放課後対話篇

雪世 明楽

馬の騙し絵と少女の郷愁

第1話 突然の呼び出し

 学校の教室は青い自意識がひしめき合う小さな箱庭だ。


 そこでは、いくつもの未成熟な心たちがお互いの個性をぶつけあって小さな社会を作りあげる。


 そんなどこにでもあるありふれた世界の片隅で僕は彼女と出会った。


 彼女は周囲に対して鋭敏な観察力を持ちながらも、どこか気まぐれでマイペースな少女だった。対して僕は目立つのは苦手なのに歪みや間違いを見るとつい首を突っ込んでしまう性分の人間だ。


 対照的ともいえる僕と彼女は、偶然か必然か惹かれあい同じ時間を共有するようになる。


 この話は僕と彼女が交わし合った会話の断片集。


 放課後の対話篇である。

 





 校舎の窓の外にソメイヨシノが並んでいるのが見える。もっとも既に四月も下旬なので、咲き誇っていた花はほとんど散って葉桜になっていた。


 もし飛行機にでも乗って上空からこの場所を見下ろしたのなら、本校舎とそれに連なるように立てられた三つほどの建物、そしてそれらを取り囲む山林が見えるはずだ。


 ここ、天道館高校は都内でも比較的自然が多い地域にある私立高校である。校門の前には国道と都内の鉄道駅まで運航しているバスの停留所があるが、都心からは少しばかり通うのに時間がかかる。


 僕、月ノ下真守つきのしたまもるはこの天道館高校の二年生だ。


 その日の放課後は掃除当番で美術室を清掃することになっていたので、本校舎の階段を下りて実習棟へ続く渡り廊下へ向かう所だった。


 しかし僕が本校舎の一階まで降りたところで、頭の上から声がかけられる。


「よお、真守」


 立っていたのは友人の雲仙明彦うんぜんあきひこだった。少しやせていて背が高く、若干軽薄そうな人なつこい面長な顔。髪はゆるい天然パーマがかかっている。


 僕とはタイプの違う人間だが、帰り道が同じ方向なので自然と話すようになり今ではそれなりに親しい間柄だ。


「明彦か。……教室で見かけなかったからどこに行ったのかと思ったよ。僕だけで掃除をする羽目になるのかと思ったね」

「いや、その事についてなんだけどな」


 彼は面倒なことになったと言いたげに顔をしかめながら口を開く。


「良い知らせと悪い知らせがあるんだが、どちらから聞きたい?」


 この男は時々こういう大仰な言い回しをすることがある。映画を鑑賞するのが趣味らしいので影響を受けているのだろう。


 僕は彼に合わせるように片目を閉じて肩をすくめるというオーバーなリアクションを取りながら答える。


「良い知らせから聞こうか?」

「美術室の掃除当番についてだが、今日はやらなくても良くなった」

「悪い知らせは?」

「生活指導の飯田橋が俺たちを呼び出している。掃除当番はやらなくていいというのはそのためだ」


 飯田橋いいだばし先生は体育を担当するうちの学校の教師だが生活指導も兼任している。白髪が混じった髪を刈り上げていて、いかつい顔をしている。白髪が混じった髪を刈り上げていて、ジャージ姿のいかつい顔をしている中年男性だ。


 人間的には悪い先生ではないと思うのだが、持ち物検査で私物を没収された者もいるし煙たがっている生徒も多い。


 僕は呆れた顔で彼を見上げる。


「明彦、今度は何をやらかしたんだ?」

「何で俺がいきなり犯人扱いなんだ? 失敬な奴め。清く正しく品行方正に生きているこの俺をつかまえて」

「……清く正しい人間は先生の靴に唐辛子を仕込んだりしないんだよ」


 呼び捨てにしていることからもわかるとおり明彦も飯田橋先生に反感を持っている。


 彼は以前、持ち物検査の時に学校に持ってきた漫画を飯田橋先生に没収されたことがあったのだが、その時の仕返しとして先生の靴に唐辛子の粉末を仕込んだのだ。


 当然の帰結として、飯田橋先生の足は炎症を起こし保健室に駆け込むことになった。


 しかし他の教師に教員用の下駄箱にいるところを目撃されていたために、その後あえなくばれてしまい、明彦は結局さらに説教をされてしまった。


 明彦は「はん」と鼻を鳴らしながらも、僕に反論する。


「俺だけじゃなくお前も呼び出されているんだぜ? つまりお前に俺が巻き込まれたという可能性だってあるだろ?」

「僕が何をしたっていうんだ」


 僕は基本的にトラブルを避ける平和主義的な人間である。教師への反骨心には縁が薄い人生を送ってきたはずだ。


「あーあ。これだよ。言った本人が忘れてやがる。前に飯田橋が『健全なる精神は健全なる肉体に宿る』とかなんとか言った時に、お前が『だから先生は太っ腹なんですね』とか呟いたもんだから聞いていたクラスの連中が何人か笑いだしちまったことがあったろうが」


 そう言えばそんなことがあった気がする。


「いやいや、僕としては豪放磊落な先生の生きざまを称賛したつもりだったんだ」

「皮肉にしか聞こえねえよ。何にせよ、あいつが俺たちを敵視しているのは間違いない」

「そこは複数形にしないでほしいんだけどな」

「お前がそう思っていても向こうはそう思ってないんだよ。……それじゃ行くぞ」


 明彦は一階の廊下まで降りてくると職員室の方へ歩き始める。僕もため息をつきながら彼の背中を追うのだった。

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