閑話 異邦人日比谷遼


 俺の名前は、日比谷遼ひびやりょう。小学四年生。つい先日まで、異世界に召喚されていて、ついこの間、現代日本、俺にとっての現実世界に戻ってきたばっかりだ。

 ……うん、何だそれとか言われるよな。俺もそう思う。多分、友達の誰かがそんなことを言い出したら、「頭大丈夫か?」って聞く。絶対に聞く。笑うのを通り越して、割と本気でそいつの頭が大丈夫かを心配すると思う。


 けれど、これは現実だ。


 俺は確かにこの間まで、半年ぐらい異世界にいた。でも、戻ってきたときにはその半年はなかったことになっていて、俺は学校帰りに使う横断歩道の傍らに立っていた。あの日、あの時、異世界に呼び出されたときとまったく同じ恰好のままで。

 だから一瞬、全部夢だったのかと思った。けれど、あの日、俺の隣に立っていたはずの姉ちゃん、楠木真綾くすのきまあやという名前の女性はいなくて、そして、俺の手には、一通の手紙があった。普通の手紙とちょっと違う。白い封筒に、赤い封蝋?ってやつで封がされてるそれは、俺があの異世界で出会った人から預った手紙だ。それがあったから、俺は、自分が異世界に行っていたんだと、アレは夢じゃなかったんだと、信じることが出来た。

 俺に手紙を託したのは、榎島未結えのしまみゆという名前の、日本人の女性だった。俺達よりもっと早くにあっちの世界に召喚されていたらしいねーちゃんは、……何か知らんけど異世界をめちゃくちゃ満喫してた。満喫しすぎだろアンタとツッコミ入れないとダメだと思うぐらいに、自由人だった。何だあれ。


 しかも、満喫してるだけじゃなくて、ねーちゃんは色々アレコレやらかしてたらしい。


 詳しく話を聞くと、俺達が召喚されたあの世界は、ゲーム『ブレイブ・ファンタジア』の世界に良く似てるらしい。俺は名前しか知らないからそういうのには気づかなかったけど、ねーちゃんはやりこんでたから気づいたらしい。んで、そのやりこんで手に入れた知識を利用して、ガエリア帝国の皇帝陛下の参謀をやっているのだと言っていた。……まさかの、そこらで噂になってた《予言の力を持つ参謀》殿が、同郷者で、しかもあの食い道楽満喫してるねーちゃんだとか思わなかったけどな!

 とはいえ、運良くそのねーちゃんと出会えたことで、俺は元の世界に戻る手段を見つけることが出来た。俺と姉ちゃんを召喚した爺さんは、本当なら俺達を元の世界に送り返してくれるはずだった。けれど年には勝てなくて、弱ってあっけなく死んでしまった。

 それで俺達が元の世界に戻るのは無理になるはずだった。詳しいことは解らないけれど、召喚と送還はセットらしい。召喚した存在でないと、送還できないというのが基本事項。でも爺さんは、自分が死ぬと解ったからか、俺達を、いや、俺を元の世界に戻すための術式を紙に書いて持たせてくれた。これを他の召喚師に見せれば、元の世界に戻れるから、と。

 爺さんと一緒に過ごしたのは、四ヶ月ぐらいだった。姉ちゃんと2人、こっちの世界のことが全然解らない俺達に、俺達の世界の話を教えて欲しいと言ってきた爺さんは、多分物好きな部類だったと思う。色んな世界の情報を聞いて、書物に書き記すのが趣味だった爺さんは、俺達がこの世界で手に入れた能力の使い方も、教えてくれた。

 俺は、危機感知と呼ぶような何か。危ないことが何となく解る。何が危ないのかまでは解らなくても、危ない場所とかものが解るので、それを避けていれば安全が確保される。そして姉ちゃんは、材料と水さえあれば、入れ物に入れて振るだけで水薬を作れるという凄まじい能力を持っていた。おまけに、病気の相手を見れば、その病名と治療に必要な薬とその材料が解るというチート付き。

 ……正直、俺の能力はともかく、姉ちゃんのそれは色々アウトだと思った。爺さんが死んで、外の世界に出て召喚師を探す旅をするのには、役に立った。怪我をしたり体調不良になったら、姉ちゃんの薬を飲んで乗り切った。旅の間は良かったけれど、俺と違ってこの世界に残ると決めた姉ちゃんのその後が、俺はとても心配だった。だって姉ちゃんは、俺が呆れるぐらいにのほほんとしているのだ。


 ただし、その問題も、ねーちゃんと知り合ったことで解決した。


 姉ちゃんは、自分が手に入れた能力を使って、薬師さんみたいなことをしたいと言っていた。それを伝えたら、姉ちゃんの安全を確保した上で、信頼できる人に後見人を頼んでくれると言ってくれた。……ねーちゃんにはねーちゃんで、姉ちゃんを側に置いておきたい理由があったらしいけど、それでも正直、助かった。

 俺は、元の世界に戻ることを希望したから。仕事で忙しい母さんも、仕事探しで忙しい父さんも心配だし、弟や妹はまだ小さい。俺には、異世界で何か大きなことをするよりも、俺の大事な家族のために出来ることをする方が大切だった。それでも、半年間一緒に過ごしていた姉ちゃんのことが心配で、心配で、気になって。心残りになりそうなそれが無くなったのだけは、本当に、良かったと思う。


 ……ただ、姉ちゃんの後見役に出てきたのが、顔は良いけど口がめっちゃ悪い、性格悪そうな眼鏡の兄ちゃんだったのだけが、納得出来ないけど。


 性格悪そうというか、意地が悪そうというか……!何かこう、あちこちで色んな人蹴落としてそうな気配がめっちゃする兄ちゃんだった。悪人じゃ無いってねーちゃんも皇帝陛下も言ってたけど、それにしたってガラが悪すぎる。ウサギの獣人ベスティらしいけど、普通ウサギで回復系ならならもっと癒やし系だろ!何だよあの、こっちの胃をぐりぐり抉ってきそうな腹黒眼鏡!

 俺がその意見をぶつけたら、何故かねーちゃんにがっしり握手された。握手されるってことは、それが事実だと認めてるようなもんだと思う。俺としてはめちゃくちゃ不安だった。なのに姉ちゃんは、そんな俺達2人に「ヴェルナーさん、そんな怖い人じゃないわよー?」とか言ってきた。……時々、姉ちゃんの目は節穴じゃないかなと思う。

 とはいえ、姉ちゃんが皇帝陛下の死亡フラグをへし折るのに必要な人材だとか何とかで、ヴェルナーの兄ちゃんも、まぁ、やる気にはなってくれたらしい。性格も口も悪そうなのに、あれで皇帝陛下のことめっちゃ大事に思ってるらしい。俺には見えなかったけど、ねーちゃんが言うんだからそうなんだろう。

 この世界がゲームでも、ゲームに良く似た異世界でも、俺にはどっちでも良い。ただ、元の世界に戻る俺が思うのは、残していく姉ちゃんが、少しでも幸せに暮らしてくれることだ。いつだってにこにこ優しく笑ってくれていた姉ちゃんがいたから、俺はこの半年、この異世界で元気に生きてこれたんだから。

 結局、その感謝を伝えることが、出来なかった。どう言えば良いのか解らなかった。最後の最後まで、俺はちゃんと、姉ちゃんにありがとうを言えなかった。元気でと伝えたけれど、一緒にいてくれてありがとうとは、言えなかった。……だって、それを口にしたら、泣いてしまうと思ったんだ。別れが寂しくなって、きっと泣いてしまうって思った。

 でも、別れの前に泣きたくなかった。俺が泣いたら、優しい姉ちゃんは「大丈夫よ」って笑って慰めてくれると知ってる。そんなのは嫌だった。だから強がって、何でもないフリをした。口うるさい保護者みたいに、姉ちゃんのことを心配している言葉ばっかり、口にした。それだけしか、出来なかった。

 あっちで、姉ちゃんは平和に暮らしていけるのだろうか。こっちに戻った俺には、何も解らない。でもとりあえず、ねーちゃんと皇帝陛下を信じようと思った。ねーちゃんはアホの子としか言えない感じの子供っぽい人だけど、それでも優しい人だから。皇帝陛下は、ねーちゃんといるときはアホの子と同レベルでじゃれ合う兄ちゃんだったけど、一対一で話をしたときはすごく頼りになる人だって解った。

 姉ちゃんのことを、何度も何度も頼んだ。その度に、任せておけと力強く請け負ってくれた。恰好良いなと思った。強くて、賢くて、しっかりしていて、国をちゃんと護っている、強い王様。ガエリア帝国の、無敵の皇帝陛下。覇王なんて怖い呼び名があるのに、目の前にいたあの人は、どこまでも優しい瞳をした青年だった。

 一度だけ、聞いてみた。どうしても気になって、聞いてみた。ねーちゃんがいない隙を見計らって聞いた俺に、皇帝陛下はどこか楽しそうに笑って、答えをくれた。


――どうして、あのねーちゃんをそこまで信じてるんですか?

――あいつの言葉に嘘が無いからだ。……それにな、リョー。あいつは、あいつだけは、俺をただのアーダルベルトとして見てくれる。皇帝である俺には、それは望んでも手に入らない、かけがえのないものだ。


 その答えが、全てなんだと思った。何でも出来る完璧な皇帝陛下の、たった一人だけの友達。ねーちゃんは笑って、「ワタシは一般人だよ!」と言っているけれど、その存在はこんなに大きいんだと思った。……まぁ、一応自覚してるみたいだから良いけど、正直、もうちょい何とかならないのかと思ってる。

 多分だけど、皇帝陛下が素直に答えてくれたのは、俺があそこからいなくなる人間だったからだと思う。あと、そもそも異世界人だし。何となくだけど、あの完全無欠で恰好良い皇帝陛下は、自分の周りに居る他の人たちに、その気持ちをちゃんと口にして伝えることはないんだと思う。……伝えることが、許されないんじゃないかなって思った。

 凸凹コンビみたいなねーちゃんと皇帝陛下は、それでも出会ったことが奇跡なんだろうと思った。ねーちゃんは、どうやって召喚されたのか解らないと言っていた。それでもあそこにねーちゃんがいるのは、偶然で片付けるようなものじゃないと思う。

 姉ちゃんの存在もそうだ。ねーちゃんがあそこにいるから、俺達は知り合って、姉ちゃんはガエリア帝国にとどまることになった。……何となくだけど、ねーちゃんの存在が、いくつものピースを引き寄せて、本来にはない流れを作り上げているような、気がする。本人がゲーム知識であれこれ口出しして修正してるだけじゃない、目に見えない部分で何かが動いている。そんな気が、してる。

 とはいえ、こっちの世界に戻ってきた俺にはあちらの世界がどうなるのかなんて、全然解らないけれど。出来るなら、姉ちゃんが平和に過ごせて、ねーちゃんの願いが叶って、あの優しい皇帝陛下が元気に過ごせる世界であって欲しいと思う。優しかった人たちに俺が出来るのは、その願いを込めて祈るぐらいだけど。

 今俺は、手紙の返事を待っている。ねーちゃんの、お兄さんに送った手紙。その返事が届くのを、待っている。……あの面白いねーちゃんが、俺と同じ世界の人だったら良いのにと、思って。向こうの世界で楽しく自由に生きてた彼女の話を、誰かにしたいと思ったから。




 あの夢みたいな異世界での日々を思い出にして、俺は俺の世界で、生きていく。だからねーちゃん達も、頑張って生きて欲しいと思う。




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