まちあわせ
私と彼女が実は待ち合わせをしていて会えていたのだとわかったのは、なんてない休日だった。
その日、私と彼女は会う約束をしていて、彼女の一人暮らしのアパートの部屋で映画を三本見た。
一つは男性同士のラブストーリーの洋画で、一つは大ヒットしたアニメ映画。最後に映画をテーマにした映画だった。
彼女の狭いワンルームの部屋、小さいテレビに流れる映像を隣り合って二人で眺める。
テレビと私たちの間にある縦長のローテーブルの上には大袋のポップコーンとペットボトルに入ったオレンジジュースがある。ポップコーンは私ばかりが食べており彼女は時々コップに注いだオレンジジュースを飲んでいた。
彼女は映画を見ながら話をしない。私はそれを知っているから無闇に話しかけない。私はあまり集中力がないから映画の途中でもスマホをいじってしまったり、眠ってしまったりした。けど、彼女はそんなことを気にしない。私がちらっと視線を横に向ければ彼女はまっすぐ画面を見つめていた。
DVDを変える合間に短い会話をする。
「ポップコーン食べちゃっていい?」
「いいよ」
「これ面白かったね」
「ヒットしただけあるよね」
カーテンを閉めた薄暗い部屋で見ていたが、カーテンの隙間から漏れた光は全ての映画を見終えるころにはなくなって、部屋は真っ暗になっていた。
三本目のエンドロールまで見終わった彼女は「はあ」と深くため息をついて満足気だった。
「面白かった?」
私が部屋の電気をつけながら聞けは彼女は大きく頷いて「面白かった」と言った。
「よかった」
私は最後、ほぼ寝てしまったけれど彼女は満喫できたようだった。
「…あんまり面白くなかった?」
こちらの様子を伺うように彼女は尋ねた。
「う〜ん、2本目のアニメ映画は面白かったけど他はよくわかんなかった」
正直に言えば彼女はそっか、と呟く。
「けど、ダラダラできたからよかった」
そのまま私は家に帰る準備をする。
「また来月やろうね」
私が誘えば彼女は嬉しそうに笑った。
自分の家に帰るには電車に乗る必要があった。送ってくれるという彼女と一緒に隣り合って最寄駅までの15分の道を歩く。
映画の感想でも聞こうかと思っていれば彼女が口を開く。
「日本は銃の所持が禁止されててよかったよね」
唐突な話題に私が「なんで?」と返せば、「実は、」と彼女は話す。
「実は、自殺しようとして失敗したことがあるんだけど、さっきの映画で銃が自殺した人を見て、銃がなくてよかったなって思った。銃だったら絶対死んでたし、この映画を見ることもなかったんだろうなって思ったら、死ななくてよかったなと思えた」
一息で伝えられた言葉は一世一代の告白で、揺らいだ声から彼女がふと言ったわけじゃなく決意を持って私に伝えたのだとわかった。
私は彼女の言葉を受け止めて、一呼吸置いてから返答をする。
「いつ、失敗したの?」
「高校生の時」
「どうやって死のうとしたの?」
「手首を切って」
歩くスピードはそのままで、まるでなんともないような内容を話すかのように会話をする。
私は彼女の手首から血が溢れる場面を想像しながら、どこで切ったんだろう、一般的ならお風呂場だよな。なんて考える。
「痛くなかった?」
「めちゃめちゃ痛かった。けど、浅かったせいで死ねるほどの血が出なくて、気絶もできなかった。馬鹿みたいだったよ、もう一回切るとこもできなくてただただ眺めてるの。お風呂に水だってうっすらしか赤くなんないの。イヤホンをして音楽を聴きながら切ったんだけど、一枚のアルバムで一時間ぐらいあるのに、時間がかかりすぎて一周しちゃった。結局は、親に見つかって、失敗って感じだった」
軽い口調で彼女は前を見据えたまま告げた。
「言いたくなっちゃった」
あははと、彼女は好きな人が出来たことを告げたかのように軽く笑う。
「私も、あったよ」
彼女が見せてくれた内側の柔らかい部分を私は同じように見せたかった。私も彼女に告げいなかったら自分のことを話す。
「あの時だよ。会社で私が泣いた時」
●
私は大学を卒業し新卒である企業に入社した。彼女と私は同期で同じ部署に配属されていたが、私は要領があまりよくなく周りからの評価が低かった。それを意識すればするほどもっと私は失敗した。私は一人先輩に目をつけられてしまう。先輩は私の一挙一動に目を光らせ注意をする。それは終わることがなく、会社に行くのが辛くなる。今日はどんな失敗をして、どんな醜態をさらしてしまうのか、私は毎日怯えていた。体はどんどん重くなり、頭は回らなくなる。そうすれば余計に私は失敗を重ねてしまう。
ついに私のなかの糸が切れてしまった。
注意なんて日常茶飯事だからいつものように「申し訳ありません」と言って頭を下げればいいだけだったのに。
泣きたくなんかないのに、先輩の声に涙が止まらない。周りの人もこちらをチラチラと見ている。恥ずかしい、情けない、悔しいは混ざり合う。けど逃げ出すこともできず私はそのまま机に座って仕事を進めた。
午前の業務が終わり、お昼休みになれば私はフラフラと部署のフロアから出ていく。
ビルの12階、外にある非常階段の踊り場まで出ていけば私はそこから身を投げ出して命を落ちようとした。
先輩のせいじゃない。自分が嫌になったのだ。生きていて感じていた自分の価値の無さ、意味のなさがついに形になって現れた。私はもう無理だ、こんな自分で生きていかなきゃいけないなんて。
生きていたってしょうがない。
そう思って手すりを強く掴む。体に力を入れて柵を乗り越えようとしたのに、後ろから人の気配がした。
振り返ればそこに彼女は立っていた。
あまり話したことのない彼女はまっすぐ私を見つめていた。私はぐずぐすの鼻水で何も言えず彼女を視線を受け止めるだけだった。
数秒の硬直ののち、彼女は口を開いて何かを言おうとした。なんだろうと待っていれば口を閉じられる。彼女はしばらく黙ったのちにこう告げた。
「パフェ、食べに行かない?」
慰めや心配ではなく、それは誘いだった。
「パフェ?」
ぐずぐすの鼻声の間抜けな声で返答すれば彼女は頷いた。
「うん、これから」
「これから?」
●
「非常階段から飛び降りようとしてたんだよね。そしたらパフェ食べ行こって言われてそのまま会社から抜け出すなんて思わなかった」
私も彼女の真似をしてなんてないことのように告げる。
「そうだったの?!」
彼女は驚いたようで大きな声を上げた。
「うん、あと1分遅かったら私落ちてたよ、たぶん」
「だって、我慢できなかったんだよ、あんまりにもこと言ってたよあいつ。だから気になって追いかけて慰めようとしたんだよね」
「あはは、あの後パフェ食べながら泣いてる私にずっと悪口言ってくれたよね」
「ずっとおかしいなって思ってたから。最初は別にパフェ行こなんて言おうと思ってなかったよ。けどなんとなく、うーんなんだろう。えっと…、凡庸な言葉じゃダメだと思ったんだよね」
「凡庸?」
「今、映画みたいだなって。だから大丈夫?とか大変だったねとか言いたくなかったんだよね」
「だからパフェ行こって言ったの?」
「うん」
彼女の返事に私は声を上げて笑った。それに彼女は驚いたようで「なんでそんなに笑うの?」と言っている。
「だって、救われたからさ。あの後、結局会社は辞めちゃったけど、あのパフェ行こがなかったら辞めた後もずっと引きずってたと思う」
彼女は私を見た。
「こうやって、一緒に遊ぶ友達ができたしね。あの会社に行ったのはあなたに会うためだけだったんだって思えたから」
そう告げれば彼女は目を開いてこちらを見た。それにつられて私も目を丸くして、首を傾ければ彼女は何かを思い出したかのように告げた。
「死のうとした時、聞いてた曲で、今は待ち合わせの途中で、未来に私を待ってる人がいるっていう歌詞の曲があったの。それを聞いて、死ぬのが惜しくなっちゃったんだよね。私を待ってる人がいるかもって。だからもう一回、切る気にならなかったの」
私は彼女が言わんとしていることを理解する。
「私たち、救いあってんじゃん」
思わずこぼれた笑みを彼女に向ければ彼女も笑った。
ちょうど駅に着いて私と彼女は改札で手を振って別れる。二週間後にパフェを食べにいく約束をして。
揺れる電車で彼女にスマホでメッセージを送る。一昨日買ったばかりのスタンプは熊のキャラクターでまたねと手を振っている。
明日も仕事で嫌なことは尽きないし、生きていくのは辛い。でも彼女がいる。彼女に会ってしまったから、私はそう簡単にいなくなるわけなはいかないのだ。いつもは一つのスタンプを今日は三つ連打して送る。これを見て彼女が笑ってくれますように。
私が脳天気にそんなことを思っていた時、彼女が帰り道に一人、私の言葉で涙していたことを知るのはこれからずっと先の話。
短編小箱 衣純糖度 @yurenai77
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