第二章 この掌(て)ですくえるもの
7月13日 日差しが日に日に強くなってきた
ファウスと再会してから、ロイシェーセス
「今の君には、まず何より知識が必要だ。ま、六年分を一気に取り返すのは、流石に無理があるけどさ」
オレも、知らないことを知るのは楽しかったし、知識の偏りを自分でも自覚していたから、その申し出はありがたかった。
それに、彼が連れ出してくれることで、オレが目にしたことのない城の外の世界を、こうして拝むことも出来た。
城下街の大通りに目を奪われながら、二人で肩を並べて帰路を歩く。
重そうな荷物を宙に浮かべて運ぶ者。
人混みを避けて、垂直の壁を、屋根の上を、跳ぶように駆ける郵便屋。
城のメイドたちに負けないくらい、様々な場所で、様々な魔法が行き交う。
この国の不思議な光景は、何度見ていても飽きない。
「こうして二人で街にいると、何だか子供の頃みたいだな」
「はは、そうだね。ちょくちょく大人の目を盗んで、君を連れて外へ遊びに行ってたっけ」
「お前が転移魔法覚えてからは、色んなところ行ったよなー。お花見したり、泳ぎに行ったり」
今でも忘れられない懐かしい想い出に、しばし思いを馳せる。
「キミ、さっぱり泳げなかったけどね。あれから泳ぎ続けるくらいの体力はついた?」
「いくつの時の話してるんだよぉ!もう病弱じゃないって言ってるだろ!」
「ごめんごめん。あの頃のノリで、どうしても心配になっちゃうんだよね」
確かにこっそり遊びに出かけて、はしゃぎすぎた翌日に熱を出し、あっさり脱走がバレた事も一度や二度ではなかったが。
「でも変装役は、昔と今とで逆だよな」
ファウスが渡してくれた、胸元のブローチに軽く触れる。
今、端から見ればオレの姿は、まるで
この魔法のブローチによる幻術効果で、髪や肌の色を誤魔化して見せているのだ。
「僕達が一緒に居ると、どっちの国でも目立っちゃうからねぇ」
逆に、ファウスがニーザンヴァルトに居た頃。オレを街に連れ出す時には、彼がロクタームに変装していた。
オレ達の姿を人々に見られても、ごく普通の、どこにでも居る兄弟に見えるように。
「でも、あんまり過信はしないでね、それ。向こうと違って、この国の人は総じて魔法の才があるから、感づかれる可能性もないとは言えないよ」
“にいさん”が苦笑しながら、オレに釘を刺す。
「あ、そうだ。ついでに昼飯がてら、僕んちに寄ってかない?父さんたちも、キミに会いたそうだったしさ」
― ― ― ― ― ―
急な訪問にも関わらず、ロクタームの
「久方ぶりだね、ローセン。突然押しかけて、すまない」
「いえいえ、こちらこそ、もてなしの準備も何も出来ておらず。ファウス、お前殿下をお連れするなら、一言連絡くらいせんか」
「えー、僕は
説教をかわしながら、ファウスが父親と向かい合うように居間のソファに座る。
たったそれだけのやりとりが、昔とちっとも変わりなくて、何だかほっとする。
オレもローセンにすすめられるまま、ファウスの隣に腰を下ろした。
「おい、ネレース!ラド殿下がお越しだぞ!」
「あらあらあら、ラド様?大変、今お茶の支度を致しますわね」
「そんなもの後でいいから、まずはご挨拶せんか!」
夫の呼びかけを受けて、台所からパタパタと、ファウスと同じ明るいオレンジ色の髪をした女性がやってくる。
「まあまあ、ラド様。ご無事で何よりですわ」
「ネレースも元気そぶっ!」
駆け込んできた勢いのまま、オレに抱きつくネレース。
ソファに腰掛けていたせいで、丁度彼女の腕の中に、頭を抱え込まれる形になる。
「
「ちょ、ま、ネレ……っ!」
ぎゅうぎゅうと押しつけられる、その豊満な胸に圧迫され、柔らかさと呼吸困難で目を白黒させながらもがく。
「母さん、母さん。そのくらいで離してあげないと、ラド、今度こそ死んじゃうよ?」
「あらいやだわ、私ったら。ごめんなさいませ、ラド様」
苦笑する息子の一言で、ようやくネレースはオレを解放してくれた。
「相変わらずでしょ、母さんのおっぱいプレス。僕も油断してると、未だにやられるんだよねー」
「そういうところは、変わっててほしかった……」
故郷でオレの子守役を務めていた彼女は、昔からちょっと、スキンシップ過剰な所がある。
「ラド様、昼食はもうお済みになりまして?まだでしたら、ご一緒にいかがかしら」
「それを見越して帰ってきたんだよ。丁度街に出てたからさ」
「それで殿下」
「すまない、その『殿下』は、できればやめて貰えるかな」
ローセンの呼びかけに、オレはシチューをすくう手を止めて、苦笑いを浮かべる。
「この国じゃ、オレはただのセリナ姫のペットだし。それに、オレが生きていることが広まると、多分色々と面倒になるだろうから」
「承知致しました、ラド様。しかし、姫様には素性をお話しされているのでしょう?」
「いや……それがまだ」
「あら、セリナ様はラド様のことを、ご存じではありませんの?」
ネレースが頬に手を当てて、不思議そうな顔をする。
「初めて
「でもキミ、今は最初ほどセリナの事、悪く思ってないでしょ?何で未だに教えないのさ」
「こら、食べながら喋るなと、いつも言っとるだろう」
息子の行儀の悪さを、すかさずローセンが
「……言えないよ。人が傷つくのをあんなに恐れる
先日の戦を見て、気づいた事がある。
『女神の
あのように初手から開演すれば、ニーザンヴァルトの兵は、容易にベガンダに攻め込むことができない。
それは同時に、敵味方双方に、無駄に犠牲を出さないということでもある。
単純に片をつけるのなら、素直に兵に前に出せば、もっと早く戦闘を終わらせられるだろう。
あんなに消耗の激しい秘術を、一人で長時間行使し続けるよりも、その方がずっと楽なはずだ。
セリは、それを理解できないような、愚かな小娘ではない。
にも関わらず、ずっとあの戦法を続けているのだ。
「だけど正直な所、ずっと今のまま、防戦一方でいるわけにもいかないだろうな。抗魔兵が増えてるんなら、『女神の聖唄』はあまり意味がない」
「それは僕も、何度か進言してるんだけどねぇ。女王様として認めて貰おうとして、すーぐ一人で背負い込んじゃうんだよなぁ、あの子」
「そういえば、オレの初陣の時は、あの障壁無かった気がしたけど。あれはお前の作戦か?」
あの時の戦場は、両軍とも、普段とは流れが違っていた。
「あー、あれはね。そっちが接敵前に撤退始めたから、セリナが困惑しちゃって。うちのお姫様、予測不能の事態には弱いんだよねー」
「そうか。どうしてあの時、オレを無理矢理にでも生かそうとしたのか、ようやくわかった気がするよ」
敵兵のオレを唐突に勧誘したり、妙だとは思っていたけれど。
自分の対処が遅れたために、多くの血が流れたあの場で、これ以上命を奪いたくはなかったのだろう。
「ま、そのおかげで命拾いしたんだし。結果的には、セリナのペットになってラッキーだったんじゃない?ラドにとっては」
「そりゃあ確かに、ここに来てからの方が、色々充足してるけどさ。だからってこのまま、ベガンダに腰を下ろすつもりはないよ」
「では、やはりいずれは、ニーザンヴァルトにお戻りになられるおつもりなのですな?」
俺を見つめるローセンの目つきが、真剣なものになる。
「うん。母上のこともあるし、伯父上をあのままにはしておけない。何より、オレが王になれば、ベガンダとの和平だって可能になるんだし」
「だったらやっぱり、セリナに手を貸してもらって、共にゼングラム王と戦うのが一番手っ取り早いと、僕思うんだけどなー」
スプーンを口にくわえたまま、だらしなく頬杖をついてファウスが話す。父親の説教は耳を素通りだ。
「キミ、他に戦力のあてになりそうなコネなんて、欠片も持ってないよねぇ」
「う、で、でもこれはニーザンヴァルトのことだし!伯父上とは、俺一人で決着つけるべきだから!」
「あらまあ、そんなにセリナ様をご心配なさるだなんて。ラド様ったら、それほどまでにあの方が大切なのね」
「そういうのと違うよ!?」
「うふふ、おかわりお持ちしますわね」
何だろう、さっきからネレースのオレを見る目が、妙に優しいというか、生暖かいというか。
「ただ、知っての通り、今のオレにはわからないことが多すぎる。このまま国に戻っても、無能を
「母上は心配だけど、伯父上に挑むには、今暫く時間が欲しい。あっちに帰ったら、ファウスに手助けして貰う訳にもいかないから」
「ま、そうだね。流石に宮廷魔術師引き抜こうってのは、セリナはともかくこっちの連中が、素直に首を縦に振らないだろうからねー」
本当のところ、一緒についてきて貰えれば心強いけれど。今のこいつには、こいつの立場がある。
だからその分、今できる手助けをしてくれているのを、再会してからのこの数日で実感させられている。
「では、ラド様がいつかベック様、いや、ゼングラム王に立ち向かう時に備えて、こちらでも準備を致しましょう。私のツテに、内密に話を通しておきます」
静かな物言いだが、伯父上に対する呼び方の差違で、彼の内心の怒りが伝わってくる。
「ありがとうローセン、助かる。本当は母上にも、オレが生きてることをお伝え出来たらいいんだけど……」
「それはちと困難でしょうな。シャーウラ様に文を届けるにも、あの城に潜入するにも、なかなか一筋縄ではいきますまい」
「だよなぁ」
そんな簡単に王城に忍び込めるなら、こんなに悩みはしない。
「だーからセリナにちゃんと事情を話してさー、レジスタンスのリーダーとして名乗り上げれば、シャーウラ様の耳にもきっと入るからさー」
「しつこいなぁ!なんでそんなにセリを戦わせたがるんだよ!」
流石にイラッときて、ファウスを睨みつける。
向こうも何か思う所あるのか、不機嫌そうな顔をオレに向けてきた。
「僕はキミたちのことを思って、助言してるだけだよ」
「革命戦争を起こせば、嫌でも多くの血が流れる。お前はそんなものを、彼女に見せつけろっていうのか!」
「キミはあの子のことを、何もわかってないんだ!セリナはねぇ……!」
「いい加減にせんか!!ラド様に無礼だろう!!」
立ち上がって今にもオレに掴みかからんばかりのファウスへ、ついに家長の
「僕、先に帰る。どうぞごゆっくり」
「ファウス!!ちゃんと謝らんか!!」
「やだよ、僕悪くないもん。そんなに一人でやりたきゃ、勝手に一人でやれば?」
勢い任せに閉められたドアが、バタンと大きな音を立てる。
「あらあら?ファウスはもう帰ってしまったの?」
入れ違いに、シチューのおかわりを持ってきたネレースが、台所から戻ってきた。
「……なんか、ごめん。折角の一家
「ラド様がお気になさることではありませんわ。でも、珍しいですわね。あの子がラド様と喧嘩するなんて」
温かなシチューを、一口。
さっきまであんなに美味しかったのに、今はもう味がしない。
(セリのことを、何もわかってない、か……)
確かに、彼女と知り合って、まだひと月。全てを理解しているとは言いがたい。
オレ自身が、彼女に身の上を明かしてもいないのだ。そんな誰とも知れない男に、全てをさらけ出すわけがない。
……待てオレ。『さらけ出す』から、毎朝のアレを連想するんじゃない。
頭の中から、
とはいえ、ファウスの言うようには、素直に素性を話す気にもなれなかった。
オレの正体を知ったら、セリはきっと自ら、ニーザンヴァルト奪還への力添えを申し出てくる。そんな確信があったから。
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