Episode26 ようこそ、地獄へ
荒れた路地を慎重に進む私に、エクレールは静かに聞いた。
「あなた達は、何を目的に旅をしてるの?」
その問いに私は言葉に詰まった。
馬鹿正直に「この夢の謎を解こうとしている」などと言えない。
言えば変人扱いか、精神を病んでいると思われる。
この場にジャヌが居ない事に、心底感謝した。
ジャヌが居れば、エクレールの問いに間髪入れず即座に答えるだろう。
「この世界はこいつの夢だ」と。
アルバノスと目が合うが、何も言わずに視線を逸らした。
それを見過ごす事なくエクレールは更に噛み付いてきた。
「人には言えない? ただの旅ってわけじゃなさそうね。 ……気になるわ」
気にしなくともよい。 人には様々な事情があるものだ。
それにわざわざ首を突っ込んで聞く事でもないだろう。
エクレールは少々質問が多い。 知りたがりが悪いわけではないが、知らない方が良い事もある。
エクレールの質問を適当に受け流し、私達は路地を抜けた。
イデリア地区とはまるで別世界。
暴動が起きた後のようにほとんどの建物は廃墟同然、ゴミが散乱している通りには現実で見るよりも一回り大きいネズミが這い回っている。
このような劣悪な環境で暮らしている者が居ることが信じられない。
誰も見当たらない現状では、危険は感じない。
このような環境に慣れたように、アルバノスは辺りの廃屋を見て回る。
それをエクレールは心配そうに固唾を呑んで見守った。
「あるのはガラクタだけだ」
「何を探してるのよ?」
「……手掛かりだ」
アルバノスは眉間にしわを寄せ呆れたように呟いた。
アルバノスもエクレールの質問の多さに少々疲れている様子だ。
その時だった。
前方の崩れかけた建物の中に、人影らしきものが動いたのが見えた。
「見たか?」
アルバノスは頷きながら私の横に立ち、建物を凝視した。
しかし、何分経っても再びそれを確認する事は出来なかった。
この状況にしびれを切らしたのか、エクレールは私を押しのけ力強く歩き出した。
何を考えているのだ。
いつどこから奇襲されてもおかしくない状況での無謀な行動に、アルバノスはすかさずエクレールの肩を掴んだ。
「何を考えている……! 自殺行為だぞ!」
「じゃあどうしろって言うの?」
アルバノスの腕を振りほどき、威圧的な目つきを見せた。
その力強い眼力に圧倒され、反論する言葉が出てこないアルバノスは、母親に叱られる子供のようだ。
男勝りなのではない。女として、真の強さを持っているエクレールを、心の中で賞賛した。
「エクレール、その辺でいいだろ。 アルバノスは心配して……」
「ちょっと、あれ見て」
よほど人の話を遮るのが好きらしい。
それが趣味なのではないかと思うほどだ。
心の中でこれでもかと大きなため息をつき、エクレールの指差す方へと顔を向けた。
「ただの煙じゃないか」
エクレールの威圧感が私の背後からも読み取れる。
言葉を誤ったか。
「煙が上がってるってことは、あそこに何かがあるのよ」
「それくらい……いや、行ってみよう」
後ろで不満そうにしているアルバノスを呼び、エクレールの後に続いた。
「エクレールは苦手だ」
「……俺もだ」
肩を落とし、力無く言うアルバノスと同じ意見だ。
決して悪い人間ではないが、いささか言葉が過ぎる。
ペースを乱される事に慣れていない私にとって、それはストレスになった。
やがて私達は煙を発する主に辿り着いた。
逆十字型の大きな磔柱に人が括り付けられ燃やされている。
その光景を見たエクレールはその場に倒れこみ口を押さえ込む。
なんと悲惨な光景だろうか。酷すぎる。
死んでから焼かれたのか、行きながら焼かれたのかは不明だがどちらにせよ惨すぎる。
「また美味そうなのが迷い込んだのか!」
その声は耳障りなほど高く、人を不愉快にさせる。
奇声にも似た声を持つ男は、続けざまに言った。
「肉は新鮮なほど美味い! それが焼きあがるまで大人しく待っていてくれ!」
男は焼かれる人を指差しながら笑いを含み大声で叫ぶ。
エクレールは我慢ならず遂に胃にあるものを地面に吐き出した。
人を食うなど正気の沙汰ではない。
死の地区……名ばかりではないようだ。
鬼の形相をしたアルバノスが猪の如く男に向かい突進するが、周囲から湧き出てきた者たちに囲まれてしまう。
彼等は銃火器のようなものを手にしており、抵抗の余地がなかった。
息を荒くしたまま、アルバノスは彼等に怒声を浴びせた。
「クレデリアとカトリーネはどこだ!」
「あん? 美味そうな名前だ!」
ふざけた奴だ。
完全に頭のネジが外れている。
「ふざけるのも大概にしろ! お前のような……っ!」
アルバノスは膝に重い一撃を与えられ、その場に倒れ込んだ。
「兄貴に敬意を払え」
取り巻きの一人、華奢な体の男が堂々とした態度でアルバノスを見下ろす。
敵を見上げる事など無かったアルバノスは、プライドを傷付けられ、怒りに震えた。
獅子が再び顔を見せるのも時間の問題だ。
「兄だと? あれが貴様の兄だと言うのか。 愚かな兄だ!」
「俺達の兄貴だ」
男の言葉に感極まった兄貴は、けたたましく叫んだ。
「ジーク! お前は俺の誇りだ! そう、俺はお前達の兄貴!」
その言葉に、周囲の者達は一斉に声を合わせ、狂ったように叫び始めた。
「サナラ! サナラ・デル・ドレ! サナラ! サナラ・デル・ドレ!」
カルト集団なのか。皆、狂っている。
リゲイリアが死の地区と呼ばれるのは、これが所以か。
リーダーである、サナラを崇める者達は、顔を赤くし、必死に叫ぶ。
「ジーク! お前は俺の最も身近なシティアだ! こいつらはお前が料理してみせろ!」
「兄貴の為なら」
どうやら、取り巻きの事を総称してシティアと呼ぶらしい。
そして、シティア達はサナラの為なら何でもする……死ぬ事さえ厭わないのだろう。
カルト集団と言うのは非常に厄介な存在だ。
表面上だけではなく、心、深層心理に至るまで洗脳され、自我を失い忠誠を誓うのだ。
人は脆く、弱いものだ。
「立て。 早く!」
カルトの言う事など聞いてたまるものか。
断固として無視を続けていると、ジークが乱暴に私の腕を掴んだ。
「後悔するぞ」
私は一言、ジークに言った。
その言葉に深い意味はない。とっさに出た一言だった。
後悔させるどころか、私が後悔することになるかもしれない。
「俺に逆らうことは、兄貴に逆らうのと同じだ。 早く歩け」
「一つだけ、教えてくれないか? 俺を焼き殺す前に」
ジークはサナラを一瞥し、どうしたものか少し考えているようだ。
彼の挙動からして、まだ自分の意思は残っているだろう。
「女が三人、来なかったか?」
「……知らない。 無駄口を叩くな」
周りを気にしながら、口を小さく動かしジークは言ったが、それをサナラは見逃さなかった。
「ジーク。 俺に隠れて内緒話か?」
「とんでもない、兄貴」
強引に身体を引っ張られ、地獄の業火の如く燃え盛る大きな炎へ連れていかれた。
炎の中にいる者を間近で見て、私の心は激しく乱れた。
「生きたまま、やったのか」
「悲鳴は、料理の味をより一層引き立てる」
「……お前等は悪魔だ」
「悪魔? 俺達は何より崇高な行いをしてる」
「人を食べる事が、崇高だと?」
「力を得る為だ」
私に続き、アルバノスも炎の前に立たされた。
しかし、エクレールだけは別の所に連れていかれた。
「彼女をどうする気だ」
私達のやり取りを見かねたサナラが、遠くから叫びながらこちらへ近づいてきた。
「俺の言ったことが理解できなかったのかジーク。 俺は腹ペコだ!」
「兄貴。 今からやるところだ」
サナラに怯えを抱いている様子で、ジークは頷いた。
「お前達! 新たな力を得る時だ!」
「やめろぉ!」
サナラの言葉に続き、ジークは私を炎の中へ蹴り入れた。
アルバノスの声がリゲイリア全体に響き渡る。
全身の毛が瞬く間に焼け、次第に皮膚が爛れ、血を含んだ真っ赤な肉が剥き出しになる。
熱さや痛みでは表現しきれない、いっそ死んでしまった方が楽だと思うほどの苦しみが肉体と精神を襲う。
赤々と煮えたぎる溶岩の中で永遠の拷問を受けているようだ。
「マレウス! マレウス! 貴様ら後悔させてやるぞ!」
アルバノスの怒声が、炎の壁を貫き私の耳へ入ってくる。
夢の世界で、私は死ぬのだ。あと数分で、命も、この世界も、現実も、消えて無くなる。
身体が苦痛に耐えきれず自然と暴れ出すが、頭は冷静でいられた。
これも夢の中で起きている事だからだろうか。……現実ではない事に感謝だ。
カトリーネ、アルバノス、クレデリア、エクレール……そしてジャヌ。
私はここで終わりのようだ。また何処かで会える事を、心から願っている。
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