Episode.31:狂乱なるアンサラー
「空が……悪人……冗談はよしてくれよ」
全く信じられない、彼女の何処に悪の要素があるのだろうか。“男”の発言を裏付ける程の証拠が一切ない。
めまいのような感覚に襲われ、俺は
一体、何故空が悪人として示されなければいけないのだろうか。
「君は何も知らないのだな、彼女が何を求め、何をして、何を残したのか……」
「そんな物、お前が何故知っている」
「彼女の“
ゆっくりとこちらに立ち上がり、肩に何かが当てられる。その手には
コート越しに伝わる銃口の冷たさが、やけに生々しい。だが、この男よりかは上手だということは、長年の経験から分かっていた。
「渾名……?」
「ああ、そうだ。だが、まだ君に教えることはできない。これも情報の元を守る為なのだ、容赦してくれたまえ」
「断る、言わなければ俺はお前よりも先に引き金を引く」
グロックの引き金に指をかけて、男の昏い瞳を睨み返す。人の心が備わっていないかのような行動に、辟易するしかない。いや、これも人間らしいといえば人間らしいのだろう。
「では、そうだな、すべて話すとしよう。彼女はとある事件に関わる重大な情報を持っていた。持っていたが故に奪われて、彼女は無残にも殺されたのだよ……」
空は、表側の綺麗な人間だったはずだ。そんな彼女が、何を知りうると言うのか。結局はこの“男”の欲のままに殺されただけにしか思えない。
「やめろ、やめろ、そんな事はない、全部お前の妄想だろう!!」
「何を言っている、私が見て私が聞いた事だ。君が弾劾する権利などないよ」
男は首をすくめ、呆れたようにこちらを見ている。その目線は、既にモニター下のボタンに目移りしていた。
もう俺に興味はないのだろう。であればこの“ゲーム”を見届けるのが、“男”にとっての一番の娯楽になりうるだろう。
「お前は、どこまで人のことを知ろうとすれば気が済むんだ」
「そうだなぁ、君の正体も知り、君の婚約者の正体も知り、あと知りたい事か……」
葉巻の灰を折り、男はゆっくりと煙を吐き出した。吐き出された白煙はすぐに虚空に消えている。俺は銃を下げて、男から情報を引き出す事に決めた。
「お前に、お前に教える事はない」
「ふむ、ああ、そうだ。では、君が仇討ちを求めている相手の話でもしようか」
あの女の話だろうか。あの女がミズ・バルバロッサだという確証はないが、多分そうだろう。憶測で物は語りたくないが、レトロな武器を使っている以上否定はできない。
女は殺意を身に纏っている、訳ではなかった。ただ、目の前の的を適切に撃ち抜いて、人形を切断するだけの仕事をしている。
「彼女はね、アレでも人情味あふれるいい女だ。昔出会った男を愛しすぎたが故にあそこまで辿り着いてしまったようだがね」
「あれが、人情味あふれる、もういい加減タチの悪い冗談は飽きた」
手に持ったタバコの火を消す。殺意を纏っている訳ではないのだが、人間味を纏っている訳でも無い。
機械が“エモーショナルコマンド”を学習した、その表現が彼女を表すのに一番正しいだろう。
いくら感情を手に入れようが、機械は機械のままだ。
「そうか、今にも泣きそうなくらいに、苦しんでいる彼女を君は見たことがあるのかい?」
「泣く……泣く? あの女に涙という概念があるのか」
「ああ、彼女は非常に感情が豊かでね、脆く壊れやすくも美しい存在なのだよ」
血に汚れた者が美しくみられることはあり得ない、手が汚れた者は手が汚れたなりに過ごすしかないはずだ。
「外道は外道のまま死ぬのがいい、それが君の理念なのだろうがそうは思わない。人の内側には外道に落ちる要素を誰しもが兼ね備えている以上、感情を持つ事は全ての人間に許されることなのだよ」
「許される許されないの問題ではない、俺からみた彼女は機械だった。それだけだ」
「感情を発露するのは個々人にもたらされた権利だ……つまり、君に感情を出すまでもないと思ったか、出したくないと思ったか、そのどちらかだろうな…………」
モニターの内側にはカプセルを一つずつ持った三人の姿が映し出されている。彼らは、誰から先にそれを飲むのかを言い争っていた。
あの三人は、自分が生きたいが故にその我をぶつけている。あの女は、何故あの仕事をするのだろうか。
「なら、別にいい。それで、お前は結局何をしたいんだ」
「私か、私は人間が見たい、そういっただろ────」
「違うっ、お前は今何をしたいんだと聞いている!」
久しぶりに声を荒らげ、すかさずグロックの引き金を引いていた。“男”の頬をかすめて、後ろの仮面の男の首を撃ち抜く。
嘲笑するかのように口角を上げて、“男”はゆっくりとこちらにやってきた。撃たなければいけないはずなのに、何故撃てない。このままでは殺されてしまうはずなのに────
「私はね、頼まれただけなのだよ。感情を自ら閉ざした君に、驚愕や恐怖、激昂や悶絶、その他あらゆる負の感情を思い出させてくれ、とね」
「…………あの女にか……?」
「ああ、そうだ、君に奪われる絶望を、奪う苦悩を分からせてやれ、そう頼まれただけであって……君のことをよく調べさせてもらったよ……」
男が手にしたリモコンの先にはプロジェクター、そこには昔の俺の写真が映し出されていた。
「君は昔から、身体を鍛える事を趣味としていた。人とは違った趣味があっていいと思うのだが、君は少し違った。人が無為に虐げられるのを良しとせず、一度それを見かければ助けに行く。まさに“義”に立つ者の在り方であろう」
忘れようと切り捨てたはずの過去が、目の前に浮かんでは消える。高校時代に友達を助けた事も、それより前も人の為に戦った。戦ったという言い方は仰々しいような気もするが、たしかに人のために戦っていたのだ。
今だってそれは変わらない。そうだ、俺は俺のような絶望をして欲しくないがために、自ら手を汚してきた。
「だが、君は目の前で理解者を失った。頼るはずの杖が折れてしまい、君は何もできなくなってしまった。その時、君は全てを捨てようとしたのだ。全てを捨てるという幻想を見ようとした。“絶望を知って欲しくない”という建前の元に、君自身の罪を断罪し続けようとしている。それこそが今の君の根本にして基本骨子なのだよ」
「クソが、見透かしたようなこと言いやがって……」
目の前の人間に明らかに俺は恐怖している。俺が今まで立ってきた位置を、いとも簡単に崩してしまおうとしている。これは、簡単に崩れる物なのだろうか。
ならば、今までやってきた“仕事”は全て無益な者なのだろうか。
そんなはずはない、そんなことは断じてあり得ないはずだ────。
歯を食いしばっていたことにようやく気づく。だが、気づいたところでどうってことはない。
────撃てば何かが壊れる、撃たなくても何かが壊れる、だったら────
「別に、私は貴方が何しようが構わないけど、肝心な所を忘れられては困るんだけど」
聞こえるはずのない声が、潮騒のように耳に届いてくる。彼女は、今死にかけているはずなのに、ここで何故聞こえてくるのか。
「貴女が大好きな人間の思想、その理解者をそこの黒いのに殺された恨みを持っていたけれど、歪な彼の思想を知って壊したくなった。そうよね────」
隣に立つ小さくも凛とした雰囲気の彼女は────間違えるはずがない。
「
隣には、クラリスがグラッチを構えて、いつもの不敵な笑みで立っていた。
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