街のひとから追い立てられはしないだろうか。

「ささ、シルヴァ様。どうぞ、奥でゆっくりおやすみください。温かい飲み物をお持ちしますよ」

「あは。ありがとうございます。でも、私、カイン様を探しにいきます」

「しかし……」

「お手伝いできなくてごめんなさい」

 不安な夜を過ごす人々、疲れきった女中たち、片手でも茶を煎れることや幼子をあやすことくらいはできる。だが、シルヴァが一番救いたいひとは他にいた。

 いつしか空は白みはじめ、被害の実態が明らかになる。それに伴い救助活動も本格的になり、住人と警備兵、そしてカノンの救援隊が協力して瓦礫を掘り起こし、家屋の下敷きになった者を助け出し、医者のもとへ搬送した。

 ふと、彼らが手を止め、一点を指差し何かを叫ぶ。

「黄金の王だ!」

「災厄の王がいる!」

 シルヴァは彼らが示す方を仰いだ。

 半壊した建物の屋根に立ち、王家の紋章の入ったマントと美しい金髪をなびかせるのは紛れもない、黄金の王カインだった。

「カイン様!」

 立ち尽くす人々をかき分け、シルヴァはカインのもとへと近寄ろうとする。それをかすかにほほ笑み、来るなと合図した。

 よく見ると、カインを囲むようにして黒い装束の兵士たちがそれぞれの武器を構えている。大弓、異形の剣、妖しい光を放つ魔法陣……カノンの特防隊だ。

「カイン様? ね、何してるの? 早く手当を……」

 シルヴァの顔が青ざめる。

 誰かが、路上から石を投げた。

「不吉の王め!」

「おまえのせいで!」

「出ていけ!」

「街から出ていけ!」

 怒り、悲しみ、憎しみ、全てが一身に向けられる。それは狂気にさえ思えた。

「やめて、みんな、わかってるでしょ? 誰のせいでもない、自然の力なんだって、カイン様のせいじゃないって!」

 しかし、小柄な少女の叫びなどすでに届くはずもなく、怒号が渦巻き投石は雨のごとく。いくつかが命中し、あの優しいひとを傷付ける。

「やめて! やめて! やめて!」

「落ち着いて、シルヴァさん」

 追いついたカノンがシルヴァを制止する。

「お願い、カノン様! みんなを止めて! こんなこと、やめさせて!」

 シルヴァの懇願むなしく、カノンは首を振る。

「これは、厄払いの儀式なのです」

「厄払い……? 儀式……?」

 では罪なき者に罪を着せ、悪の権化に仕立て上げ、皆でうち滅ぼそうと言うのか。

「そんなことを、五百年も……」

「ええ。そのために、不死になられたのですから」

 シルヴァはきゅっとくちびるを噛み、瞳に力を込める。そして中空に右手を滑らせ弧を描いた。

「およしなさい。国事を妨害した罪で逮捕しますよ」

 カノンは描きかけの魔法陣をいともたやすく描き変え、無効化する。腕を捻り上げられ、シルヴァはとうとう泣き出した。

「おかしいよ……こんなの……誰かを犠牲にして得る幸福なんて……」

「……」

「不死だって痛いものは痛いし、苦しいものは苦しいんです。カイン様は、生きてるんです!」

 一瞬、シルヴァを捕らえる手が緩む。

 気付いていないわけではなかった。気付かないふりをして、不死身なのだから許されると言い聞かせて、民衆の不平不満が王家に向かないように仕組んでいたのだ。

「カノン! 迷うな!」

 頭上から怒鳴りつけたのは、他でもないカインそのひとだった。

「く……ウェーザーの十二の精霊の御名において、国と民に害なす邪悪の王に裁きの剣を!」

 号令とともに魔法陣がカインを縛り、強弓がしなり、白刃がきらめく。

 明けゆく空に少女の悲鳴は吸い込まれ、まるで祈るように黄金の王はゆっくりと膝をついた。

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